5皿目【豊橋の路面電車ドラゴン】
「【豊橋の路面電車ドラゴン】で、隣の席のかわいい女子高生が文庫本読んでたんだよ」
「はぁ」
「かわいかった」
「良かったですねえ」
土産話を聞かせろと言うから聞かせてやったのに、ゲッカは気のない相槌を打つばかりだ。
寝台に寝転んで腫れぼったい目に濡れタオルを置き首まで布団を被った病人に、ハイテンションなボケとツッコミの応酬などは求めちゃいないが、それにしたってもう少しあるだろう。
「いいか。髪を染めているでも、スカートを膝丈に下ろしているでもない、極端なステレオタイプ同士の折衷による、敢えてスタンダードを拒絶することによりアベレージという別種かつ真実味のある新たなスタンダードの構築を成し得た地元のかわいい女子高生が、文庫本を読んでいたんだ」
「はい」
「すげーかわいかったんだよ」
ゲッカは濡れタオルを外し、枕元の水差しから一口飲むと、気怠い様子で口を開いた。
「その、『【豊橋の路面電車ドラゴン】で文庫本読んでるかわいい女子高生かわいい』って文の中で意味を持つのは『かわいい』という形容だけで、その他の部分は特に意味を持たないですよね」
茫漠とした無表情。熱で赤みを帯びた白磁の肌は、死んだ【ウィキドラゴン】のように虚ろな瞳を据えている。
「いや、でも、【豊橋の路面電車ドラゴン】の上でだぞ? 絶妙に垢抜けない地元のかわいい女子高生が、敢えて携帯端末の類いをいじるでもなく、文庫本を読んでいてだな」
俺は噛んで含めるように言い聞かせた。
「ですから、『【豊橋の路面電車ドラゴン】で文庫本読んでるかわいい女子高生かわいい』なんて、贅肉に覆われたトートロジーじゃないですか。『【豊橋の路面電車ドラゴン】で文庫本読んでるかわいい女子高生かわいい』も、『テトラポッドにお供えされてるかわいいマクガフィンかわいい』も、本質的には同じ『かわいい存在はかわいい』でしょ」
言っている意味は解らなかったが、言いたいことは判る。なるほどな、と返そうとして、
「でもまぁ、【豊橋の路面電車ドラゴン】で文庫本読んでるかわいい女子高生は、実際かわいいんだぜ」
と、俺は答えた。
実の所、俺自身もゲッカの風邪を伝染されたのか、先程から一ラジアンも頭が回っていない。こいつも俺もとっとと寝た方が良いんだろうな、とは思いつつも、回り始めた会話から積極的に降りる気にはなれなかった。
「確定した未来にとって道筋とはタペストリの柄のようなものであり、如何なる柄があれどもそれ自体は単なる布に過ぎません」
「タペストリは柄が存在目的だろ」
「しかし布は布、それだけで完結した品物です。例えば、一人旅というのはそれと同じです。誰にも何の影響も与えないからこそ旅行の目的は『大仏を見る』でも『温泉に入る』でも『ドラゴンを食べる』でも何でも良くて、何でも良い目的だからこそ、『靴紐切れたから大仏見るのやめた』も『雨降ってきたから温泉寄るのやめた』も『店開いてないからドラゴン食べるのやめた』も許されます。雨の中で傘を差さずに踊れるのは、風邪を引いても看病してくれる相手がいない人だけなのです」
「それなら当然、更に反転して『駅弁にドラゴンあるし折角だから食うか』も問題ないだろ。雨の中、傘を差しても良いのが自由というもんだ。首をすげ替え、名前と語尾を置換すれば誰が演じても変わらない二次創作は幾らでもあるが、つまり一人旅ってのもそういうもんだ。何処に行くか、何をするかはどうでも良く、一切の意味を持たない。だからこそ、その旅程は純粋な価値となる。意味の破壊、意義の否定、創造性の放棄、過去との断絶、未来との隔絶、それこそが現世のあらゆる即物的概念に縛られない真の娯楽となるわけだ」
そろそろお互いに自分が何を言っているのかも判らなくなった頃合いだろう。朦朧とする意識の中、結びの言葉を絞り出す。
「要するに、『【豊橋の路面電車ドラゴン】で文庫本読んでるかわいい女子高生』は、かわいい」
ゲッカは息を荒げながらもその言葉に頷き、こう返した。
「私が言いたいのは、『お留守番は暇だったので早く私も狩りについて行って、美味しいもの食べたい』ということです」
俺は「なるほど」と頷き、皮を剥いた【豊橋の路面電車ドラゴン】を二人で各々咀嚼し飲み下して、各自の寝床で布団を被り直した。