35皿目【遠近両用ドラゴン】
遠近法という技法が発明されたのは、風景を平面の画に収める写真技術が生まれてからなのだ、という話があります。
それが本当かどうかは知りませんが、ありえない話でもないのでしょう。
遠くの物が小さく見えるのは、現代人より遠くの物を見るチャンスの多かった時代の人々には特に常識であったんでしょうけど、異なる距離にあるオブジェクトのサイズ比によって画面内に奥行きの概念を持たせるという発想が生まれ得なかったというのは特別信じられないことでもありませんし、特に線遠近法ですね、それが消失点に向かって相似形を描いていると言われてもピンとこない所に、消失点が二つあると言われてもさっぱりですよ。
生まれて初めて四足の獣の全身図を描く子供は、その足を「四本並べて描く」ことにより、心無い大人に嘲笑われるという経験を持つことが、まあ少なくはないそうです。正面から見れば二本。側面から見ても二本。そして、斜めから見れば三本と教えられる。
斜めから見れば三本? それは犬を上から見下ろす者の感覚で、ドラゴンを下から見上げる者の視点では有り得ません。大型のドラゴンなら、正面や側面から見たって四本脚が見えますよね。遠近法ってやつです。
にも関わらず、「四足の獣の足が四本見えることはない」という「常識」の刷り込みは、四足の獣の絵に四本の足が書いてあるのを見て、無条件で「これはおかしい」と嘲笑うという判断基準を、子供に刷り込むのです。
人の認識というのは曖昧なもので、遠近法という技法、その概念を知って見る風景と、知らずに見る風景は、まるで別物に映ります。それが絵でなく、自然のパノラマであったとしてもですよ。知識や概念は認識に影響を与えるというのは、つまりそういうことです。
「おーい、ゲーッカちゃーん!」
少し遠くに見える正門から現れ、遠近法で徐々にその姿を大きくしてみせながら近付いてくるのは、私の学内唯一の親友、アビーです。
「おはよう、アビー」
極力視線をずらさないように私とアビーは微笑んで見つめ合いながら、雑音を認識から遮断し、並んで校舎へ入ります。
教室の中の窓際、一番後ろの席が私で、その一つ前がアビー。心持ち窓の方に顔を向けて、他愛ない雑談に興じます。
「あ、今日は雨降りそう。【遠近両用ドラゴン】が校庭の地面ギリギリ飛んでるし」
「うわー、陸部が巻き込まれてるよー」
「これは死んだかな」
明らかにドラゴンが飛んでいる中で一般人が出歩いていたら、それは死ぬでしょう。自己責任とは言いませんけど、親の教育のせいで子供が死んだ形ですね。こうした、「ドラゴンに襲われたら死ぬ」レベルの常識を持たない生徒が、学院側に特別な過失や加害意図がない状況で、その非常識故に死亡ないし負傷した場合、学院は一切の責任を持たないことが法律で定められています。そりゃそうだろうとは思うんですが、教育、保育、宗教、学術、公共の五業種を除く一般業種ではいちゃもんというにも憚られる恫喝紛いの暴言が飛び交い、合法違法を問わない悪意のこもった嫌がらせが溢れているそうです。末法ですね。
「ゲッカちゃん、あれ狩れるー?」
「無理無理。強いし」
遠くからの不意打ちで落とせるならまだしも、距離が空けば長距離攻撃の《リニアレールブレス》、間合いを詰めても爪や牙で引き裂かれる【遠近両用ドラゴン】を相手取るには、絶対的な堅さか速さ、勿論それに加えて十分な攻撃力も求められます。遠方射撃は見てからクロスカウンター食らいますし、相手は良くて掠り傷でも、こちらは膝下が残れば御の字です。
「【遠近両用ドラゴン】はたまに人里近くにも出るけど、すぐ何処か遠くに飛んでっちゃうから、そんなに気にしなくていいよ」
「いやでも人死に出てるからねー……」
アビーは人間なのに優しい子なんですよね、本当に。エルフは野蛮な人間やドラゴンと違って、食事のために命を奪うようなことはしませんが、命を大事にしない者は死んでしまえば良いとは思います。私個人としては、相手の命を奪う連中や、自分の命を軽く扱うような手合いが死のうが、どうということもないのですが。
友人のためにも真剣に考えましょう。
「なるべく早く追い払いたいなら、早く満腹感を与えるしかないね」
「というとー?」
「あー、【大手製パン工場ドラゴン】が吐き出す《パンのにおいブレス》を浴び過ぎると、しばらく何も食べたくなくなるよ」
「その【大手製パン工場ドラゴン】はその後どうするのー?」
「三年経てば正社員登用されてそこを縄張りにするんだけど、【大手製パン工場のチーフ社員ドラゴン】が褒賞金目当てに陰湿な嫌がらせで早期自主退職させにかかるから、大体一年もしない内にいなくなるかな」
「被害期間長くない?」
うーん、流石アビー。半人前のドラゴンハンターの私では気付かなかった作戦の穴に気付くとは。
校庭から全校生徒が校庭から避難を終えても、【遠近両用ドラゴン】はまだ校庭を飛び続けていました。
時は既に昼休み。帰るまでにはいなくなって欲しいんですが、どうでしょうね。
不意に視界を遮る何かの影を知覚しかけて、私はすぐさま机の方へ向き直りました。そんなことより、今日は楽しみなお昼です!
「ゲッカちゃん、お昼なに? また【もぐらドラゴン】?」
「今日は【エヴァレットの多世界ドラゴン】のホイル焼き」
素材の旨味を逃がさないよう、味付けは塩だけで、【香草ドラゴン】と一緒に【アルミホイルドラゴン】の鱗で包んで遠火で焼いただけの物ですが、うーん、重畳重畳。朝からお弁当箱の中で凝縮された香りが。ギルド経由の臨時バイトでちょっとお金に余裕が出てきたみたいで、たまには気分を変えてってことで、グラムさんが狩ってきてくれたんですよね、【エヴァレットの多世界ドラゴン】。昨日の晩は白茹でして【ポン酢ドラゴン】の《ポン酢ブレス》にさっと絡めて食べましたが、上位種はやっぱり身の締まりが違いますねえ! 弾力で上顎が軽く跳ねます!
いえ、【もぐらドラゴン】も悪くはないんですが、連日だと流石に……そろそろ調理法のローテーションも食傷してきましたし。
「しっあわせそうな顔するよねー、ゲッカちゃん」
「一口食べる?」
「あ、これはすごい、冷めても身の旨味だけでおいしい」
「迷いないねえ」
ドラゴンは完全食品なので、人間が好む主菜副菜に主食(どっちがメインなんでしょう)という考え方は基本的にありません。家で食べる時はグラムさんが色々用意してくれることもありますし、【白い飯ドラゴン】や【パンドラゴン】は他の料理と合わせると相乗する場合もありますが。
私のお弁当と交換でアビーも野菜やパンを分けてくれますが、森住まいのエルフは木の実の日は木の実だけ、果物の日は果物だけでしたし、路上生活時代は一塊の残飯って感じだったので、カラフルなお弁当箱って不思議な感じしますよね。
「本当にレタスだけでいいの? ハンバーグとか卵焼きとか食べていいよー?」
「あの、えぇと、ドラゴン以外のお肉は駄目なんだよ。……宗教上の理由で?」
「難儀な宗教だねー」
自分で言っておいてなんですけど、相当ハードル高い禁忌ですね。
その様な益体もないことを語らい、私とアビーは遠くに響くドラゴンの咆哮を聞くともなしに聞きながら、のんびりしたお昼休みを過ごしたのでした。




