26皿目【犬ドラゴン】
私達はとあるドラゴンを求めて、モリヤマの地にある廃墟を訪れました。十年前の戦争で王家の血筋も絶え、崩れた城跡のみを残す今は亡き王国。その亡骸です。
城が崩れたのは、その戦争のためではありませんでした。湖の都と謳われたこの地は、侵略者が入植してほんの数年後、かのドラゴンによって瓦礫の山へと変えられたのです。先王朝の呪いなんて言われてましたけど、実際は、それまで代々続けていた人身御供を、新しい住人達が引き継がなかったせいで、ドラゴンが怒っただけって話です。生け贄出さなきゃドラゴンに滅ぼされるっていうんなら、初めから引っ越せば良かったと思うんですけど、人間の考えることはよくわかりませんね。
この地に今尚住まう龍の名は、【犬ドラゴン】。極めて凶暴な肉食のドラゴンで、強い幻惑魔法を操るそうです。文献には、時の王を魅了して、消費者金融の沼に沈めたという話もありました。国民に特別税かけてすぐ返済したらしいですけど。
所々崩れている濠跡に囲まれた、石塀の残骸。かつては人工的に整えられた庭園があったのだろう場所には、ただひび割れた地面が広がっていました。ここが浴場、ここが調理場、散らばる破片でなんとなく察しながら歩く廃墟には、時々人骨なんかも転がっています。それでも骨を囲む草葉や蔓は、ほんの数年前にここを通ったばかりの死の臭いを覆い隠しているようでした。
そうして辿り着いた城跡の中心部。崩落した二階――三階かもしれませんが――の床の上に、辛うじて原型を保った玉座が据え直されていました。その主をこの地の王であると示すために。
その玉座に腰掛ける者は、人間の大男ほどの体長をした、比較的小型のドラゴン。大きな頭に、更にアンバランスな大きな眼と、頭頂部の三角耳。廃墟の龍王を気取るドラゴンは、焦点の合わない黒眸で私達を胡乱気に眺めるとその舌を口内に戻し、石壁の残骸を震わすような甲高い声で、
「……我は【猫ドラゴン】だワン」
チワワっぽいドラゴンはそんなことを言いました。
「嘘ですよね! あれ私でもわかりますよ、絶対【犬ドラゴン】ですよね!?」
チワワ種ですよね! なんでバレバレの嘘つくんですかね!
しかしドラゴンは感情のない黒目でぼんやりとこちらを向いたまま続けます。
「……嘘ではないワン。我は【邪悪なる魔女ドラゴン】の呪いによって【犬ドラゴン】に変えられてしまった【猫ドラゴン】なんだワン」
ああ、なんてことでしょう。私はショックで心臓を握られたような気持ちになりました。そんな、そんな憐れなことがあるものでしょうか。【猫ドラゴン】が【邪悪なる魔女ドラゴン】の呪いによって、【犬ドラゴン】に変えられてしまうなんて。
それに対して、私の態度は最悪でした。私は自分の思い込みだけで相手のことを信じようともせず、ただ強い言葉で打ち消して、あまつさえ嘘つき呼ばわりまでしたのです。きっとこのドラゴンにとっては何より辛い記憶だったはずの事実を、無遠慮に掘り返し、傷口に塩を塗り込んだのです。
相手の存在を全否定し、自分の考えだけを押し付け、傷付ける。これは他者のアイデンティティへの虐殺。購う方法は一つしかないのでしょう。目には目を、歯には歯を。
「ごめんなさい……死んでお詫びします」
私は荷物から調理用の包丁を取りだし、それを自分の心臓へ突き立て――
***
「こら、正気に戻れ」
【犬ドラゴン】を前に突然眼を虚ろにし、口を半開いてふらふらし始めたゲッカが肩掛け鞄から包丁を出した所で、ああこりゃやばい、と取り押さえた。
「何するんですか、グラムさん。私はあのドラゴンの心を残酷に傷付け殺そうとした、醜い殺戮鬼なんです。死んでお詫びしないと……」
「落ち着け。ドラゴンなら何頭も殺してるだろ」
「あっ、そういえばそうですねえ」
スッと、瞳に光を取り戻すゲッカ。
「【犬ドラゴン】の幻惑魔法にやられてたぞ。幻惑は固有アビリティじゃなくてただの魔法なんだから、魔法使いなら防げよ」
「あれえ、【犬ドラゴン】の幻惑魔法って、こんななんですか?」
「どんな幻覚見たのかは知らんが、まあ色々あるだろ。そういう魔法なんだから」
ゲッカは首を傾げながら小さな声で、「そもそも自分を【猫ドラゴン】に見せたいなら、幻覚でそういう姿に見せたらいいんじゃないですかね……」等と漏らしている。本当にどんな幻覚見たんだ。俺もちょっと見たかった。
「今回結構予習して来たんですけど、やっぱり実際見ると全然違いますねえ」
「本で読むのも悪いことじゃないぞ。知識がある奴は実戦でも理解が早いし、何度か経験重ねたら身になるだろ」
そんな話をしている間に、メランコは【犬ドラゴン】を素材ごとに解体し、昼食分の肉を切り分けていた。
***
弱い犬ほどよく吠える。警戒と威嚇は弱者の常であり、性であります。
これはその効果を成すことを目的とするものではなく、強迫性の本能に過ぎません。
何に警戒すべきか、何を信じるべきかの判断もつかない程の弱者の警戒、威嚇は往々にして的外れで、不要な敵を作り、逆にいざという時には反応する間もなく潰されます。
しかし重要なのは「自分は警戒をしている」という意識の生み出す安心感、なわけです。
然るべき形骸は、いかなる実利にも増して真実に近いでしょう。無には形も果てもありませんから、実際的でない物ほど底は遠く、深くまで掘り下げることが出来ます。
勇猛であること、貞淑であることは、元を辿れば実利に繋がりますが、それが殊更有難がられるようになったのは、それら概念の持つ意味が薄くなって来た頃からなのです。
【犬ドラゴン】の肉を食べていると、不意に、犬とその日のご飯を奪い合っていた頃のことを思い出しました。猫は肉食ですが、犬は雑食です。エルフは肉は食べないので猫とは共存できますけど、犬は明確な敵でした。六匹の犬に囲まれて殺されそうになった時、うっかり魔法でボス犬を死なせてしまい、それからは犬の方から逃げていくようになりましたけど。
焼けた犬の臭いには、ただ吐き気しか起こりませんでしたけど、今はこの【犬ドラゴン】の肉の匂いに頬の弛むばかりです。
「【犬ドラゴン】はルージュ種が一番旨いらしいぞ」
「……ほう。ならば次に犬龍を狩る時は、それを狙うが良かろう……」
「鍋が美味しいんでしたっけ? 楽しみですねえ!」
大きな眼球の煮込みを箸でつつきつつ、私達は未来の楽しみに思いを馳せました。
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