21皿目【ダメになりそうなときにただ傍で穏やかに見守っていてくれるドラゴン】
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人権侵害、それに伴う残酷描写が含まれますので、苦手な方は飛ばしてください。
「現代の若者が求めているのは、理解者。これですよ!」
「うわ、ぶり返したか」
茂みの中で声を潜めながらも、ついつい口に出してしまう。
「何ですか、ぶり返すって。私はこの上なく健康ですよ?」
本当かよ、とは思うものの、そもそも今は声を出すこと自体が得策ではないので、俺は口を噤んだ。人差し指を自分の唇に添え、隣で同じ様にしゃがみ込む助手のゲッカにも意思を伝える。
ゲッカは一つ頷くと、小さな声で続きを話し始めた。いや、黙っとけって意味だったんだが。
「十五年ほど前まで人々が求めていたのは、社会における権威や大衆からの評価でした。十年ほど前には、より早期に目的が達せられるよう、人々が求めるのは、同朋からの信頼や、権力者からの承認となりました。それが五年前にはよりコアな部分に洗練され、友人や恋人からの理解を求めるようになったんです」
「それが五年前なら今は、理解も共感もしないペットかボットでも置くようになってるだろ」
「あ、じゃあ理解者必要ないですねえ」
そう言って素直に黙り込む。こういう時に他人の話を聞くのは、この助手としては珍しい。疲れているんだろう、と思い至った。気絶から覚めたばっかだしなあ。
茂みから少し離れた地べたに、両脚の膝から先を無くしてぐったりした男が横たわっている。瀕死の割りには安らかな空気だ。ゲッカはどうも人の血を見るのは苦手らしいので、寝ていた間に、余っていた二人分の上着や何かを男の下半身側へかけておいた。黒い布地だったから、血の染みも見えなくて調度良い。
その男の視線の先、大股で三歩ほどの距離に、丸っこく、のっぺりとした顔付きのドラゴンが香箱座りで蹲って、死に掛けの男と見詰め合っていた。【ダメになりそうなときにただ傍で穏やかに見守っていてくれるドラゴン】だ。
「優しそうな顔のドラゴンですね」
その評価は一般的なものではある。細められた目のような部分、大きく丸い鼻の穴のような部分は離れた位置に二つ並んでいて、鼻のような部分から口のような部分への感覚も長く緩やかな曲線を描いている。口のような部分は微笑みの形に弧を描く。小さな耳のような部分と、太く短い四肢、弛んだ胴。人間より二回りほど大きな体は、威圧感など微塵も感じさせない。
何もせず、何も言わず、近くから見詰めている。
ただ、その表情が本当に親愛の情を示しているかと言えば、特にそういうわけではない。
「このドラゴンは、弱った死んだ獲物を真っ先に食えるように、傷や病で死に掛けている生き物の近くでずっと待っている習性があるんだよ」
顔が優しいので安心して死ねるそうだ、と説明すると、眉を顰めて再び【ダメになりそうなときにただ傍で穏やかに見守っていてくれるドラゴン】の方を伺い、「言われてみればそうも見えますね……」などと呟いた。
「それで、あの人は助けなくていいんですか? まだ生きてるんですよね」
「それなんだが、【ダメになりそうなときにただ傍で穏やかに見守っていてくれるドラゴン】の固有アビリティは《空気感》って言ってな。アクティブ効果としては獲物に『安らかな空気』だの『心地よい空気』だのを与えるのに使うんだが、パッシブ効果で『空気に溶け込む』ってのがあるんだよ。文字通り空気の中に溶けちまって、そのせいで武器も魔法も効かないんだが、唯一食事の瞬間だけはその存在を完全に固定化する。だから、【ダメになりそうなときにただ傍で穏やかに見守っていてくれるドラゴン】を狩るのは食事の瞬間を狙うのが一番で…」
「いえ、じゃなくてですね、死に掛けてるのほっといたら、死んじゃうじゃないですか」
「ああ、そっちか」
なるほどね。言われてみれば、初心者だとそこから疑問になるのか。
心配しているにしては軽い調子だから、ゲッカにしてもただの確認といった所だろう。一応の説明はしておこうか。
「大丈夫大丈夫。あれ人拐いの重罪人だから。さっきあんたが用足しに行った時、後ろから殴り付けてきた三人がいたろ。あの内の一人だよ」
「え……な、何ですかそれ」
「たまに出るんだよなあ、この辺」
頭を殴られて意識を失っていたゲッカを置いて三人組を片付け、折角だからと一人は残して、【ダメになりそうなときにただ傍で穏やかに見守っていてくれるドラゴン】の餌にしたわけだ。こいつは直前まで生きてた獲物しか食わねえからな。
「何か頭が妙に痛いと思ったら……いえ、でも、それにしたって」
「ああ、この辺はエルフの領土だから、人間に人権なんてねえよ。合法だ合法」
人間の国であるクローナ王国は、無政府の緩衝地域を挟んで、エルフの国であるマナト共和国と隣り合っている。マナト共和国は国土の九十九%が山森という住民達さえ否定できない紛うことなき糞田舎だが、【赤福ドラゴン】という甘くて旨いドラゴンが棲息しており、共和国の輸出の約七十%をその【赤福ドラゴン】由来の品物が占めている。共和国法では【赤福ドラゴン】を含む多くのドラゴンの狩猟数は厳密に管理されており、密猟は重罪となるが、そもそも人間に人権を与えないこの国では、エルフの法が人間に適用されることもない。当然、人間の国から見れば国外だから、人間の法も存在しない。俺も初めて聞いた時は「こいつら頭おかしいんじゃねえの?」と思ったものだが、それでトントン、ということで国のトップ同士が話をまとめてしまったため、そういうことになっている。マナトのエルフは出会い頭に矢の二、三本は飛ばしてくるしなあ。
「合法とか違法とかじゃなくですね。グラムさんも、人間でしょ」
「あ、そういえば、あんたエルフだったよな……完全に忘れてた。おい、エルフが密猟に手を出したら普通に罰金刑だから、今回は見学な」
「ええっ! 危ないですね、そういうのもっと早めに言ってくださいよ!!」
「だから大声出すなって」
犯罪、と聞いて急に恐ろしくなったのだろうか。ゲッカは少し顔を青褪めさせ、ようやく静かになった。
とはいえ、言われてみれば確かに、同族を餌にするってのは人倫に反するわな。
人餌式は【ダメになりそうなときにただ傍で穏やかに見守っていてくれるドラゴン】狩りとしてはわりとスタンダードというか、そもそも【ダメになりそうなときにただ傍で穏やかに見守っていてくれるドラゴン】の棲息地はエルフ管轄の土地だから、このドラゴンを取るには基本人間を仕掛けるんだが、確かに考えてみれば人間がそれをするのはおかしいんだろう。
仕方ない。正直今から間に入ったってどうせすぐに死ぬとは思うが、一応助けに入るか、と思ったちょうどその瞬間、【ダメになりそうなときにただ傍で穏やかに見守っていてくれるドラゴン】の頭のような部分がバッカリと六つに割れ、中から触手がコーンと飛び出して、さっきまで死に掛けだった死体を飲み込もうとしたので、仕方なくささっと駆け寄り龍殺しの大鑢でゴリッと絞めて、そのまま逆鱗を回収した。この逆鱗に《空気操作》のアビリティが残ってて、癒し効果だなんだって、結構良い値がつくんだよ。




