君のサンタクロース
わたしの家、サンタさん来たことない。
うつむいたままポツリと呟くあいつに、オレは思わず「うそだろ?」と言ってしまった。
小学一年生のクリスマスイブ、その日はちょうど二学期の終業式だった。昼までで学校が終わって、楽しい冬休みの始まり。下校中の話題が、冬休み最初のイベント、クリスマスのことになるのは自然なことだった。
オレとあいつは特別仲が良かったわけではないが、帰る方向が同じで、互いの退屈しのぎによくくだらない話をした。その日も他愛のない話の一つとして、「サンタクロースのプレゼントに何をお願いする?」と切り出したのだった。
秘密のほしいものリストのうち、いくつかを打ち明けたオレに対し、あいつは何も欲しくないと言い張った。なんでだよ、それじゃサンタさんが困るだろ? そう訊いたオレに、あいつは言ったのだった。
「わたしの家、サンタさん来たことない」と。
ランドセルの背負いひもを握りしめてうつむくあいつ。寒さで白くなった手がますます血の気を失う。その姿を見ていると心臓が雑巾しぼりにあうような心地がしてきて、オレは必死で言葉を継いだ。お前みたいな良い子のところにサンタが来ないはずがない。今まではきっと、ちょっとした勘違いとか、間違いとか、そういうのが偶然に重なっただけなんだ。だから、今年は絶対来る。
あいつはもともと明るいタイプではなかったけれど、こうも分かりやすく落ち込まれると心配になる。元気になってほしくて、とにかく焦りながら、いろんな言葉を捻りだした。その甲斐あって、あいつは別れ際、ちょっと笑ってくれていた。遠慮気味に、でも、正真正銘の笑顔で。
「今年は来るってしんじるね」
そう言ってくれたその時、オレは確かに嬉しくて、どこか誇らしい気分にさえなった。
しかしその気分は、一夜にして罪悪感へと形を変える。
その夜、オレはサンタの正体を知った。そして、あいつの家にサンタが来ない理由を悟ったのだ。
あいつはチビでガリガリで、勉強もできなければ運動もからっきし、のろまでどんくさい、いじめられっ子の標本みたいなやつだった。父親をなくしていたことも周囲の偏見に拍車をかけていて、おかげであいつは、いつも暗く縮こまっていた。
オレもあいつと線を引くよう、クラスのリーダー格から命令された。しかしオレは従わなかった。人に無視されたり嫌がらせをされたりすることの痛みはちゃんと想像できたからだ。幸いオレはそのクラスのリーダーよりも顔も頭も運動神経も、ほんの少しだけ秀でていて一目置かれていた。なにかにつけ独りになりがちなあいつのそばについていても、悪意を向けられることはなかった。
クラスの他の誰よりもそばにいて分かったことは、どうやらあいつにはまともな母親もいないらしいということだった。あいつの家はいつもビールの空き缶などのごみが散乱していて、使用後の食器や洗濯物でできた山があった。あいつが家に帰って最初にやる仕事がそれらの片づけで、オレも手伝ったことがある。そんなふうに部屋を散らかすだけ散らかした当の母親の姿を、オレは一度も見たことが無い。あいつが家にいる間はいつも不在のようだった。
思えばあのクリスマスイブのずっと前から、オレはあいつの「不幸な」生い立ちを見ていて、知っていたはずだった。それなのに、なぜ中途半端に、希望を持たせることを言ってしまったのか。サンタの正体を知らなかったとはいえ――いや、知らなかったからこそ、子どもたちの夢と希望の象徴であるサンタクロースに、あいつにも希望を与えてほしいと願ってしまったのかもしれない。
オレが中途半端に見せた夢が壊れた後も、あいつは変わらなかった。変わらず、オレがそばにいけば控えめに笑って、普通に話した。あいつに対するいじめも偏見も、オレ一人の力では改善させることが出来ず、かといって悪くなることもないまま、時間が流れた。
小学二年生の十二月、オレはもう、サンタに幻想を抱いてはいなかった。だが、まだ信じている周囲の奴らの夢をわざわざ壊すようなことはせず、適当に話を合わせた。あいつに対しては、クリスマスの話題を出すことも、憚られる自分がいた。帰り道の会話は、とにかくくだらない、思い出すことさえ難しいような話で間を埋めた。そんなオレの不自然さに、あいつは気づいていたのだろうか。
時折発生する会話の空白ごとに、あいつは赤くなった指先を吐息で温める。けれどたまにそれとは別に、小さく溜息をついた。それが一体何に対するものなのか、オレには全く理解できなかった。溜息を吐かれるということにも、理解できないということにも小さな苛立ちを覚えた。
思い切って訊ねると、答えではなく問いが返された。
「サンタさんって、ほんとうにいるとおもう?」と。
その後どうしたかは覚えていない。気づけば息を切らして家の前に立っていた。振り向いて、あいつが追ってきていないことにホッとする。と同時に、罪の意識が胸を刺す。
あいつの口調は、オレを責めるものではなかった。淡々と、ただ静かに、問うてきた。それだけ、なのに。
ボーっと突っ立っていたオレを、誰かが後ろから小突いた。
「なんで入らないの? ジャマなんだけどーぉ」
姉に背中をぐいぐい押されながら、しぶしぶ家の中に入る。玄関に入った途端、オレを放って先に駆けていく姉。その服装を見て、目を見張った。
「……なにそれ」
オレの言葉に振り向いた姉が、ふふんと自慢げに笑う。
「何って、見てのとおり。サンタクロースよ!」
赤いコートに、赤いスカート。ご丁寧に色画用紙製の帽子まで被っている。
「うちでクリスマス会することになったから、衣装借りてきたの! 似合うでしょ?」
「バカじゃねーの。サンタなんて、実在しないオッサンだろ」
「バカはあんたよ」
姉は上機嫌にターンすると、人差し指をオレに向けた。ビシッ! と、音がしそうな勢いで。
「サンタがいないなら、なっちゃえばいいじゃない!」
ドヤ顔で放たれた姉の一言は、オレに一つのひらめきを与えた。
自分の部屋に駆け込むと、即座に貯金箱をひっくり返した。何を買う目的もないまま、地道に貯めてきたお小遣いだったが、どうやら役立つ時が来たようだ。
「なあ、姉ちゃん。女の子ってどんなものあげたらよろこぶ?」
姉が目と口をぽかんと開けたまま固まった。
「女の子に? あんたが? 何かを……あげる?」
信じられないものを見るような反応だったので、オレは仕方なくあいつのことを話すことにした。サンタが来たことのない女の子。母親と二人だけの暮らしの様子。そしてオレが中途半端に持たせた期待。
それらをふんふんと頷きながら聞いていた姉は、オレが話し終えると盛大な溜息をついた。
「あんたって、なんか小二っぽくない気がする」
悪かったな。
「……でも、すごく優しい子ね」
よしよし。姉に頭を撫でられながら、オレは思った。サンタが一度も、家に来なかったというあいつのことを。あいつは一度でも、誰かにこんなふうに頭を撫でてもらったことはあるのだろうか、などということを。
あんたの気持さえこもっていれば、何だっていいんじゃない。
そんなアドバイスにもならない言葉を受けて、オレはプレゼントを選んだ。あいつは何が好きだろうか。どんなものが一番嬉しいだろうか。それは普段のあいつをよく知らないと分からないことだ。あいつのことを真剣に想わないと分からないことだ。少なくとも普段あいつの一番近くにいるのはオレなのだから、誰よりもあいつが喜ぶものを選びたい。
悩んだ末にようやく決めたものをラッピングしてもらい、12月25日、あいつの所へ持って行った。
赤いリボンのかかった水玉模様の袋を差し出すと、あいつは目を丸くした。
「サンタから、お前へのプレゼント。ちょっと事情があってオレのところに届いたんだ」
一体どんな事情があったのかと突っ込まれるのが怖かったが、あいつは何も言わなかった。驚きの表情のまま、ぎくしゃくと腕を上げて、袋を受け取った。
「……ほんとうに、わたしの?」
信じられない、というように訊いてくるので、オレは信じられるまで何度も頷いてやる。
手の中の感触にようやく実感がわいたのか、あいつの顔には徐々に喜びの色が浮かんできた。
「ありがとう」
にっこりと笑うその顔に、オレの心はあたたかいもので満たされていく。淡く、甘く、胸の奥底で何かが疼くような心地がした。
まるでオレの方が、プレゼントを貰ってしまったようだった。
オレが姉に話したことがどこからどう伝わったのか、年が明けてほどなくして、あいつが引っ越すことが決まった。育児を放棄した実の母親とは離れ、新しい生活を始めることになったのだ。
新しい住所を教えてもらい、最初はよく手紙のやり取りをしていた。けれどその間隔は徐々に開いていき、次の冬を迎える頃にはほとんど途切れていた。たまにしか届かなくなった手紙からは、あいつが今度こそ大切にされ、幸せに過ごせていることが伝わってきた。今もあいつの辛い思い出の場所にとどまる俺は、関わりを絶った方がいいと思えるほどに。クリスマスだって、オレがプレゼントを贈らずとも、あいつの元にサンタは来ると確信できた。
結局あの年が、オレがサンタになった最初で最後のクリスマスになった。
***
俺がサンタのまねごとをしてから、12年が過ぎた。
「はー……結局クリスマスも一人か……。あー彼女欲しい」
コンビニの品出しをしながら、人知れず愚痴が零れた。大学の仲間たちのクリスマスは、彼氏・彼女持ちなら楽しいデートで、独り身なら忙しいバイトで、それぞれ予定が埋まっているのだった。何も考えずその日のバイトを休みにしていた俺は、一人寂しく過ごすことが決まりかけていた。
……今からでも、シフト入れるべきか?
期間限定でも彼女を作る、という選択肢は存在しなかった。
寂しさか忙しさか、どちらにしても切ない二択を脳内で天秤にかけていると、レジの前にお客さんが立つのが見えた。もう一人のバイトも手が放せなさそうだったので、すぐにレジに戻る。
業務用のスマイルを浮かべ、客の女性が差し出した払込書を受け取る。ネット通販の支払いか、と思いながらバーコードリーダーを当て、ふと、そこに書かれた名前に目が留まった。
一瞬で、あのクリスマスの幼い笑顔がよみがえる。
思わず、名前を読み上げながら、顔を上げていた。
俺を見つめる女性の表情が、驚きに染まる。女性の口からこぼれた俺の名前に、確信を得た。思い出の中の顔と、目の前の女性の顔とが重なって、俺は何とも言えない懐かしさを感じていた。同時に、プレゼントを渡したあの日に覚えた感情が湧き上がってきた。あたたかく、甘い。
――このまま、何も無いまま帰したくない。
「もうすぐバイト上がるから。待っててくれないか」
思わずそう言っていた。
待っていてほしいと言ったものの、彼女が本当に待っていてくれるかは賭けだった。いつも以上に手早く着替えを済ませると、緊張しながら外に出る。店の前で立っている彼女の姿を目にした瞬間、少しホッとした。
「ごめん。呼び止めて」
「ううん。私も、ゆっくり話がしたいと思ってたから。嬉しかった」
12年ぶりに会う彼女は、綺麗になっていた。綺麗な、大人の女性になっていた。いかにも不幸そうな暗いオーラは消え、かわりに清楚で落ち着いた雰囲気をまとっていた。
周りの男は放っておかないだろうな。クリスマスも、きっと一緒に過ごす相手がいるのだろう。そんなことを思った。
駅までの道を歩きながら、俺たちは離れていた時間のことを話した。聞けば同じ市内の大学に通っているらしく、俺と生活圏が重なっていた。彼女も大学から一人暮らしを始めたというが、家族との関係は良好で、しょっちゅう実家に帰っているらしい。
「こんなふうに今が幸せなの、君のおかげ」
彼女はそう言ってくれたが、俺は何もしていないし、出来なかった。ただ、サンタを演じて、ささやかな贈り物をした以外は。今の彼女の幸せは、彼女自身が周囲の人と築き上げてきたものだ。彼女が努力して、手にしてきたものだ。
けれど彼女は、俺の言葉に首を振る。
「頑張る勇気は、君がくれたの。今も……ほら。お守り代わりにしてるんだ」
彼女が見せてくれたのは、子ども用の赤い手袋。あの年のクリスマスに俺が贈ったプレゼントだった。
あの日、普段の彼女の様子を思い出そうとして最初に浮かんだのが、かじかむ手を温める姿だった。手袋をなくしてしまった彼女は、新しいものを母親にねだることも出来なかったのだ。
「私のためにサンタさんになってくれて嬉しかった。考えてみれば私、ずっと貰ってばっかりだったんだよね。どんなにみんながいじめても無視しても、いつも優しくしてくれて、仲良くしてくれて。だから、今度は私があげたいの」
彼女は深呼吸すると、意を決したように再び顔を上げた。やや頬を赤くしながら、まっすぐな目で俺を見つめてくる。
「クリスマス、一緒に過ごす女の子。いりませんか? わ、私なんかが図々しいかもしれないけど。私で良いって、思ってくれるなら……」
思ってもみない言葉に、ついまじまじと彼女の顔を見つめてしまう。赤い彼女の顔がますます赤くなっていき、とうとう耐えられなくなったのか、ついと目を逸らされた。その表情はどこか色っぽく、他の男の目にも留まっていたならば――などと想像すると落ち着かない。
「そういうこと、他の男にも軽々しく言ったりしてないよな?」
「そんなこと出来ないよ! 君だから、だよ。君だけだもの、クリスマス、二人で過ごしたいと思えるの」
自分から呼び止めたのだから、あわよくば……とは思っていた。が、思っていた以上に都合の良い展開に戸惑った。「俺だから」、「俺だけ」。いかにも詐欺師が舌先三寸で吐きそうな甘いセリフではないか。しかし俺の知っている彼女は詐欺師とは正反対の人間だし、今も耳まで真っ赤としか表現できない顔を演技でしているとは思えない。むしろ騙される側だろう、彼女は。
「そういうこと言ってると、都合のいい女扱いになるぞ」
「そ、それでも」
「馬鹿か!」
思わず大声が出ていた。彼女がしゅんと縮こまる。胸の前で握り込まれた手が、微かに震えている。
「……いや、馬鹿は俺か」
都合の良すぎる展開に動揺し、思考が横道に逸れっぱなしだったが、これは千載一遇のチャンスだ。掴みに行かなくてどうする。
彼女のバッグから、大人の女性用のベージュの手袋がのぞいている。今の彼女は、母親に手袋をねだることも出来なかった子供ではなくなったのだ。
「クリスマス、どこに行きたい?」
俺が問えば、彼女はあのクリスマスの日、プレゼントを差し出された時と同じように、目を丸くした。けれどその表情も一瞬の後に、ふわりと柔らかい笑顔に変わる。あの日の面影を残す笑顔は、やはり俺の心をあたたかく甘い感情で満たしていったのだった。
そして俺はその弾む心地のまま考えるのだ。今年は彼女に何を贈ろうか、と。