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めぐる季節

その碧はメモ代わり

作者: ほしぞら

 短編小説は初めて投稿します。

 せっかくなので、八月が終わる前に夏らしいものを、と思い執筆しました。ギリギリでしたが…。

 よろしくお願いします。

 海はあおい。

 空もあおい。

 私の制服のリボンはあおい。

 この前買ったシャーペンもあおい。

 学校の近くにあるスーパーの看板はあおい。

 私のお気に入りのストラップもあおい。

 ラムネの瓶だってあおい。


 だから全然、おかしなことじゃない。

 彼の名前があおくたって、そんなのは偶然で、まったくおかしくない。



     1



 蝉が大合唱している外から隔絶されたように静かな空間。透明な窓ひとつ隔てただけでずいぶんな差だなと思う。わずか一週間で儚く命を散らす虫の鳴き声の代わりにそこには機械が静かに蠢いている音ばかりがして、快適ではあるのだが、多分ひとりでは耐えきれない気味悪さだろう。何十人という人数を収容することが前提の広いこの教室ではそれも道理であるのだろうが。

 夏休みの今、そこには想定より少ない数しか人影はなく、補習という性質上呼び出された人間は当然ながらそうされるに値する学力の者ばかりで―――要するに成績の悪い者ばかりで―――教師にはバレバレだろうに舟をこいでいる生徒も少なくない。己の首を絞めるとわかりきっているのにそうなってしまうのはそこまで勉強という行為を忌避してのことか、はたまた人間の本能を優先させた結果だろうか。なんにせよ、真面目にやれば補習で課される課題も終わらせることのできる彼らと違い、私はそう器用ではないので今日も今日とて暑いなか学校に出てきて真面目に教師の話を聴いている。真面目にと言いながら横道にそれた思考回路をたどっていたことは否定しきれないが。

 もう一度、容赦ない日差しが降り注ぐ外を眺める。ついで、来る途中目にしたこの近くの大きな通りで行われる祭りのポスターを思い出した。毎年催されるもので、多くの出店が並んでしばらくの間あの界隈をにぎやかにするのだ。あの、人の気分を高揚させる空間が私は決して嫌いではなかった。先ほどの休憩時間、右後ろに座る男子が友人に帰り寄っていこうと誘っているのも耳にした。同級生問わず、あの祭りに足を運ぶ人は多いだろうなと私は思った。

 そうこうするうち、時間になって教師が「今日はここまで」と解散宣言をし、プリントを集める旨を述べると、寝ていた者たちが慌ててプリントの空白を埋め始めた。それを横目で見ながら私は教卓の上にプリントを置いて教室を出る。

 一歩出るだけで異空間に変わったように湿気と熱気に包まれ辟易とする。学校から家までは徒歩十五分。普段ならなんでもない距離が今日ばかりは果てしない。

 廊下へ出て、近くのファーストフード店で時間をつぶして涼しくなったころ帰ろうかと算段をつける。今月のお小遣いは先月あまり使わなかったこともあってまだ余裕があることだし、それで問題ないだろうとそのつもりで歩き出し―――前方から歩いてくる人物に無意識に足が止まった。

 眼差しはまっすぐ私の眼を見ていて、表情は少し硬い。ああ、これはよろしくない傾向だ。冷静に分析している私は多分、悲しいとかつらいとか、そういう過程を通り越してしまったのではないかと思うのだが、どうにもずっとうずいて消えない胸の痛みは健在なので判断をつけかねている。もう傷の度合いとしては瘡蓋(かさぶた)といったところだろうから、できれば無理にはがさないでほしいのだが。

彩乃(あやの)

 呼ばれ、返事をする前に彼は次の言葉を告げた。

「今日、祭りに行かないか」

 ふたりで。

 聞こえなかったそれを汲み取って、私は逡巡したのち、頷いた。

 蝉の声がようやくかえってきたのは、彼が立ち去ってその後ろ姿まで消えたころだった。



     2



 私、笠森彩乃(かさもりあやの)と彼、一条蒼汰(いちじょうそうた)は幼馴染である。

 言葉もわからない子どものときから現在に至るまで下の名前で呼び合うのが自然だったので、彼が私の名を呼び捨てにするのに特別な意味はない。それを周りが邪推し茶化すような時期は小学生で打ち止めだったし、そういうことがあっても彼が別段気にした様子もなく呼んでいたので、今も私は彼を「蒼汰」と呼ぶ。もっとも、不器用なせいか努力と成果が見合わない私と、なんでも器用にこなし今や生徒会にも入っている彼は接点も減り、最近は人前で名前を呼ぶことはおろか面と向かって会話することすら少ない。

 ただ、その少ない会話をさらに減らしてほぼ皆無な状態にしてしまったのは、丁度一年前の私の行動が原因だった。

 一年前の高校一年生の夏、笠森彩乃は一条蒼汰に告白した。

 高校に入り、目に見えて蒼汰が目立つようになって、多分私は内心焦っていた。多分、なのは、今もなぜ告白してしまったのか、自分でもよくわからないからだ。少なくとも放っておけば隣にいることは可能だったろうし、蒼汰が彼女をつくろうが私との関係を崩そうとは彼は考えないだろうと頭では考えていた。それなのに告白したのは、感情の部分がそれに反発した作用かと思う。だがそれがおよそ「嫉妬」という名でくくられる感情かと言えば、そうでもないのだ。

 彼に「好きだ」と言い切ったとき、胸を満たした感覚は達成感だった。ずっとそのままでいたってかまわないのに、あえてその想いをぶつけたのは変えたかったからだと確信した。そしてようやく変わるのだと、そのきっかけを作ったのだと満足した。そのとき、返事がどうあろうがかまわないと確かに私は思ったのだ。

 幼馴染という地位に甘んじ、蒼汰が誰かに変えられていくのを見るより、多少疎遠になろうが彼との関係性を私がはっきり変えるほうがよっぽどましだった。関係が壊れようとそれがふたりの築いたものには違いない。誰かに介入され変容する前に、何かしらの形にしてしまいたかったのだと思う。たとえそれが嫌われるという結末であろうと受け入れるつもりで私は彼に告白をした。

 今となってはそれが間違いだったことは否定しようのない事実であり、唯一叶うはずだったふたりの関係の変容という願いも、結局は届かぬまま終わったけれど。



 蒼汰は告白した私に向かって言った。

「少し、考えさせてほしい」

 それを私はひとつ頷いただけで肯定し、その場は別れた。次の日から何事もなかったようにお互いふるまった。私は当時妙にすっきりした気分であとはなるようにしかならないだろうと開き直っていたので、おおむね普段通り過ごした。彼も、もしかしたら内心穏やかではなかったのかもしれないが表面上変わったところは見られなかった。

 そして――――そして、お互い自然に過ごし、秋が来て、冬が来て、春が来て、再び夏が来て、現在。

 依然、彼は私に告白の返事をよこしていない。



     3



 祭りでしか聞けない浮かれたお囃子の音に惹き寄せられるようにふたり、並んで歩いた。

「今日、生徒会だったの?」

 疑問の形をした断定の言葉に蒼汰はうん、と言った。だろうなと、言い当てたことにさほどのうれしさも覚えず私は思った。彼の成績で夏休み真っ只中の学校に呼び出されるわけはないし、私を祭りに誘うためだけに学校に来るわけもないのだ。そんな非効率的なことを蒼汰はしない。器用で、要領のいい彼はいつだって最短で最善のルートをたどっている。だからこそ、今日まで返事をもらえなかったのは意外だった。それも何か考えがあってのことだろうと思うからこそ、待っているとも言えない状態を延々続けていたわけだが。

 今日、こうして誘われたことでなんだか脱力していた。張りつめた糸を無理やり切られてしまった。他に表現のしようがないほど、諦念が胸を満たした。

 制服を着たまま、学校から直接来たのでまだ辺りは明るいが、そろそろ日が落ちるだろう。夏特有の生ぬるい風を浴びながら長い髪が鬱陶しくなって背中に払う。首筋から手を差し入れて後ろへ流す慣れた仕草に蒼汰はぽつりと言った。

「髪、伸びたね」

 こういうとき、なんと切り返せばいいのだろうと私は思案した。私の髪は腰まで届くほど長い。昔から背中にかかる程度に揃えてはいたが、間違いなく過去最長の長さだ。少し癖のある髪はゆるく波打っていて、毛先はあまりに放置したせいか傷み始めている。

 一年前から切っていないのだと言ったら蒼汰はどんな顔をするだろう。

「……暑いから、切ろうかなとは思ってたんだけど」

 ずるずると伸ばしてしまった。切るということは、認めるということだ。そのことを、彼は知らないけれど。

 本題に入らないで、あてもなく祭りの喧騒をそぞろ歩いた。普段見慣れないりんご飴、最近食べていないたこ焼きに定番の金魚すくい、昔は見なかったスーパーボールすくい、それらを楽しげに手に取り、あるいはやっている親子やカップル。少し前を歩く私より背の高い背中に目を移す。昔は私のほうが大きかったのに、今では到底競えないほど差がついてしまった。

 不意に、何を見つけたのかその背が出店のほうへ逸れていく。私はとっさに見失うまいと歩を進めたが、前から走り抜けてくる子どもたちが横切ったのに気をとられ、次に目を向けたときには見失っていた。この人の多さでは下手をしたら合流できなくなる。早く追いかけるなり、連絡を取るなりすべきだとわかっていたが、足が一歩も動こうとしなかった。

 胸を満たしていた諦念はえもいわれぬぐちゃぐちゃの感情に塗り替えられて真っ黒で、ふつふつと湧き上がる怒りにも似た激情は簡単につま先の方向を変えた。ゆっくりなぞるように彼と歩いた道を蹴飛ばすように荒い足取りで引き返す。知らない。あんなやつ、知らない。

 一緒に歩いている私に一声もかけずどこかへ行こうとしていた背中が答えなのだ。どうせ一年も前の告白なんて忘れている。今彼女がいたって不思議ではない。器用で要領のいい蒼汰が選んだものがこれだというのなら、私にだってとるべき態度というものがある。

 瘡蓋(かさぶた)はとっくにはがされてどくどくと血を流している。その痛みのせいか、あるいはそれを無視しようと躍起になってのことか、途中から駆け足になっていた私は家まであっという間にたどり着いた。玄関を開け、靴を脱いだと同時、鞄の中で着信を告げる振動が伝わってきたけれど知らないふりをした。

 どうしてときどきこんなに鈍くて残酷なのだろう、あいつは。

 自室に戻りベッドの上の枕にしがみついて唇を噛みしめた。間をあけて聞こえてくるバイブ音がうるさい。やっぱり行かなければよかった。そんなこと、はじめからわかっていたはずなのに。

 だって、私が告白したのも、あのお祭りの日だったのだから。



     4



 好きです。付き合ってください。

 こういうシチュエーションで使い古されたお決まりの台詞を告げ、私は睨むように蒼汰の眼を見据えた。そのときはまだ、胸がすくような達成感とばくばくと全力疾走する心臓を両方抱えていた私は、達成感にばかり目を向けることで恐怖を押し殺していたのだと思う。そうでなければ勇気が出なかったから。

 私たちはやっぱり制服姿で、でもそれは今年のように私が補習で彼が生徒会で、というわけではなくて、単に登校日の帰りだったからだ。それから、祭りに誘ったのはなぜか彼のほうで。私は好都合とばかりにその場を借りて告白した。

 出店の並ぶ通りを抜けて、人は依然多いものの祭りの中よりは静かだった。連日の猛暑で昼間の熱を残すアスファルトがローファーの下から伝わってきて、つうっと汗が首筋を撫でたのを感じた。蒼汰の目は驚きに見開かれていて、真ん丸になっていた。クラスメイトにも名前の知らない誰かにも分け隔てなく接し、いつも穏やかで誠実そうな笑みを浮かべている整った顔立ち。背はやっぱり私よりは高くて、男子の中では華奢な印象を残す身体つきはでも、やっぱり男のものだなと思った。

 私と彼の手には昔懐かしいラムネの瓶が一本ずつ握られている。暑いねとひとり言のようにつぶやいた私に気を利かせて蒼汰が買ってきてくれたあおい瓶。ラムネ玉をころころ音高く鳴らしながらのどを潤して、もう一度祭りの中に入ろうかと言いかけたのだろう蒼汰の言を遮っての告白だった。

 私は蒼汰から決して目を逸らさなかった。動揺に揺れる瞳を観察し、耳を澄ませて返答を待つ。数分、いや、多分数秒だっただろう間のあと。蒼汰は口を開いた。

「少し、考えさせてほしい」

 がっかりしなかった、と言えば嘘になる。達成感に浸るにしろ、何かしらの成果がないと精神的にもたないだろうと思った。その時点で答えがどちらでもいいなんて強がり以外の何物でもなかったことにどうして気づかないのか。今の私には理解に苦しむ。

 何はともあれ、それ以上彼から引き出すのは無理だと悟り、私は容易く首肯した。

 それが一年宙ぶらりんのまま待たされるきっかけになるとも知らず。



 顔をあげたのはわずかに残っていた太陽も完全に地平線の向こうに消え、真っ暗になったころだった。うたた寝していたのだろう。まとまらない思考と先ほどの出来事を思い出し、唸る。

 机の上には写真立てやペン立ての置いてある一角に、きれいに洗ったラムネの瓶が鎮座している。あのまま別れた私と蒼汰はそれ以外何も買っておらず、私の手元に残った彼と出かけたという証はそれだけだった。捨てるには惜しくて、迷った末にそこに置いた。以来、一年ずっとそこを占領している。

 独特の形状は見ていて飽きないものでもあるし、手に取って振ると澄んだ音が漏れる。ずっと置いておくつもりはなかったにせよ一応洗ったのに、清涼な香りはしばらく残っていた。思えば、馬鹿なことをしたものだと思う。

 ラムネの瓶を――――叩き割ったとして、そこに生まれるのは甘いだけの炭酸水にまみれたガラス玉と夏の残骸だけなのだ。捨て去ることで何かが壊れるなどあり得ない話で、後生大事にとっておくなど愚の骨頂である。なるほど恋は人をかくも愚かにするものらしい。

 どうしようもない愛おしさと恐れ。ラムネの瓶に刻まれた感情は鮮明で、理性とは裏腹に捨てなかった原因も理解できてしまうものだから性質(たち)が悪い。

 でも、もうそれも終わりだろう。

 返事を待たせておいて一年前を想起させるような場所に連れていく無神経さは、要するに、そういうことなのだろう。いい加減、彼が答えを出さず現状を維持する気なら私は私なりにそれに抗わなくてはならない。本当に望んだ形は手に入らないにせよ、せめて変容という目的だけは遂げても構わないはずだ。

 明日、蒼汰を呼び出して告白を撤回しよう。「もう好きではない」と伝えよう。それで幼馴染という関係も、この奇妙で間に合わせのような時間も終わる。

 ピンポーン、と間抜けな音が響いたのは、その決意を固めたのち、とりあえず制服を着替えようとあおいリボンに手をかけたときだった。



     5



 一定の間隔をあけて何度も押されるチャイムの音に訝しんで階段を下り、リビングをうかがうと明かりがついておらず人の気配もしない。そういえば今朝、父は仕事で遅く、母は高校以来の友人と夕食に行くからよろしくねと言われた気もする。眠気に負けて聞き流していたが。

 仕方がないので外しかけていたリボンをもう一度きっちりと直し、適当にシャツのしわを伸ばしてインターフォンをとる。はい、と言った声は向こうから聞こえた声音にかき消された。

『俺、蒼汰』

 開けて、と催促され、しばらく絶句していた私はわかったと返した。彼なら納得がいく。同時に理解できなかった。チャイムを鳴らし続けたのは私が家にいるとわかっていたからなのだろう。それはわかるのだが、ここで訪ねてくる神経がわからない。

(ああ……でも、蒼汰には当たり前なのか)

 ほんとうに彼が何も考えていない――もとい、忘れているのならば、突然いなくなった「幼馴染」の無事を確認するのは至極当然のことかもしれないと思い直す。私はひとり声を抑えて笑った。なにも、とどめを刺さなくてもいいものを。どうせ明日私が終わらせる予定だったのだから。とはいえ、無駄に引き延ばさなくてよかったとも思う。また何かの要因で一年も待たされたのではたまらない。

 適当なサンダルを靴下の足で引っかけ、鍵を開けてドアを開く。几帳面にネクタイを結んで着崩れない制服のまま蒼汰はそこにいた。肩にかけた鞄は中身がないのがわかるほどぺたんこで、代わりのように手にそのまま持ったラムネの瓶が二本あった。反対の手には先ほどまで操作していたのであろう携帯が握られている。

「急に帰るなよ。電話でないしメール返ってこないし、心配するだろ」

「……ごめん」

 純粋にそう思っていたことがわかる声音で諭され、私は素直に頷いた。いかに蒼汰が私の気に障ることをしたといっても、突然いなくなれば迷惑をかけるのも心配されるのも当然だ。彼は私の心の内など知らないのだからなおさら。

 なぜ帰ったのか蒼汰は訊かなかった。ただ、ん、と言ってラムネの瓶を差し出す。それを見て私は上がりなよと言った。蒼汰にとっても実家のような場所だ。異存はなかろうと思ってドアを開いたまま身体を避け、道を作ったのに蒼汰は首を横に振った。

「…いや、いい。ここで話そう。ラムネ飲んでていいから聞いて」

「……なに」

 蒼汰はじっと私の眼を見た。私も無言で見つめ返す。

「…一年前の、お前の告白のこと」

「覚えてたんだ」

 皮肉気な口調になったのは不可抗力だった。覚えていたのに今日、あの祭りへ連れて行ったのかと。これ以上傷をえぐる気なのかと訊きたかった。蒼汰は来た時と変わらず静かな色をたたえたままの双眸で私を見た。双方の手にはラムネの瓶、制服姿、そして夏。符号の一致が際立ってますます追い込まれていく。

 息を吸う音が遠くでして。


「好きだよ」


 唐突な告白に、幻聴かと思った。

 さもなくば、彼の気が狂ったのだろうと。

 凍り付いた私を置き去りにして蒼汰は動じることなく私を見ていた。次いで出てきた「ごめん」という言葉に余計混乱する。「好きだよ、ごめん」。単体で聞けばこれほど簡潔でわかりやすい言葉もないと思うのに、難解な数式でも聞いたかのようにさっぱり意味がわからない。それは彼の記憶を刻んだここにあるのとは別のラムネの瓶を思い出したからかもしれないし、一年前の告白を肯定した前半と後半の三文字がかみ合わないせいかもしれなかった。

「………」

 なにも言えずにいる私を見て蒼汰は再度口を開いた。

「本当は、去年言うつもりだった。お前が言ったタイミングと場所で」

 先、越されたけど。苦笑する彼に頭が熱くなってのどから声を絞り出した。震えているのを承知で言う。

「………じゃあ、なんで返事しなかったの」

 答えようとする蒼汰の口を手でふさいで言い募った。

「なんですぐ返事くれなかったの? 意味、わかんない。今更好きとか言われても信じられない。一年待たせて、またお祭りに誘う神経もわかんない! わかりたくもないし知らない!! ばか!」

 幼稚な罵りしか出てこなくて、それすら震えて力ないことが悔しくて仕方ない。代わりに滲んでいく視界の中蒼汰の胸を拳で叩いた。ラムネの瓶をとっておいたこととか、祭りのポスターを見ても行こうとは思えなかった自分がいたこととか、ずっと髪を切りに行けなかったこととかがごちゃごちゃに入り乱れて感情が噴き出す。どん、どんと何度もその胸を叩いて、その程度ではびくともしない身体にやっぱり涙があふれて。どうしてこんなに心を乱されているのかと歯を食いしばってもどうにもならない。意地を張らなければすぐにでも手に入るはずの幸せはこの一年ですっかりひねくれたせいかとても手を伸ばせず、できるのはそうさせた彼をただ言葉と態度で傷つけることだけだった。

「……ごめん。悪かった。でも俺も悔しかったんだ」

「……………なに、が……」

「俺が告白しようと思ってたのに、って」

「…………は?」

 場違いな心情の吐露に思わず顔を上げた。涙でとても人前にさらせないような顔であることも忘れて蒼汰の顔を凝視する。いつの間にか目から絶え間なく落ちていた雫も鳴りを潜めていた。

「なのに、先に言われてさ。うれしかったよ? うれしかったけど、情けなかったし…。これで普通に返事したらなんか、無理に俺が付き合わされたとか、彩乃は思いそうだし」

 否定しきれなかった。イエスの返事を受け取る準備はそういえばさっぱりしていなかった気もする。想定するのは悪かったときのことばかりで、良い返事だったときのことはまるで考えていなかった。なるほどこれで付き合おうと言われたところで、私は不安にしかならなかったかもしれない。

「…だからさ、仕切り直ししたくて」

「………ばか、でしょ…ほんとに………」

 だからって、一年も放置するかと私は恨めし気に蒼汰を見遣った。困ったように蒼汰は頭を掻き、笑った。

「………それで? 返事は?」

 やわらかな声音で急激に頬が熱くなる。ずるい、ずるいと内心で繰り返しながら、それでもやはり否定の言葉は出てきそうもない。せめてもの意趣返しにラムネの瓶を握りしめてそっぽを向いた。

「………一年の猶予期間を申請します」

「…………まじかよ…」

 けっこう本音らしいつぶやきとしゃがみこんで俯く姿に満足して、私はふふんと笑った。おあいこである。



     6



 一条蒼汰の部屋にはひとつの宝物がある。

 彼はまだ知らないが、それと全く同じ形状のものを彼の想い人である彼女も部屋に置いている。

 あおいあおいラムネの瓶。

 蒼汰のもつそれにはマジックペンで八年前の年号と日付が書いてあり、その日から一度もそこになかったことはない。


 それが蒼汰の初恋を自覚させた代物で、近所で有名な祭りのとき彼女と飲んだラムネの空き瓶であることを彼女に教え、


『だからさ、どうしてもお祭りの日に告白したかったんだよね』


 と、子どものように無邪気に笑う彼にあきれ果てた、といった風情で彼女がため息をつくのは、また別の話。




 fin.




 読了ありがとうございます。

 次回がありましたらよろしくお願いします。

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