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恋の縁術師(the Secret Affair)  作者: 枕木悠
エピローグ
83/85

エピローグ①

 錦景市は八月十六日の正午。

 太陽が果てしなく高いところにあってどこを見ても視界は砂漠にいるみたいにゆらゆらしていて安定しない。朝の天気予報は今年の最高気温を予測していた。

 枕木ユウはキティ・ローリングと一緒に今日も名前のない公園にいた。そして幼稚園児が砂場で遊ぶときに使うような小さなシャベルで公園の真ん中の地面に穴を掘っていた。昨日、當田カナデが真っ赤な薔薇の華束を置いた、ちょうどその場所に、猫一匹埋めるための小さな穴を掘っていた。

「よし、」ユウは額の汗を手の甲で拭ってシャベルを穴の横に突き立てた。「こんなものかな」

 そしてユウは、中国猫のぬいぐるみをその穴の中にそっと入れた。いや、ぬいぐるみと言うにはそれは膨らみに欠けていた。胴体のあらゆる部分がいびつに凹み、左右の耳は体内に引き込まれるようにしてなくなっていた。穴にあるのは中国猫のぬいぐるみの死骸のようなものだった。そしてその死骸にはお腹から鼻先に掛けて包丁で大きく切り開かれた傷跡がある。それは中国猫の中から枕木ジンロウが、リボルバの形をしたカセットテープの再生機を取り出した跡だった。引田センリのスーベニアの中にはそんなものが隠されていたのだ。ユウはそのことに全く気が付かなかった。ぬいぐるみにしては少し重いような気がしていたけれど、まさかそんなものが隠されていたなんて。そしていつ、それが必要とされる場面が来てもいいように、ユウは中国猫を持たされていたのだ。センリの縁術によって。

 ジンロウは早い段階でその存在に気付いていたようだった。最初に背中に刺さっていた風車はセンリのヒントのようなものだったのだ。そして姫様も、中国製の冗談みたいな機械が中国猫の中にあることを知っていた。そしてセンリが一度、枕木邸に帰ってきたこともおそらく姫様は全部お見通しなんだ。

 とにかく。

 その機械のおかげでカナデの命が救われた。それは間違いのない事実。

 そして中国猫の死によって救われたわけだ。

 猫が生贄となり、一人の女の命を救った。

 中国猫の死に触れたってユウは特別に悲しいとは思わない。中国猫のことを最後までユウは可愛いとは思わなかったし気に入りもしなかった。あくまでセンリの縁術によって、抱き締めさせられていたという話なのだ。

 しかしでもきちんと埋葬してそれに手を合わせるべきだとユウは思った。

 だからそうした。

 中国猫がいなければだって、カナデは死んでいたんだから。

 真っ赤な薔薇な華束と中国猫が寂しくないようにキティちゃんのぬいぐるみを埋葬した土の上に置いて、キティと並び、ユウはどうか安らかにと祈った。

「よぉ、少女たち、そんなとこで何してるのよ?」

 声に振り返ればライフラインの精肉部門の主任であり文学者でもありここにかつてあった時計台を愛していた詩人の兄でもある宮沢ケンジがふらりと姿を見せた。お茶のペットボトルを片手にその他には何も持たず、休憩中に少し外の空気を吸いに出てきたという具合だった。

「エリさんのために祈っているんですよぉ」

 ユウは事情を説明するのも面倒なので口を尖らせてそう答えた。いかんせん事情が複雑すぎるし、それにエリのために祈っているというのもあながち間違いじゃない。姫様は多分、そういう意味でユウに華束を持って行かせたんだと思う。カナデのことを救ったのは我らが姫様の縁術の力であるけれど、きっとそれだけじゃない。説明が簡単に付くことばかりのおかげじゃない。それを姫様はよく分かっている。姫様はそういうものに対して無理に説明を付けようとはしない。目を狐のようにして視界を狭めて「けけけっ」と笑って華を手向けたりする。姫様はそういう人だ。

「嬉しいじゃないの、」ケンジは本当に嬉しそうな顔をした。「きっとエリも喜ぶ、エリは確か、真っ赤な薔薇とキティちゃんが好きだったはずだよ」

「ライタありますか?」ユウは聞く。

「ライタ?」

「この前と同じように燃やして送り届けるべきだと思うんです、空に」

「ああ、そうだな、」ケンジは大きく頷き黒いスラックスのポケットに手を入れ潰れた煙草の箱と一緒にライタを取り出した。そして赤いプラスチック性の何の変哲もないライタを手の平の上でしばらく見つめてから彼は首を横に振った。「……いや、まだいい、まだ、まだ燃やす必要はないんじゃないかな」

「まだ?」

「すぐに燃やすには惜しい、この真っ赤な薔薇は、特に綺麗だ、凄く綺麗だと思う、いやこの真っ赤な薔薇が特別ってわけじゃないと思うんだ、もちろん君たちが持って来てくれたものだからスペシャルな薔薇ではあるんだけど、そういうこととは関係なくね、今日はなんだか俺が、この華が特別綺麗だって思ってるんだよ、不思議だよ、今までこの公園の真ん中に華を積んできたのに華を綺麗だなんてあんまり思わなかった、もしかしたらあんまりなんてもんじゃなくて一切俺は、華が綺麗だなんて思ったことはなかったのかもしれない、でもなぜか今日は、この真っ赤な薔薇が凄く綺麗だと思ってる、不思議だ、そして不気味でもある」

「文学者みたい、」キティは目をパチクリとさせてポツリと呟いた。「きっと宮沢賢治の詩集ばかり読んでいるから」

「あははっ、」ケンジは愉快そうに笑ってユウの顔を見る。「だったらこの一つの不思議は君のお姉ちゃんのせいだな、あの娘が言ったんだ、宮沢ケンジのくせに宮沢賢治を読んだことがないなんて信じられないって、いいや、あの娘だけじゃない、そんなことは今まで沢山言われてきた、でも俺はそんなことを言われて宮沢賢治の本を手にしようだなんて思わなかったんだ、でもなぜかあの娘に言われて詩集くらい読んでみようって気になったんだ、そして今ではすっかりイーハトーブの住人になってしまったわけだ、またしても不思議だ、不思議な縁みたいなものを感じるんだよな」

「そしてそれはどこまでも繋がっている、」ユウは立派な雲の天守を築きつつある夏の青空を見上げて言った。「空の彼方までも」

「未来までも、」とキティが歌うように繋げる。「永遠のための未来」

 永遠のための未来。

 昨夜のライブで初めて披露されたコレクチブ・ロウテイションのフーチャという曲は最高だった。永遠に聞き続けたいと思えるほどの、絶対に忘れ得ない曲だった。

「はは、二人の方がよっぽど文学者だよ、小説家にでもなればいい、あるいは、」ケンジは言って煙草に火を点けて白い煙を吐いた。「ロックンローラ」

 そして突然風が吹きユウの髪を激しく乱した。

 火傷しそうなくらい熱い風。

 未来圏から吹いてくる風だ。

 その風にユウの心は少し焦げ、ケンジの言葉と一緒に跡となって、未来まで消せないものになる。

 もちろんそんなこと、このときのユウは思いもしなかったんだけれど。

「それじゃ、少女たち、また会おう」

 ケンジは一本の煙草を吸い終えると真っ赤な薔薇に火を点けることなく早々に仕事に戻っていった。

 そしてこれが始まりだった。

 この公園が華の公園と呼ばれることになる、永遠のための始まりだったのだ。


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