第六章⑨
おしゃべりをしていたら瞬く間に時間は通り過ぎていた。本当に一瞬にして楽しく、そして風雅な時間というものは終わってしまうものだとフミカは再確認していた。
チカリコの思惑通り、コレクチブ・ロウテイションの五人は喫茶ドラゴンベイビーズの狭くて小さな丸いステージの上に登場した。そして今夜のブロック・ガーデンの前哨戦のような形で三十分くらいのアコースティック・ライブが行われた。披露した曲目はどれも普通のライブではやらないレアなものばかりでチカリコを大いに喜ばせた。コレクチブ・ロウテイションの五人はライブが終わればすぐにブロック・ガーデンの方に行ってしまったけれど、お姫様は終始、フミカの嫉妬心を燃え上がらせるほどに至福な表情だった。けれどフミカはコレクチブ・ロウテイションの女たちと戦おうとは一切思わない。彼女たちはお姫様を喜ばせる天才であることは疑いもない事実だし、その天才たちはフミカのことも大いに喜ばせてくれる。だから嫉妬の炎だって、それが燃え上がった証を残すことなく消えてしまう始末がきちんとしたものだった。
コレクチブ・ロウテイションのお姉さまたちとおしゃべりをすることは出来なかったけれど、その代わり、と言っては失礼だと思うけど、フミカたちはエクセル・ガールズの六人のメンバとおしゃべりすることが出来た。彼女たちは全員もれなく喫茶ドラゴンベイビーズで働くメイドさんだから、ホールの仕事をしながら入れ替わり立ち替わりという風に暇を見ては、フミカたちのテーブルにおしゃべりに、またはサボりにやって来た。そんな具合で風雅な時間は瞬く間に過ぎ、気付けば錦景市は夜の六時を迎えていた。いつの間にかエクセル・ガールズの六人は店内から姿を消している。先ほどまで店内にいたエクセル・ガールズ、あるいはコレクチブ・ロウテイションのファンたちもすでにライブが行われるブロック・ガーデンの方に移動し始めている。
「私たちもそろそろ行こうか」フミカはすっかり冷たくなった珈琲を飲み干しチカリコに言う。
「そうね、あ、そう言えば、」チカリコはチカリという風に思い出して言う。「華を買うのを忘れていたわ」
「ああ、そうだね、大変、」フミカは慌てて立ち上がる。「うっかりしてた、急いで用意してもらわなくっちゃ」
コレクチブ・ロウテイションのライブの終わりに華束を彼女たちにプレゼントするということは、すでにチカリコとフミカにとっては儀礼のようなものになりつつあった。一度華束をプレゼントしてしまったからには次もその次もプレゼントしなくちゃならないよね、という具合にその儀礼は今のところ終末の気配を見せることなく続いている。華の種類は特に決まってはいない。一つの種類で華束を作って渡すときもあるし、何種類も混ぜて華束を作ってもらいそれを渡すときもある。そのときのお姫様の気分によって様々で、華束の大きさも変わるときがある。けれどとにかくプレゼントは華束だった。そして華束を買うということはお姫様はともかく、フミカにとっては何か非日常的な特別なことをしているような気がして一つの楽しみでもあった。普通の女子高生が、そうでなくても、華束を渡す機会なんて滅多にないことだ。フミカはこの華束の儀礼が始まる前に、誰かに渡したことも誰かから渡されたこともなかった。何よりもお姫様と一緒に華屋に行き華を選ぶということが素晴らしいと思うのだ。この特別な儀礼をフミカは絶やしたくはなかった。決して忘却してはならないことだ。
「ユウとキティは先にブロック・ガーデン行っていて」
フミカは二人にそう言って会計を済ませチカリコとともに錦景第二ビルに隣接する錦景第三ビルの一階にあるフローラル・デコレーションという名前の華屋に向かった。華が咲き乱れ香りが充満した狭い店内にはお客は誰もいなかった。BGMはスピッツの愛のことば。奥のカウンタでは店長の児嶋さんが口笛を吹きながら手のひらに収まるくらいの小さなサボテンの手入れをしていた。児嶋さんは視線をこちらに持ち上げ背筋を伸ばし溌剌とした声で言った。「やあ、いらっしゃい、華束の少女たち」
華束ばかり買うので児嶋さんはいつの間にか二人のことをそう呼ぶようになっていた。そしてこちらも決まってこう応える。「こんばんは、華束を頂けませんか?」
「本日はどのようにしましょうか?」児嶋さんはカウンタから出てきて両手を軽く広げて二人の方にやってくた。
「今日は急いでて、いろいろ選んでいる時間がないんです、」フミカは言ってチカリコの方を見る。「ちーちゃん、どうする?」
チカリコは華々が咲き乱れている方を十秒間じっとたっぷりと見つめてから歯切れよく言う。「赤い薔薇を」
「オーケぇ、」児嶋さんは親指をぐっと突き立てて頷く。「情熱の薔薇、ローズ・オブ・パッションね」
「ブルー・ハーツ」チカリコが応じた。
薔薇の華束は児嶋さんの手に掛かってあっという間に出来上がった。心のずーっと奥の方に誰にでもある真っ赤な薔薇の華束のイメージそのままだった。涙はそこからやってくるのだ。フミカは薔薇の華束を抱くように持ち、強い匂いを嗅いで陶然となりそうだった。「素敵ね、薔薇の華束って」
「いいね」チカリコは目を細めて笑い満足そうに言ってルイヴィトンの財布を開いて代金を支払った。
「ありがとうございましたぁ」
フローラル・デコレーションを出て二人は急いで錦景第二ビルのエレベータに乗り込み三十四階のブロック・ガーデンに向かった。その入り口付近でユウとキティの和と洋の猫ガールのセットが壁にもたれ掛かるようにして待っていた。そして二人の正面にはシノブの姿も見えた。チカリコとフミカがそちらの方に駆け寄ると、シノブがこちらに振り向き薔薇の華束を見て少し驚いた顔をして言った。「わ、凄いね」
「これは敬愛するコレクチブ・ロウテイションのお姉さまたちへのプレゼントよ」お姫様は上品な口調で言う。
「薔薇の華束なんて初めて見たよ、」シノブはまじまじと華束を観察しながら言う。「こんなものが本当にあるんだね、実際に見てみると綺麗なもんだね」
「心のずーっと奥の方にあるイメージそのままでしょ?」フミカは悪戯に笑って言う。
「は?」シノブは首を捻る。どうやらシノブにブルー・ハーツは伝わらなかったようだ。それから「ああ、そうだ、フミちゃん、」と表情を変えてシノブは言った。「カナデはここに来てるかな?」
「カナデさん? さあ、どうだろう、来てると思うけど、中に入らないと分からないな、連絡付かないの?」
「うん、」シノブはなんだかとても深刻そうに、そして何かとても苛立っているように頷いた。「連絡が付かないんだよ」
そのときだった。
トランシーバのアプリケーションが作動し、五人が持つそれぞれのスマートフォンが激しく震えた。
「至急会同」
ジンロウの低い声が五台のスマートフォンから一斉に響いた。




