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恋の縁術師(the Secret Affair)  作者: 枕木悠
第六章 未来(FUTURE)
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第六章⑥

「そんなことより」

 チカリコ本人にとって髪の毛がピンクになったことはそんなことよりと言ってしまえるほどの些細な変化でしかなかったようだった。しかしその変化は確実に周囲に影響を及ぼし得る変化であり、劇的な変貌という風に見る者に思わせた。チカリコのピンク・ブロンドは観察者の心を破裂させる、鮮烈な色だった。その色を見た瞬間に心は破裂し、体はその中心から引き離されまた急接近し縦横無尽に揺さぶられ、思考する機関はレールから脱線しいつもと違う道を宛もなく進むことになる。要するにいつも通りではいられなくなって、縁術に絡まれやすい状況に囚われることとなる。チカリコのピンク・ブロンドは本人が意図せずして(本人が意図していた可能性も十分に考えられるが)そのような効果を産んでいるようだった。マナミは落ち着きなく視線を動かしながらまるで自分の未来を完全に委ねてしまったかのように、チカリコの次の言葉を待っていた。

「そんなことより、座ってよ、まーちゃん」

 チカリコの声を合図にユウとキティはほとんど同時に立ち上がり、ユウが座っていた椅子を後ろに移動させ、キティが座っていた椅子だけをそこに残し、マナミに座るように促した。

「ありがとぉ、」マナミは猫のぬいぐるみを抱いた二人の少女のことを不思議そうに見ながら小さく礼を言って椅子に浅く腰掛けた。そして彼女は咳払いをして右手で前髪を後ろに流してから、フミカの顔を短く一度見て、そしてピンク・ブロンドのチカリコを眺めた。「それで、ちーちゃん、一体全体どうしてそんな風に変身しちゃったわけ?」

「だからそんなことはどーだっていいんだって、まーちゃん、」チカリコはうっすらと顔に笑みを浮かべ、物分かりの悪い子供を諭すように言う。「私の髪の毛の色のことなんて、今という時間になってすればそれほど、いいえほとんど全く意味なんてないことなんだよ、それ自体も、その動機すらもね、そこには何か意味があるように思うかもしれない、そして実際に何らかの意味が、私が気付いていないところに隠されているのかもしれない、でも今という時間はその何らかの意味を探る運動を無にする特殊な状況に包まれている、包まれ始めている、すでに特殊な状況下にある、だからまーちゃん、今は私のピンクの髪について話す場合じゃないんだよ」

「ピンクの髪について話す場合じゃない?」マナミ口を窄めて首を傾げる。「それじゃあ、何を話す場合なの?」

「まず前提としてここに一つの真実を投下する、」チカリコはいつにない狐の眼差しでマナミを見据えアンテナを伸ばしたようにピンと人差し指を立てた。これはまだ、合図ではない。「人間とは忘れ得るもの」

「忘れ得るもの?」

「繰り返す、」チカリコは口元をはっきりと動かして言う。「人間とは忘れ得るもの、もちろん意味は分かるよね?」

 マナミはしばらく何かを思案する顔をしてチカリコの心を覗き込むように姫様の姿を見つめていた。時折、マナミはフミカの顔も見た。フミカは努めて、感情を表情から消していた。縁術はすでに始まっている。編み結び繋げることはこちらの仕業。あるいは解き断ち切り引き離すことはこちらの仕業。マナミは何かをさせられる向こう側にいる。両者の間にはどこまでもそびえ立つ明確な差異の壁がある。マナミはこっくりと首だけ動かし、おそらく状況のおおよその輪郭を把握し、重力に従ってまっすぐに延びる長い黒髪を僅かに揺らして頷き口元を動かした。彼女にだって震い時代の縁術師の血が流れているんだから。「人間とは忘れ得るもの」

 BGMが変わる。フー・ファイターズのオール・マイ・ライフ。豪快なロックンロール・ミュージックに白拍子たちは踊りのジャンルを変える。しかしどこまでも機械的である、という点に過度な変化はない。

「そう、」チカリコは微笑む。「さて、前置きはこれくらいにして、話を始めようと思う、話というのは、橘マナミ、あなた自身が私たちに持ちかけ片方をこちらに委ねた話だ、つまり森永スズメと當田カナデの人間関係について、確かそうだったね?」

 マナミは頷いた。そして一度目を瞑り、息を大きく吐いた。しかし溜息のようではなかった。「ええ、そうでした」

「これから私が森永スズメと當田カナデについて話すことによってあなたは傷付く可能性があるかもしれない、心が抉られないという可能性の方が私には小さいと思える、私はそう思うのだけれど、あなたは聞きたいと思う? 話を聞くか、聞かないか判断するのはあなた自身、私はそれに従う、けれど私は話をするべきだと思うし、少なくともそちらの方が未来を考えるならば有意義だと思うし、そして例え傷ついたとしても、人間とは忘れ得るもの、そして私は今忘れ得ることを助ける不思議な機械を持っている、確実とは言えないものだけれど私たちが作り得る最良でこの世界にあって上質なものを用意して来ている、だから、まーちゃん、どうしよう?」そしてチカリコは幼い頃の小さくて弱かった彼女に戻ったように(姫様は昔と今とで全然違う)、今にも泣き出しそうな雛鳥のような声を発して言った。「私はまーちゃんのことを傷つけたくないの」

 フミカはセンチメンタリズムの渦の中に落ちる。チカリコの気持ちが痛いほど分かって、彼女のどこまでも深くて広い優しさに痺れ、口元を抑えて泣き叫びたい衝動に駆られた。けれどフミカは今、動いてはならない。縁術はすでに始まっていて、一つの結末に向かって動き出してしまっているのだ。ここでフミカが泣いてしまったら全てが台無しになってしまうかもしれない。少なくとも姫様が現世に蘇らそうとしている、まごうことなき縁術の形としてはそぐわない。我らが使命は縁術の再生なのだ。フミカの泣き声は再生を妨げる不純物になりかねない。フミカは膝の上でぎゅっと拳を握り締め堪えた。涙の膜が瞳にわっと広がった。もしかしたら瞳が頬を伝ったかもしれない。けれどフミカは滲む視界の中でマナミのことをまっすぐに見つめ続けていた。

 その滲んだ視界の中でマナミはにっこりと微笑んだ。

「大丈夫よ、私は大丈夫、傷付くことなんてないと思うから、話してみて」

 姫様は大きく息を吸う。そして吐き出しながら言った。「森永スズメと當田カナデはできている」

「そっか」マナミは笑顔を絶やさず珈琲を口に含んだ。

「その可能性が高い、」チカリコはテーブルの上でロック・ミュージックに合わせて激しく指を動かしている。「あくまで可能性としての話だけれど」

「その根拠は?」

「水曜日の話だ、森永スズメはウルトラマリンのホテルにいた、私たちの後輩がそれを目撃している、レズビアン御用達のウルトラマリンのホテルの五階の廊下を森永スズメは一人で歩いていたところを私たちの後輩が目撃しているんだ、そしてウルトラマリンというホテルは當田カナデが頻繁に利用しているホテルでもある」

「でも、」マナミは笑顔を絶やさず首を横に振った。「スズメちゃんとカナデちゃんが一緒にいるところを目撃したわけではないでしょう? スズメちゃんが一人でそのホテルの廊下を歩いているところを目撃しただけなわけでしょう? 判断を下すには早いと思うんだけどな」

「そうかもしれない、でも森永スズメは水曜日、確実にウルトラマリンというホテルで誰かと会っていた、もしくは誰かと合う予定だった、それを私たちの後輩に阻まれた、その相手とはカナデ以外に一体誰が考えられるだろう?」

「他に考えられない?」

「考えられない、」チカリコは断定した。そして歯切れよく言い放った。「森永スズメと當田カナデはできている」

 そこが曲の終わりだった。

 白拍子たちは涼しい顔をして観客の拍手に笑顔で応えている。

 次の曲はまだ始まらない。

 それはチカリコがマナミに向かって腕を伸ばし指先を伸ばしているからだと思う。

 ユミコはフミカが手渡したカセットテープを再生するタイミングをカウンタの奥から慎重に見計らっている。

 今がそのときじゃない。

 フミカはユミコに向かって小さく首を横に振った。

 まだチカリコは弾丸を装填してマナミのことを打ち抜いていない。

 合図はまだ。

 けれどチカリコは確実に狙いを定めている。

 一つの結末を迎える準備は出来ている。

「ちーちゃんはウルトラマリンの五階の部屋でスズメちゃんのことを待っていたのが私だって考えなかった?」

 マナミは笑顔だった。今朝の青空のように澄んだ笑顔だった。ヒステリックの欠片もない、ストレート・ブルー。

「え?」チカリコは目を丸くし、彼女にしては珍しく事態が呑み込めないという風に、瞬きを繰り返した、「どういうことなの?」

「どういうこともなにもそうなんだって、」マナミは口をすぼませ、そして何かを恥ずかしがるように身を捩らせて言う。「水曜日、ウルトラマリンの五階の部屋でスズメちゃんのことを待っていたのは私なの、私が先に入って、スズメちゃんのことを待っていたの、二人で入ったらほら、何かと目立っちゃうでしょ、だから時間を空けて一人ずつ部屋に入ろうって、そういうことにしていたの、でも水曜日はちーちゃんの後輩ちゃんたちと一悶着あったからスズメちゃんは部屋には来れなかったんだけどね、でもあの日、スズメちゃんと約束をしていたのは私でカナデちゃんじゃないの、そして、それから二人には勝手にこっちから相談しといて本当にごめんって思うんだけど、もう解決していたの、スズメちゃんとカナデちゃんの件は、私、我慢できなくって直接スズメちゃんに聞いたんだ、そしたら何もないって、それからスズメちゃんに怒られちゃった、私はマナミの彼女だろって、ねぇ、見て、」マナミはテーブルの上に右手を置いた。その人差し指にはブルーの宝石を抱いたシルバのリングが光っていた。「綺麗でしょ、スズメちゃんからのプレゼントなの、前に同じ形のピンクのリングをスズメちゃんにプレゼントしたんだけど、そのお返しにって、なんだか慌ててね、プレゼントしてくれたの、凄く嬉しかった、スズメちゃんは私のことを大切に思ってくれているって凄くよく分かって嬉しかったの、プレゼント貰わなくっちゃ気持ちが分からないなんて駄目だと思うけれど、でもこのサファイアがスズメちゃんの心の欠片なんだと思う、普段は意地っ張りで素直じゃないけどここに切り取って心を見せてくれたんだと思う、透き通った青い色を」

 チカリコは指先を折り畳み、腕を降ろし、そして重たい空気の固まりを吐き出して、頬杖ついて小さく言った。「二人が付き合っていたなんて知らなかった、気付きもしなかった、まーちゃんの圧倒的な片思いだと思ってた」

「本当ですよ、」フミカは大きく頷きマナミのことを睨んだ。「っていうか、相談を持ちかけてくるんだったらその情報を第一に教えてくれなくっちゃ、こっちはずっとマナミさんは片思い中だって認識でいたんですから」

「ごめんね、」マナミは目を細めて狐みたいに笑う。姫様と同系統の笑顔だがマナミの方が魔性が濃いようだ。「でもあんまり言いふらすとスズメちゃんが怒るから、んふふふふっ」

 このような結末に、最初から縁術は必要なかったのだ、どこか納得がいかなかったがとにかく、縁術のフィールドはシャボン玉みたいに弾け飛んで消えた。となると、カセットテープをスタンバイしているユミコの仕事も不要となったわけだ。フミカは立ち上がりユミコのところに行き「やっぱりそのカセットテープの中の音楽は必要ではなくなりました、白拍子の次の曲を掛けて頂けますか?」と言ってカセットテープを回収し席に戻った。マナミはすでにスタッフルームの方に行っていた。テーブルは元の鞘に収まったと言う風に四人に戻っている。フミカが着席すると、チカリコがこちらに体を倒しぎゅーっと抱き締めてきた。

「ちーちゃんってば、」フミカはチカリコのピンク頭をよしよしと撫でる。「急にどうしたの?」

「けけけっ、」チカリコはフミカの首に鼻を押しつけて奇妙に笑う。「はーあ、とっても疲れたじぇ、でもよかった」

「うん、よかった」

 正面ではキティがチカリコの真似をしてユウの体をぎゅーっと抱き締めていた。ユウは鬱陶しそうにキティの頭を乱暴に撫でていた。「ああ、もう、あっついよぉ」

 さて、白拍子のふんわりとして中身のほとんどない長いMCの後に始まった曲は、フランツ・フェルディナンドのドゥ・ユー・ウォント・ユー。

 白拍子はそれぞれ表情をダンス・モードにして踊り出す。

 誰も未来のことなんて分からない、明日のことだって、ほんの一分先のことだって分からないんだけれど、白拍子たちは踊る。

 狂いもなく精確に、そしてどこまでも機械的に、絶対で完璧なフィナーレに狙いを定めているように踊り続けなくてはならない。

 彼女たちに役割は他の何よりも優先して踊ることにあるのだから。


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