第六章④
錦景第二ビルにある喫茶ドラゴンベイビーズの隣のお蕎麦屋さんの隣には学校の教室の広さもないくらいのこじんまりとしたゲームセンタがある。奥には格闘ゲームの機械が数台と十年以上前のものと思われるレーシングゲームの機械と、そしてすでに骨董品のような趣さえ感じられるサイケデリックな色彩のピンボールマシンが所狭しと並んでいた。チカリコはそのピンボールマシンをプレイしていた。まさにピンボールの魔術師という風に、左右のボタンを巧みにしなやかに操作し、フリッパで華麗なボールの軌跡を弾き出し、どこまでも激しく得点を稼いでいた。スコアボードを見なくても、マシンから響く小気味のいい電子ベルの音を聞けばそれは分かった。フミカはチカリコの傍でコーラを飲みながら、まるで音楽を楽しむように耳を澄ませピンボールマシンから放たれる躍動的な音を聞いていた。
いつの間にか土曜日の午前中からこの小さなゲームセンタに集まっていた男たちの視線はピンボールマシンを操る、ピンク・ブロンドの姫様に向けられていた。退屈な男たちは普段の土曜日の午前中のゲームセンタにはない非日常的な風景が繰り広げられていることに簡単に気付き、ゲームの手を止めた。もしかしたら今日は普段の土曜日ではなくどこまでも幻想的な何かがゲームセンタに起こる土曜日なのかもしれない。退屈な男たちはそういう視線をチカリコの背中に送り続けていた。いやすでにピンボールの姫様が降臨されているゲームセンタはどこまでも幻想的だ。
しかしその幻想的な時間は残念ながら、喫茶ドラゴンベイビーズが開店する午前十一時までのことだった。一時間も早く着いてしまった四人はこのゲームセンタで時間を潰していたのだった。今日もユウは引田センリのおみやげの三毛猫のぬいぐるみを抱いていた。なぜ僕はこの中国猫を手放せないのだろうか、とユウは自分の心が分からなかった。中学生にもなってぬいぐるみを抱いているなんて莫迦みたいだと思う。けれどどうしたってなぜか、この可愛くもない中国猫のぬいぐるみを抱き締めていなければ気が済まない。特に今日は、縁術師として活動するときには尚更そう思った。きっとセンリのせいだ。彼女がユウに何かしらの影響を与えたことは間違いない。その何かを一つもユウは説明することは出来ないけれど、ユウが中国猫を手放せない理由はセンリにあるのだということだけは分かる。要するに自分の心の説明が付かないのはセンリが悪いと言うこと。
「あんっ、」キティが小さく悲鳴を上げて下唇を噛んだ。「もうちょっとだったのにぃ」
キティはUFOキャッチャのアームから転げ落ちお腹をこちらに向けているサンリオに所属するキティちゃんのぬいぐるみを恨みがましそうに見ていた。先ほどからキティは、キティちゃんのぬいぐるみをとろうと躍起になっていた。すでにキティは十枚の百円を機械の中に投入していて十回失敗していた。どうみたって取れそうになかった。キティちゃんのぬいぐるみはかなり丸っこくてアームに引っかかりそうなところもなかった。
「くそぉ」
キティは小さく毒付いてから両替機で千円札を崩して来て十一回目をトライした。しかしキティちゃんのぬいぐるみはアームからつるりと抜け出してその純朴そうな黒い目をこちらに向けた。
「ああん、どうして取れないのぉ?」キティはキティちゃんを睨みながらヒステリックに言った。
「もう止めときなよ、」ユウは口を尖らせて言った。「これはどうやったって絶対に取れないって、お金がもったいないよぉ」
「だってどうしたって欲しいんだもん」キティは片方の頬を膨らませて見せた。
「キティちゃんのぬいぐるみなら沢山持ってるじゃん」
「そうだけど、でも、このキティちゃんは特別だもん」
「特別?」
「うん、」キティは頷き、そしてユウが抱く中国猫の頭を触った。「こいつと同じような大きさだし同じようなポーズだし、要するにね、ユウちゃんの中国猫と一対になるキティちゃんだと思うのよ」
「はぁ?」ユウは首を傾げた。「えっと、キティさん、一体どういう意味?」
「私もユウちゃんみたいにぬいぐるみを抱きしめていたいのよ、」キティは真剣な目をして言った。「おそろいがいいの、ユウちゃんがぬいぐるみを抱いているんだったら私もそういうファッションをしたいの、このキティちゃんはそれにパーフェクトだと思わない?」
「別に僕はファッションでこいつを抱いているわけじゃないんだけど、」センリがそうさせているだけなんだから。「それだけは勘違いしないで欲しいんだけど」
ユウが口を尖らせてそう言うと、キティは真顔で二秒間、ユウの顔をじっと見つめた。そして次の瞬間に高い声で「あははっ、」と笑った。「そうだったね、ごめん、ユウちゃんは昔っから可愛いものが純粋に好きだったものね、ファッションじゃなくってユウちゃんは純粋にその中国猫のことが好きでそいつを抱いていられずにはいられないんだ、ああ、そういうことなのね」
「いや、」ユウは首を横に振る。「そういうことでもないんだけど」
「んふふっ、いいわよ、恥ずかしがらなくっても」
「いやいや、恥ずかしがってなんてないから」
「可愛いものを純粋に可愛がるユウちゃんはすっごく可愛いと思う、」キティは笑顔で言った。「いつでも抱きしめていたいくらい」
ユウは「はあ」と大きく溜息を吐いた。「だからそういうんじゃないんだって」
「とにかく、」キティは指を立てて言う。「私もユウちゃんと同じ気持ちよ」
「同じ気持ち?」
「うん、私もこの檻に閉じこめられたキティちゃんのことを純粋に可愛いと思う、だから救い出してあげなくっちゃいけない、」キティはキティちゃんのぬいぐるみと目を合わせ、「よし、」と頷き十二枚目のコインを投入した。「今度こそ絶対に取るっ」
しかしキティの強い決意と裏腹にキティちゃんはまたしても細いアームをつるりとすり抜ける。次にユウが交代してチャレンジして見たが、結果は同じだった。やっぱりどうしたってキティちゃんをこの檻の中から脱出させることなんて無理なのだ。そういう風に檻の中は設定されているに違いなかった。そしてキティちゃん自身ですら、おそらく脱出することを望んでいない。丸っこい形状は如実にそれを表している。
「苦戦しているのかえ?」
ピンボールを切り上げてチカリコとフミカはユウとキティのところにやって来た。チカリコはピンボールの後とは思えないほどに涼し気な顔をしていた。ピンボールマシンのスコアボードは大量得点のまま、先ほどまでガンダムの格闘ゲームをしていた太ったオタク風の男性に引き継がれていた。ギャラリが何人か周囲に集まっていて、おそらくあのピンボールマシンは今、このゲームセンタ開業以来の注目を集めている。
「そうなんです、チカリコ様、全然取れなくって」キティがすがるように言う。
「ほほう」チカリコは声を上げ、UFOキャッチャの中のキティちゃんを様々な角度から検分し始めた。
「こんなの絶対に取れないよ」ユウは言った。
「絶対ってことはないでしょ」フミカがコーラの缶を飲み干して言った。
「六回だ」チカリコはそう言って五百円玉を機械に投入した。五百円で六回出来る。そしてチカリコは宣言通り、六回でそのキティちゃんを救い出した。徐々に頭をこちら側に近づけて最後に足先を持ち上げてすとんと頭の重さを利用して穴に落とした。キティちゃんはするりと檻の中から脱出したのだ。
「凄い」ユウは言った。
「きゃあ、」キティはすっごく興奮して飛び跳ねて脱出されたばかりのキティちゃんを強く抱き締めた。「さすが姫様です」
「そんなに喜ぶようなこと?」チカリコは飛び跳ねて喜ぶキティを見て目を細めて優しく微笑みキティの頭の撫でた。
「あ、ちーちゃん、開店したみたいよ」フミカがドラゴンベイビーズの店先の方を見て言う。
錦景市は土曜日の午前十一時を迎えていた。




