第一章⑥
決戦の日曜日に向けて、シノブとジンロウは連日、カラオケボックスに入り浸っていた。大学の講義が終われば二人きりでカラオケボックスだった。大学生の日常としては別に珍しいことでもないと思うけれど、二人にはきちんとカラオケボックスにいる理由がある。特別な理由がある。特別なことをしているのは、なんだか心地いいことだとシノブは思っていた。それがいまいち輪郭のハッキリ見えない原理を端緒としていることだとしても。
「本当にシノブ君の歌声は素晴らしいね、」ジンロウは手を叩いて言う。「力強くて、ぐっと心臓に響くよ」
カラオケボックスで歌うのはシノブだけだった。ジンロウはずっとシノブの歌を聞いている。たまにシノブのために料理を注文したり、ドリンクを用意するために動いたりするけれど、基本的にシノブの歌声に手拍子をしながら誉め言葉を考えている。
「歌わないとつまらないだろ?」
シノブがそう言ってマイクを渡してもジンロウは頑なに歌わなかった。「下手くそだから、聞いているだけでいい」
「下手くそでも歌ったらいい、別に聞いているのは僕だけだし」
「シノブ君に下手くそな歌を聞かれたくはないから」
「楽しくないだろ?」
「いいや、」ジンロウは首を横に振り笑顔を作る。「楽しい」
楽しいだろうか?
シノブは考える。フライドポテトを口に運び、コーラを飲み、テーブルに広げた中世史の資料に目を通しながら、シノブは考える。
考えて思う。
ジンロウがカラオケボックスにいて歌わないのに楽しい場合とは。
僕のことを好きな場合以外にありえない。
僕のことが好きじゃなかったら、苦痛以外の何ものでもないだろう。
「ジンロウは僕のことが好きかい?」
シノブの問いに、ジンロウは顔をピンク色にしてメロンソーダを飲み咳込んだ。「……なんだ、急に?」
「意外とシャイなんだ、可愛いじゃないか」
「可愛いって何だよ、シノブ君」
「僕はこれ以上は言わないぜ」
少し意地悪かな、とシノブは思う。
でもこれ以上の優しさを提供することは、恥ずかしいことなので、僕はこれ以上の優しさは提供しません。
「……一度失われた縁術の原理は、」ジンロウは煙草に火を点けておもむろに口を開いた。「姫様によって支えられている、姫様の想いによって支えられている、この世界に説明出来ないことなの何もないのだから、姫様の想いを拠り所にするしかないわけだ、その想いの拠り所は過去の松平枕木家に求められるわけだけれど、発掘される欠片は少なく今に再現というにはやっぱり難解な作業だと思う」
「うん、そうだね」シノブは大きく頷く。話題を逸らしたジンロウのことを可愛いらしいと思いながら。
「でも縁術の原理は確かにあったものだから、俺たちの実践によって、確かめられていくと思う、見えてくるはず、失われてしまった形、それが果たしていた奇跡的な運動を」
「うん、そうだね、それはジンロウから何度も聞いたから、僕は頷くよ、で?」
「でって何?」
「はあ、」シノブは大きく息を吐き笑った。「まあ、決戦は日曜日だし、今日は許してやるよ」
「何のことだ?」ジンロウは安心したように笑い、煙草の煙を吐いた。