第一章⑤
日曜日、一緒にどこかに出かけませんか?
その台詞をユイコに伝えることはヒトミにはとても難しいことだった。席は隣同士だけれど、休み時間にはユイコの周りには沢山の女子が集まっておしゃべりに華を咲かせる。性格が明るくって、お茶目なユイコはクラスの人気者だった。人見知りで、引っ込み思案で友達の少ないヒトミとはまるで正反対の女の子なのである。
ヒトミとユイコは何もかもが違っていた。ユイコの髪は金髪みたいな明るい茶髪。一方のヒトミは純粋な黒髪。髪を染めたことは生涯に一度もなかった。髪を染めている女の子なんて不良だっていう迷信が心のどこかにまだあるのも事実。ヒトミはお化粧もしたことがなかった。対してユイコのメイクはいつも完璧で、クラスメイトたちが彼女に教えを請うほどの腕前だった。
ユイコの周りにはお洒落な女の子たちばかり。
そこに純粋な黒髪の持ち主が混ざっていくのにはとても勇気がいること。
二人きりだと自然と話せるんだけどな。
「ねぇ、ヒトミ」
「ふえっ?」急にユイコが話しかけてきてとても吃驚して変な声が出てしまった。「な、何、ユイコちゃん」
「放課後、カラオケに行こうって話してたんだけど、ヒトミも行かない?」
「うえ?」もっと変な声が出た。まさかカラオケに誘われるとは思いも寄らぬこと。「え、えーっとぉ、どうしよっかなぁあぁ」
ヒトミは広げていただけの文庫本を閉じて、ユイコの席の周りに集う、お洒落なクラスメイトたちの様子を窺った。入学してそろそろ一ヶ月が経とうとしているにも関わらず言葉を交わしたことがほとんどない女の子たち。彼女たちと狭い空間で歌を歌う、というのはとてもとってーもハードルが高いことだと思われた。ハードルというか、壁だ。分厚くてどこまでも高くそびえる鉄壁だ。ユイコは善意で誘ってくれたんだと思うんだけれど、嬉しくないことはもちろんないんだけれど、でも断ろうって思った。鉄壁を乗り越えられる自信は皆無だった。「……私、歌下手くそだしぃ、お聞き苦しいと思うので、んと、んと、せっかくだけどぉ、あの、すみませんが、今日は止めておきますね」
しかし結局、ヒトミは放課後、ノリのいいクラスメイトたちにカラオケボックスまで連行されてしまった。絶対に一曲も歌わないぞ、と決めていたのにいつの間にかヒトミはマイクを握らされていて歌を歌うことになっていた。そしてなんだか皆、ヒトミの歌に盛り上がっていた。ヒトミはちょっと楽しかった。ちょっとどころじゃない。凄く楽しいかもしれないってヒトミは思っていた。とりあえず、こういうのは産まれてこの方、初めての経験だった。
「ああ、楽しかったねぇ」
帰り道、ヒトミとユイコは二人きりになれた。ユイコと家の方向が一緒で、そして他のクラスメイトたちは違う方向に帰っていった。これは神様がくれたチャンスに違いないとヒトミは思った。
「ヒトミって、ああいうの好きなんだね、意外だった」
「ああいうのって?」
「ロックンロールってやつ」
「最近の、その、アイドルの歌とかはあんまり知らなくって、」ヒトミは最近流行のアイドル歌謡を知らなかったから、好きなロックンロールばかり歌っていた。「皆、ポカンってすると思ったんだけど、でも、盛り上がってくれてよかったよぉ、皆いい人だね」
「色々教えてくれない?」
「え?」
「ロックンロールのこと、」ユイコは素敵な瞳でヒトミのことを見てロックンロールのメロディを口ずさむ。「最後にヒトミが歌ってたランランラーってやつ、好きだな、ああいうの」
「ああ、うん、」ヒトミは頷いた。二回頷いた。とても嬉しかった。自分が好きなものを彼女は気に入ってくれている。「もちろんだよ、最後に歌ったのはね」
大きな交差点に差し掛かったところでユイコは「私、こっちだから、」と言って手を顔の横に持ち上げた。「じゃあ、また明日」
「うん、ばいばい」ヒトミも手を振り返した。
そしてユイコはヒトミに背を向けた。
「あ、ユイコちゃん」ヒトミはユイコを呼び止めた。ここだと思った。これを逃したら、全てが終わってしまうと思った。
「ん?」ユイコはクルリとこちらに振り返る。
「こ、今度の日曜日なんだけど、」ヒトミは彼女の顔を見ていられず夜空に煌めく星座を見上げて言った。すでに錦景市は夜の八時。「暇?」
「うん、暇、」ユイコは笑顔で頷く。「とっても暇」
「日曜日、一緒にどこかに行かない?」
「うん、いいよ、」ユイコは即答してヒトミの傍にてててと戻って来た。「どこに行くの?」
「その日、ロックンロールのライブがあるんだけど、一緒にどう?」
「わ、凄い、」ユイコは手の平を合わせて目を輝かせた。「私、ライブとか、そういうの行ったことないの、行きたい、ぜひ行きたいです、それでなんてバンドのライブなの?」
「ジャパニーズ・シークレット・アフェアっていうロックバンドなんだけどぉ」