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恋の縁術師(the Secret Affair)  作者: 枕木悠
第五章 忘却のための機械(the Machine)
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第五章⑤

「けけけっ、狐になった気分だわっ」

 三人はシノブの運転する車で松並木の通りにある、河童寿司に来ていた。業界シェア、ナンバワンのどれでも一皿百円という、お値段がリーズナブルな回転寿司チェーンだ。

 チカリコはおいなりさんばかりを十皿食べて満足そうに甘く濡れた指を舐めている。その仕草を見てシノブは猥褻だと思った。三人はテーブル席に案内されていて、レーン側にいるのがフミカとシノブで、チカリコはフミカに流れてくるおいなりさんを取るように指示を出していた。

「ちーちゃん、チョコレートムース、食べていいですか?」

 フミカはレーンを流れてくるチョコレートムースをまっすぐに見て言う。フミカは皿を取るときは常にチカリコに認可を得ている。それはシノブも一緒だった。チカリコと外食に出掛ける際は基本的に彼女のおごりだ。今日もヴィトンの財布を持ったお姫様は「なんでも喰ったらええ、全部奢ったるさかい」と西よりの言葉で言っていた。

「フーミン、私の分も取って」

 フミカは両手を伸ばしてチョコレートムースの乗った皿をレーンの上から奪取した。フミカは甲斐甲斐しくチカリコの口にチョコレートムースをスプーンで運んでいる。

 二人の仲睦まじい様子は見ていて癒される。解説すればお姫様と、その家来という、現代社会の女子高生にあって珍しい人間関係なのだが、それはとってもナチュラルに繋がっているから違和感なんてこれっぽっちもないし、心を奪われる光景になる。

「シノブ君はいらんか?」唇の端をチョコレートで汚したチカリコが聞く。その汚れにフミカはすぐに気付き、おしぼりの先端を使って器用にチカリコの口元を拭っている。

「もうお腹一杯、」シノブは湯呑に口を付けて濃い目のお茶を飲んだ。湯呑には河童のキャラクタのシルエットが描かれている。その河童はなんというか、味のある造形だけど子供は怖がるんじゃないかってシノブは思った。天辺のお皿の周りには尖った角が六本あって、開いた手の平の指は鋭い。目と鼻の穴は大きく、口は一直線に顔を横断している。一見して、もののけ、の類。「ごちそうさまでした、お姫様」

「あ、そうだ、シノブ君、」チョコレートムースをチカリコの口に運びながらフミカが言う。「カナデちゃんと、最近会ってる?」

「カナデと?」シノブはフミカの口から突然カナデの名前が飛び出してきたから少し不思議に思った。「会同があった日の夜に一緒にカラオケしたけど、ジンロウが途中で眠っちゃってさ、来ないかって誘ったら、すぐに来て、……その時会ったのが最後だけど、それが何?」

「何か、その、」フミカは瞳を落ち着きなく動かしながら、聞く。「カナデちゃんにおかしなところとか、なかった?」

「おかしなところって……、カナデがどうかしたの?」

「ううん、別に、」フミカは左右に首を振り、肩の上の切りそろえられた髪を揺らし、にっと急に笑顔を作った。不自然な笑顔だと思った。「なんでもないんだけど、ちょっと……、ね」

「ちょっと、なんなの?」シノブはフミカに微笑み返す。

「當田カナデが森永スズメのストーカをしている、」チカリコは形のいい口元を動かし歯切れよく言った。「と、エクセルガールズのブルーこと、橘マナミは疑っているんだわ」

「カナデがストーカ?」

 シノブの声は自然と大きくなっていた。慌てて口を塞ぐ。日曜日のお昼なので店内は騒がしい。幸い周囲には聞こえていないだろう。いや、しかしとにかく、シノブは驚いていた。ストーカなんてあまりにも突然唐突、あまりにもカナデのキャラクタからかけ離れた疑惑だと思ったからだ。シノブは込み上げてくるヒステリックを伴った反論と表情を意識してセーブしている。このときシノブはカナデのことを信頼出来る友人なのだとハッキリと認識した。他人のことでヒステリックになるということは、そういうことだろう。シノブはカナデのことを信頼しているから、ヒステリックになるんだ。そのヒステリックをセーブしたのは、目の前の女の子が聡明なお姫様だからだ。聡明なお姫様じゃなかったらシノブはすでに湯呑のお茶を相手の顔目掛けてぶちまけているころだろう。シノブは冷静ではなかったが、聡明な彼女の説明をきちんと把握してから、シノブは反論しようと思えるくらいは感情的にはなっていない。「……えっと、ちーちゃん、それって、どういうこと?」

「どういうことも何も、」チカリコは目を細めて軽く首を竦めた。「ただまーちゃんが疑っているという話なんだ、単純にまーちゃんがカナデに嫉妬しているだけ、ストーカなんて杞憂だと思うんだけど相談されちゃったものだから、確固とした、盤石で揺るがない、笑って疑惑を吹き飛ばせる情報が欲しいわけ、裏付けって言うのかしら?」

「ああ、なるほど」シノブは息を吐き頷いた。安心した。お姫様はカナデのことを強くは疑ってはいないようだ。それで安心したってつまり、シノブがチカリコのことをカナデ以上に信頼しているということでもあるし、彼女の戯れ言に依存し始めている、という証拠かもしれない。よくも悪くもそういうことだろう。もちろん現在の自分は、この状況を好ましいものだと思っている。

「お嬢さんの意見が聞きたいわ、彼女の友人としての洗練された意見が欲しい、お嬢さん、カナデはストーカ?」

「その、お嬢さん、っていうの、止めてくれない? 今までそんな風に呼んだことあった? 僕はお嬢さんじゃない」

「ごめんね、シノブ君、」チカリコは笑顔ですぐに謝った。「許して、怖い顔しないで」

「ストーカじゃないと思うよ、僕はね、もちろん、僕はカナデの全てを知らない、彼女の全てを知っているわけじゃないし、それこそ僕はストーカみたいにカナデのことを監視しているわけじゃないし」シノブは言って、ふうっと息を吐いた。

「カナデの人格の中に、」チカリコはシノブの瞳を真っ直ぐに見つめている。「ストーカに発展する要素を見い出せる? そういう資質は垣間見られないかな?」

「分かりませんね、」シノブはチカリコから視線を外して首を振る。「否定も肯定も出来ない感じ、微妙だよね」

「強く否定したりしないんだ」

「……うん」シノブは時間を空けて頷いた。その数秒の間に考えた。強く否定し直そうかと考えたんだけど、やっぱり止めた。お姫様に嘘は付けない。

「その理由って?」チカリコは口の前で五指を組んでそれに唇を押し付けている。

「鋭いね、そうなんだよ、さすがお姫様」

 シノブには確かに、カナデの疑惑を強く否定出来ない理由があった。それはとても小さいものだけれど、きちんと土に根を生やした緑色の双葉だった。「カナデはとってもいい娘だよ、素直で、いっつも笑顔、天真爛漫、ピュアっていうのが似合う女の子、僕が生涯出会った女の子の中で一番だよね、……でも、カナデのある一言が、僕には凄く鮮烈で、ちょっと忘れられなくって、心に残響してる、それがあるから僕は、カナデを完全に擁護出来ないんだ、ましてお姫様の前だもの」

「カナデはなんて言った?」チカリコは強い口調で聞く。

「森永スズメになりたいって言ったんだ、」シノブはズボンのポケットの中にある煙草の箱に触れた。店内は禁煙なので吸えないのが凄く辛い。「カラオケで、エクセル・ディスコを熱唱して踊った後にね、エクセル・ガールズになればいいんじゃないって僕は言ったんだ、そしたらカナデは言ったんだ、森永スズメになりたいって、ちょっと忘れられないよね、なかなかにファナティックな台詞だったから」

「……森永スズメになりたい、かぁ、」フミカはその台詞を反芻して、チカリコの横顔を見つめた。「確かにそれは、忘れられない一言かも、いくらその人のことが好きでも、その人になりたいなんてなかなか言わないよね、その人みたいになりたいとは思うだろうけど、その人自身になりたいだなんて、私は思わないな、確かに、うん、忘れられないな、……ねぇ、ちーちゃんはどう思う?」

「人間は忘れる生き物さ、どんなことだって忘れられる」言いながらチカリコは身を乗り出すようにしてレーンを流れていたおいなりさんを乗せた皿を手にした。デザートの後なのに、まだおいなりさんを食べる気みたいだ。文句なんてないけれど、まだ食べるのかとからかいたくはなる。もちろんシノブは黙っているけれど。

「それじゃなくってさ、ちーちゃん、カナデちゃんがそういうことを言ったことについてだよ、っていうか、まだ食べるの?」

「……せやなぁ」

 チカリコは眉を潜めておいなりさんをほうばった。

 もぐもぐとよくかんで、ごっくんと飲み込んで、ずずーっとお茶を飲んで、ふぅーっと息を吐いた。

 まだ一つおいなりさんが皿の上に残っているけれどチカリコはそれには手をつけずに言う。「縁術が必要か、いや……、」チカリコは一瞬目を瞑った。その間にきっと何かを考察したのだろう。「とにかく、うん、情報がたらんよね、シノブ君、頼まれてくれるか?」

「カナデのことを調査しろって?」シノブはわざと口を歪ませた。

「気が進まないかもしれないけれど、」チカリコはおいなりさんが一つ乗った皿を指先でシノブの方に押した。「杞憂だと思う、カナデがストーカなんて、でもお姫様は心配性なので」

「このおいなりさんは?」

「きびだんご、」チカリコはチカリと笑う。「それにティファニの件もある」

「ティファニ?」シノブは首を僅かに傾げる。

「スズメちゃん、ティファニの指輪をしてたんだ、ハートの形の、ピンクの、」フミカが答える。「どうしたのって指輪のことを聞いたらね、プレゼントされたって言ったの、誰にプレゼントされたか教えてくれなかったけど、でも、多分、カナデちゃんがプレゼントしたんだと思う」

「ティファニかぁ」シノブは頬杖付いて息を吐く。

 ティファニとは、色々と考える必要があるとシノブは思った。どうやらカナデについての印象を大幅に修正する必要がある。カナデがスズメにティファニをプレゼントした場合は必然的にそうなるだろう。ハートの形のピンクのティファニとはそういうものだから。

「カナデちゃんって、株で稼いでるんだって、知ってた?」フミカが聞く。

「株? 何それ?」

「野菜のカブじゃないよ」

「いやそんなことは分かってるよ、誰がそんなこと言ってたの?」シノブはそんなことカナデから聞いた覚えは一切ない。

「スズメちゃんが言ってたんだ、株で稼いでるって、だからカナデちゃんはティファニをプレゼント出来るんだよ」

 シノブは小さく笑った。

「フミちゃん、それ、多分、嘘だと思う、カナデはね、そうじゃなくって……」そこまで言ってシノブは口を真一文字に結んだ。さすがにそれは教えられないことだと思った。

「そうじゃなくて、何?」フミカはシノブのことをキッと睨んでいる。

「なんでもない、」シノブは首を振る。「忘れて、今の下り、なんでもないから」

「えー、なんなのぉ、」フミカは口を尖らせる。「なんなのぉ、めっちゃ気になるやんっ」

「けけけっ、」チカリコは風雅に笑っている。さすがお姫様。シノブが見せた僅かな隙から、その切れ長で細い眼で見抜いたようだ。カナデが秘密のお仕事をしていることを。「それでシノブ君、頼まれてくれるかえ?」

「……えっと」

 シノブは一度迷う素振りを見せた。でも返事は決まっている。大事な返事の前の、欠かせないポーズのようなものだ。

 シノブは皿の上のおいなりさんを手にする。顔の前に持ち上げ、二秒見つめて、ぱくっと口に放り込んだ。

 甘さが口に広がった。

 とっても甘くてまるで。

 狐になった気分だわ。


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