第四章⑪
シノブとジンロウは居酒屋で飲みながら中世史についての議論を交わしていた。ジンロウが酔っぱらって真っ赤な顔で的外れなことを言い出したのは夜の十時。シノブもほろ酔いで、脳ミソの回転は滑らかじゃなかった。議論は彷徨って、ワールドワイドに展開されて収拾がつかなくなっていた。
シノブは歌を歌いたい気分になっていた。コーラを飲んで、ジンロウに提案する。「ジンロウ、カラオケに行こうぜ」
「いいね、」ジンロウはゆっくりとオレンジジュースを飲みながら頷く。「賛成」
そしてシノブとジンロウは錦景市駅南口の方のカラオケボックスに入った。狭い部屋だった。シノブとジンロウはテーブルを間に挟んで向かい合って座る。甘いものが食べたくなったのでシノブは電話でチョコレートパフェを注文した。その間にジンロウは曲を入れていた。いつもジンロウはシノブに先に歌わせるのに、今夜は違った。かなり酔っているみたいだ。目が胡乱としている。口数少なく、笑顔が多い。曲はミスター・チルドレンのオーバ。一曲目から、メロウなナンバだった。
三十分くらい経った頃、シノブがスピッツのスピカを歌っていたら急にジンロウは立ち上がった。そしてテーブルを迂回してシノブの隣に腰掛け、体をこちらの方に倒して来てシノブの膝の上に頭を乗せた。どういうつもりだと思って、シノブは歌いながらジンロウの頭を叩いたが微動もしない。完全に眠ってしまったみたいだ。逆にシノブは歌を歌って冴えに冴えているというのに。
曲が終わってシノブはマイクをテーブルに置いた。曲を入れていないのでカラオケの画面には最新ヒットチャートが映し出され、部屋には静かに音楽が流れている。それをBGMにシノブはチョコレートパフェを食べ始めた。ジンロウが膝の上に頭を乗せているので動き辛い。それに歌を聞いてくれる人が眠ってしまったので歌ってもつまらない。
そう思って二秒、シノブはカナデに電話を掛けた。
「もしもし?」カナデはツーコールで電話に出た。「シノブ君、どうしたの?」
「あ、ごめん、カナデ、こんな時間に」
「ううん、それでどうしたの、こんな時間に?」
「今、ジンロウとカラオケボックスにいるんだけど、寝ちゃってさ、実質カラオケボックスに僕一人になっちゃって、もし暇なら来ない?」
「ごめん、今、お店なんだ」
「ああ、そっか、ごめんね、仕事中にじゃあ」
「あ、待って、行く、行くから、シノブ君とカラオケしたいもの」
「大丈夫なの?」
「交渉してくる……、」カナデの声が離れた。十秒後、カナデの息が聞こえた。「OKもらった、場所は?」
シノブはカラオケボックスの場所と部屋のナンバを伝えた。
「ああ、近くだ、すぐに行くね、待ってて」
通話が切れて十分後、シノブがチョコレートパフェを食べ終わるのと同時にカナデは部屋に姿を見せた。
「吃驚した、」シノブは口元の生クリームを拭って言う。「凄く早いじゃない」
「お店、本当にすぐそこだから、」カナデは呼吸を整えながら手の平で顔を扇ぎ、シノブの対面に座った。カナデは強めの香水を付けていてそれがシノブの鼻をくすぐった。微かにシャンプの香りも混じっていた。来ている洋服はフリルが多めの花柄のワンピースで、髪形も巻いていて今夜のカナデは絢爛という感じだった。「はぁ、でも、走って来たからつかれちゃったな」
「別に走って来なくったってよかったのに」シノブはカナデに笑顔を向ける。
「急いだんだよ、シノブ君に早く会いたくって、今夜会えるなんて思わなかった、誘ってくれて嬉しい、ああ、別に口説いてるわけじゃなくってね」
「ジンロウもいるよ」ジンロウは相変わらずシノブの膝の上で眠っている。
「悪いけど枕木君のことはどうでもいい、でもいい気なものね、シノブ君がいるのに眠っちゃうんだから、」カナデはジンロウを一瞥、首を竦めて言った。「膝枕ってサービスし過ぎだと思うな」
「何か頼む?」シノブは苦笑しながらカナデにメニューを差し出した。
「ありがと、」カナデはニッコリと微笑む。「実はすっごくお腹空いてるの、お昼から何も食べてなくって」
「好きなもの頼んで、ジンロウのおごり」
「やったぁ、」カナデは邪気の一切ない顔を見せソファから腰を浮かせて喜んだ。「なぁに食べようかなぁ」
カナデはラーメンと餃子と炒飯とフライドポテトと唐揚げを注文した。本当にお腹が減っているみたいでシノブの歌を聞きながらパクパクと料理を口に運んでいた。体が小さいのによく食べる。「うーん、なんだかとっても幸せぇ」
「そろそろ歌ったら」シノブはカナデの方にマイクを置いた。
「苦しくって歌えないかも」カナデはお腹をさすりながら言う。
「食べ過ぎ」シノブは笑う。
「何、歌って欲しい?」カナデはラーメンのスープで濡れた唇を舐めて聞く。「リクエストをどうぞ」
「何が好き?」
「アイドルソングとか、アニメソングとか、エクセル・ガールズってさすがにカラオケにはないよねぇ、」カナデはデンモクを操作しながら言って、そして何かを見つけた目をして笑った。「エクセル・ガールズあった、すごい、さすが我らが錦景市のアイドルだぁ」
カナデはエクセル・ガールズの踊れるダンス・ナンバ、エクセル・ディスコを熱唱した。振付が完璧で、見ていてとっても楽しかった。とっても楽しいのでシノブはエクセル・ガールズの楽曲を勝手に入れて歌わせた。カナデはニコニコしながらシノブの要求に応えてくれた。一時間くらい、カナデは激しく歌って踊っていた。
いつの間にか時計は深夜を回り、錦景市は明日になっている。
「もぉ、シノブ君ってば、ちょっと酷くない?」最後に完璧に恋のストレート・ブルーを歌い上げ、カナデはマイクを置き、片方の頬を膨らませた。激しく歌って踊っていたのでカナデの顔には汗が浮かんでいる。シノブは途中で室温を二度下げた。
「ノリノリだったじゃん、よかったよ、ああ、楽しかった」シノブは煙草の煙を吐く。
「そりゃあ、大好きなエクセル・ガールズの曲が掛かってしまえば、それを停止することなんて私には出来ませんから……、はあ、」カナデはそこで息を吐き、笑った。「んふふふ、でも、楽しかったぁ」
「歌も、振り付けも完璧だった、どこで覚えたの?」
「エクセル・ガールズのライブはブルーレイで毎日見てるからね、勝手に覚えちゃった」
「アイドルになれるんじゃない? カナデ、可愛いもの」
「可愛いって、んふふふっ、シノブ君にそう言われるの、すっごく嬉しいけど、」カナデは照れ隠しに舌を出した。「別にアイドルになりたいとか、そういうことは思わないよ、アイドルの女の子たちと仲良くしたいって気持ちの方が強いです、まあ、強いて言えば、私は……、」
カナデはそこで言い淀み、アンニュイな表情を突然見せて、シノブのコーラを飲んだ。
「……私は?」シノブは言葉を促す。「……何?」
「森永スズメになりたい、」カナデは言って表情を笑顔に戻した。「あはは、なんちゃって」




