第四章⑨
「古い時代、ここに時計台があったのを知ってるかい?」
黒いスーツ姿の文学者は公園の真ん中に出来た花束の傍に立ち、彼の後ろに寄り添うようにして立っているユウとキティに聞いた。
人が少なくって喧騒はほど遠い、いつもの静かな公園に戻っていた。
錦景女子第二校歌の余韻は微かに耳に残るのみ。
たった一曲のコンサート。
およそ三分間。
その三分間って。
ここはいつもの公園じゃなかった。
別の場所になった。
聖域、というか、遺跡、というか。
過去を否応なく知る場所へ。
失われた生命を感じる場所。
大切にしないといけない場所になったって思えたんだ。
失われた錦景女子第二校歌の旋律と。
そして。
僕の周りをさまよい泳いだ詩。
それってエンゼル・フィッシュの煌めきに見えた。
公園を回転させて、ガラリと変えたんだ。
演奏を終えると錦景女子高校の吹奏楽部と合唱部の人たちはこちらに向かって横に整列し、文学者に向かって深くお辞儀をした。
それがカーテンコールの合図だった。
パラパラとした拍手の中、彼女たちは公園を出て、横断歩道を渡って遠くに消えた。
このセレモニィの意味って何?
ユウが考えていると文学者は立ち上がり、時計台について聞いたんだ。
「公園の真ん中には時計台があったんだ、」文学者は花束に話しかけるように言葉を紡いでいる。「五年前までは確かにあったんだ、塔の上に丸い時計が乗ってその文字盤は顔に見えて、結構個性的なデザインだった、もうないのは撤去されちゃったんだ、あの時計台で色々あって撤去されちゃった」
「知ってます、私、覚えてます、」キティが発言する。「小さな頃の私はその時計台が怖くて、なんだか怪物みたいで怖かった、だからこの公園にあまり来なかったんですけど、でも、ああ、言われてみれば、なくなっちゃったんですね、時計台のことなんて全く覚えていなかった、ユウちゃんは、覚えてた?」
「うん、覚えてるよ、」ユウは頷く。「確か夜になると光ったんだよね、カラフルに、僕も怖かった、あの時計台、なんだか宇宙人だ、とか思ってた」
「怪物に、宇宙人か、」文学者はくくっと小さく笑った。「確かに子供には、子供は純粋だから、そう見ちゃうのかもしれないね」
「それでその、その時計台が、どうしたんですか?」キティが質問する。
「エリはその時計台が好きだった」
「エリさんって、」ユウは聞く。「どなたですか?」
「俺の妹だ、」文学者は煙草の煙をたっぷりと吐いた。「エリは時計台が好きだったから、だからあのアパートの二階に部屋を借りた、いつでも時計台を眺めることが出来るように、」文学者は前方を指さす。赤い屋根の小さなアパートがあった。二階の部屋は四つあって、三つの部屋には明かりがついていたけれど一つの部屋は暗かった。「そしてエリは時計台を囲むコンクリートの縁に座って、時計台に寄り添うようにして、詩を書いていたんだ、エリは詩人だった、才能を認められて未来に活躍するはずだった詩人だった、錦景女子第二校歌の詩は、エリがここで書いた最後の詩だった」
「最後?」キティが聞く。
「五年前の夏、エリは死んだ、」文学者は短くなった煙草を赤い花束の横の地面に捨てて革靴の底でもみ消した。「錦景女子第二校歌の歌詞をポストに投函してエリはその夜に自殺したんだ、睡眠薬を沢山飲み込んで」
そして文学者は黙り込んでしまった。
声を殺して泣いているのは彼の微動する背中を見ていれば分かった。
「……どうしてエリが自殺したのか、俺には分からない、遺書なんてなかったし、ずっとエリは元気だったし笑顔だった、エリの友達だって吃驚していた、まあ、そういう風な感情を隠していただけかもしれないけど、詩人だから、誰にも見せない自分だけの大切な部分みたいなものはあっただろうさ、まあ、とにかくさ、分からないわけ、最後に残してくれた錦景女子第二校歌の詩を読んでみても分からないんだ、明るい詩だよな、詩のことはよく分からないけど、明るい詩だってことは分かるよ、この明るさがなんなのかってことを分析する手法を俺は知らないからただ明るいとだけしか思えないんだけど、うん、とどのつまり俺には詩なんて分からないわけだ、分からなくてもでも、まあ、彼女たちが奏でてくれるものを聞いていると、エリは幸せだったんじゃないかって思うんだよな、死ぬことよりも愛を感じるんだよな、勝手だよな、勝手にそう思っちゃうんだ、愛って何だろうな、分からないな、エリのことは死んでも分からなかった、出来が悪い兄貴でごめんな、エリ」
文学者は花束の傍に屈み、ライタの火を点けて、それを花束に近づけた。
火が花束に移って燃える。
火が細く立ち上り、踊り。
花束を天国に届けているのかもしれないな、とユウは思った。




