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恋の縁術師(the Secret Affair)  作者: 枕木悠
第四章 引田旋李のスーベニア(the Chinese Cat)
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第四章③

 ジンロウの運転はすっごく下手くそだった。山道を走っているわけでもないのに、なぜか縦に横に凄く揺れた。体に凄くGが掛かった。ジェット・コースタに乗るのとまた別の恐怖があった。それって本格的な死の恐怖。本格的に恐怖を感じると人間って黙ってしまうんだなとフミカは思った。フミカはジェット・コースタに乗ってきゃあきゃあ叫ぶのが好きなんだけれど、ジンロウのムーブの中では無言になった。ムーブの後部座席のフミカは無言でウインドウの上にある取っ手を強く握り締め、踏ん張っていた。

 前ではジンロウとシノブが痴話喧嘩をしている。発進してからも痴話喧嘩は続いていてシノブは本気で怒鳴っている。ジンロウが言うことを聞かずに無茶苦茶な運転をするので切れてしまっているんだ。「ちょっとお前、いいから代われ!」

 怒鳴るシノブに対してユウは目を瞑ってスヤスヤと寝息を立てていた。この揺れと騒がしさでよく眠れるものだ。ユウは将来大物になるな、とフミカはぼんやりと思った。

 さて、何度か対向車、後続車にクラクションを鳴らされながらも紫色のムーブは無事にグリーンドーム脇に有料駐車場に辿り付くことが出来た。

 上州松平邸はグリーンドームの傍に佇む錦景公園の近くにある。この駐車場が松平邸には一番近い。駐車の際にジンロウとシノブは再び揉めていたが、車を降りるとあら不思議、いつもの仲睦まじい感じにすぐに戻った。本当に、不思議だと思った。

「ユウ、起きて」フミカはユウの肩を揺すった。

「んあ?」ユウは目を開けて、大きな欠伸をして目を擦り、三毛猫のぬいぐるみのスーベニアを抱き締めて外に出た。どうやらスーベニアも一緒に連れて行くつもりらしい。幼稚園児じゃないんだから、と思ったが反抗期の際は幼児退行という現象も併せて起こる、というような話をどこかで聞いたのをフミカは思い出してそれかな、と思った。ユウは今十四歳だが、十四歳というのはとっても複雑な時期だ。フミカの十四歳も複雑だった。理由はよく分からないけど毎日朝から晩までヒステリックだったし、授業中はソクラテスに読みふけっていたし、授業を突然抜け出して屋上でロックンロールを弾いたりもしていた。十四歳のフミカは問題児だった。それに比べれば、ユウのささやかな反抗なんて可愛いものだ。普段がいい子だから、小さな反抗がフミカには大きく見えるんだと思う。それくらいの反抗は何も言わず、何も思わず見守っていてあげようと決めた、姉のフミカなのでした。

 駐車場から四人は坂を登った。松平邸はその高い場所にあって濃い緑に囲まれている。その緑の入り口には小さなポストがあってそこから道が伸びている。緑の中に入ると急に気温が下がる。背の高い木々は太陽の光を細かく裁断して、そこに縫うように蛇行している細道をぼんやりと照らし出す。聞こえる音は足音と木々の葉が風にそよぎ揺れる音。それから鴫のさえずり。鯉が泳ぐ小さな池の横を通過した頃に、先に松平邸の瓦葺きの門が見えた。左右に二メートル程の高さの塀が続いている。門の扉は手前に解放されていた。その脇に貧相な体格の老年の警備員がパイプ椅子に腰掛けている。

 門に近づくに連れ、そちらの方から大勢の話し声が漂い、大きく聞こえてきた。警備員に会釈をし、何の誰何もなく門を潜れば数秒前の森の静寂が夢だったように騒がしい空間に入る。松平邸の庭にはすでに会同に招かれた大勢の客人たちで騒がしかった。庭には夏の花々が咲き乱れていて、それらの原色は騒がしさに拍車をかけている。

 ジンロウを先頭に、四人は挨拶に回った。フミカもユウもシノブもそういうのは苦手なので、言葉はジンロウに全て任せて後ろで無表情と笑顔の中間くらいの表情で頭を上下運動させていた。ジンロウは意外と、こういう時は器用に立ち振る舞う。微妙なジョークを連発して、乾いた笑いを相手から誘い出していた。

「なんだろう、」黒縁眼鏡の若い市議会議員に挨拶を済ませた後、シノブはジンロウに寄り添い彼の耳元で言った。「こういう雰囲気って、結婚式みたいだ」

「結婚式? 俺には葬式に見えるけどな」

「そういうこと言うなよ」シノブは軽くジンロウの背中をバシバシと叩く。シノブはなんだか、上機嫌みたいだ。

「あ、」ジンロウはシノブの手首を掴み叩くのを止めさせて視線を上げた。「姫様だ」

 庭の辺、松の下、チカリコは客人に囲まれていた。朱を基調にした艶やかな着物を身に纏い、余所行きの清純そうな笑顔で客人の応対をしていた。その笑顔はフミカが見れば、ぎこちなくってひきつっていて、もう無理限界、という感じだった。

 チカリコもフミカたちの存在に気付いたみたい。

 チカリコは人差し指をくいっと動かしてフミカにサインを送ってくる。

 早くどうにかしろっていうサインだ。

「ちょっと助けてくる」フミカは言って三人と離れてチカリコの方に走った。

 そして途中で転ぶ。

 転んだ振りだ。

「きゃあっ」大げさに悲鳴を上げた。

 チカリコを囲む客人たちの視線がフミカに集まる。

「まあ、大変!」チカリコは大げさに声を上げ、フミカに駆け寄り横にひざまづいた。「血が出てるじゃない、早くなんとかしなくっちゃ!」

「いや、平気です、」フミカは儚げな声を出して言った。「これくらい」

「駄目よ、早くなんとかしなくっちゃ!」チカリコはフミカの血の出てない膝にハンカチを当てた。そして立ち上がらせて客人たちに向かって言う。「ごめんなさい、お話の途中だったのに、続きはまた今度、このドジな女の子の手当をしなくっちゃ」

 そしてチカリコはフミカを引っ張って縁側から邸の中に入った。左手に通路を進み、書院造りの茶室に入る。もちろん、誰もいない。二人きりになって、笑い合う。

「助けに来たよ」フミカは畳の上に行儀悪く座った。

「遅い、」チカリコは片方の頬を膨らませて言った。「もっと早く来いよ」

「ジンロウの運転が下手くそだったんだよ、」フミカはチカリコの着物の裾を掴んで言う。「綺麗な着物ね、金魚が泳いでるんだ、金魚鉢の中ね」

 チカリコはフミカの前に行儀悪く座った。今まで行儀よくしていた反動が来たみたい。「今日のためにって、おばあ様が買ってくれたのよ、駄目だよ、フーミン、駄目だって」

 チカリコは裾の中に入り込もうとしていたフミカの手を止めた。「駄目って、どうして?」

「この着物、着るの大変だったんだから、生地が硬めなの」

「また着直せばいいじゃない」フミカは手に力を入れる。

「そろそろ時間だし、会同が始まっちゃうし」

「じゃあ、私を滅茶苦茶にしてくれたらいいじゃない、セーラ服ってすぐに着れる、すぐに脱げる、そういう設計だもの、素晴らしい設計だもの」

「ああ、そっか、」チカリコはチカリと笑う。「それは気付かなんだな、けけけっ」


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