第三章⑨
ライブの終わりにチカリコはエクセル・ガールズの楽屋に行こうと言った。「っていうか、挨拶に行かないと、また私、まーちゃんの長い電話に付き合わなくっちゃいけなくなりそう、まーちゃんってば、思いっきりこっち見てたしね」
それが可能なのはチカリコとフミカがエクセル・ガールズのことをよく知っている、というか、エクセル・ガールズのブルーの橘マナミはチカリコの従姉妹だからだ。全然似てないけれど、正真正銘の従姉妹なのだ。チカリコの母は代々松平家の家来である、上州薫屋橘家の三女なのだ。
それを説明するとカナデは飛び上がって驚いていた。「ええ、それって本当なの!?」
「うん、ケケケっ、」チカリコは不適に笑いながら何度も頷く。「スズメに会わせてあげるよ、カナちゃん、好きなんだろう?」
「ええ、本当!?」カナデは身を捩って喜びを表現した。「本当にいいのぉ?」
「いいよ、減るもんじゃないし」
「どうしよ、」カナデは足を揃えて立ち自分の頬を両手で包んで真顔になる。「緊張する、ドラゴンベイビーズでもちょっとしか話したことないんだ、スズメちゃん、ドラゴンベイビーズの人気者だもん、ああ、駄目だ、震えてきた」
「震える必要なんてないから」チカリコはカナデの腕を掴んで引っ張る。
「待って、ああん、待って、」カナデの呼吸は荒くてフミカはそれが可笑しくて笑った。「心の準備がぁ」
「そんなもの必要ない、準備なんてせんで会ったらええ、」チカリコの言葉はなんだか西寄りだった。「せっかくの機会や、つべこべ言わずに会ったらええ、サインでも写真でも何でも、やってもらったらええがな」
「そんな、そんな、贅沢なこと、いいのぉ?」
「ええって言ってるやろ?」
「凄い、チカリコちゃんって何者?」
「せや、凄いやろ、お姫様やから凄いんやで、なんでも出来る」
「んふふふっ」
「なぁに、笑ってんねん、ほら、さっさときんしゃい」
「う、うん、」カナデは歩き出した。「行く、行きますぅ」
四人は一度ブロック・ガーデンから出て裏の入り口に回った。スタッフの人とフミカとチカリコは顔見知りなので簡単にそこの扉を開けて中に入れてくれた。入って通路をまっすぐに進み突き当たりの左手の扉が楽屋だった。そこから賑やかな声が廊下に漏れ出ている。チカリコを先頭に四人が近づくと、ちょうど扉が開いてマナミが飛び出してきた。アンコールの時のTシャツ姿で、汗だくだった。メイクはすべて流れてしまっていた。
「あらま、ちーちゃん、」マナミはチカリコを楽屋から飛び出した勢いでぶつかって抱き締めた。「もぉ、なかなか、こっちに来ないから迎えに行こうとしてたんだよぉ、うへへへっ」
飛び出したマナミはテンションが変だった。ライブの終わりのマナミはいつも変だけど、きっと今日はワンマンライブだったからさらにテンションがおかしくなっているのだとフミカは思った。
「離せ、まーちゃん! うげぇ、汗臭いっ」
チカリコはマナミの腕の中で暴れる。でもマナミは拘束を解く気はないようだ。
「もぉ、汗臭いだなんて失礼しちゃうわ、ぷんすかぷんっ、」マナミはチカリコを抱き締めたまま頬を膨らませて、それから視線をフミカたちに向ける。「それで、ふーちゃん、そちらの二人はどなた?」
「あ、えっと、」フミカは後ろに控える、シノブとカナデの方を見て紹介した。「私たちのお友達の、その、中島シノブ君と當田カナデさんです」
「どうも」シノブは笑顔を作って右手をマナミに差し出した。
「ああ、あなたがシークレット・アフェアの新しいボーカリストのシノブ君ね、」マナミはシノブと握手を交わす。「ああ、なんていうか、うへへへへっ、想像通りの人って感じぃ?」
そのタイミングでチカリコはやっと解放されてフミカの横に逃げるように戻って来た。マナミは錦景市でチカリコを翻弄することが出来る数少ない人物だ。
「どんな想像してたんだろう?」シノブは苦笑しながらマナミから手を離す。「気になるな」
「悪い想像ではないわ、凄く素敵な人を想像してた、そしたら本当に凄く素敵そうな人ね、あなたって、まあ、ちーちゃんが選んだ人だものね」
「えっと、」シノブは一応、嬉しそうな表情を作った。「光栄、かな」
「あ、あの、」カナデは声をひっくり返しながらシノブを押しのけるように前に出た。「わ、わわわわ、私、大ファンでぇ、大ファンでぇ、大ファンなんです!」
「まあ、嬉しい、」マナミはカナデとも握手を交わした。握手というかマナミはカナデの右手を両手で包み込んだ。包み込みながらカナデの顔をじっと見つめて、マナミは首を斜めにした。「あれぇ、あなた、どこかで見たことあるような、気がするぅ」
「あ、はい、えっと、えっと、何度か私、ドラゴンベイビーズに行ってオムライスを食べてます、ドラゴンベイビーズのオムライスは最高です、あの、だからマナミさんは私のこと見たことあると思うんです!」カナデは早口で言った。
「ああ、そっか、うへへへっ、それでぇ、」マナミはカナデに顔を近づけて、首を前に倒せば唇が唇に触れる位置まで近付けて、聞いた。「カナデちゃんは誰のファンなのかにゃあ」
「森永スズメさんです!」カナデは歯切れよく即答して力のある目でまっすぐにマナミを見ていた。「私、森永スズメさんの大ファンで、大ファンで、その、えっと、大ファンなんですっ!」
「……あ、そう、」マナミのテンションは急降下。マナミはカナデから顔を離す。まあ、自分以外のメンバのファンだって面と向かって言われれば普通、そうなると思う。でもマナミはプロフェッショナルだ。エクセル・ガールズはすでに五年目に突入している。テンションは急降下しても表情をすぐに戻してカナデに向かってマナミはニッコリと微笑んだ。「まあ、いいわ、さ、どうぞこちらへいらっしゃい」
マナミはカナデの腕を引っ張って楽屋の扉を開け中に向かって声を張り上げる。「スズメちゃん、あなたのファンなんですって、せっかく来てくれたんだし、お相手してあげて」
「んあ?」
フミカが楽屋を覗き込むと、スズメは奥のソファに座ってラーメンを食べていた。他のメンバがドリンクを飲みながら談笑してる中、スズメは奥でダイソンの羽のない扇風機に吹かれながら、錦景第二ビル一階に店舗を構える錦景天神ラーメンのチャーシューメンの大盛りを食べていた。テーブルには替え玉三皿に、炒飯と餃子の大盛りも並んでいる。スズメは燃費が悪く、基本的に腹ペコなのでライブの終わりでいくら疲れ果てても何かの大盛りを食べている。お箸とレンゲを手離さずにスズメはこちらを向いて豚骨スープで濡れた口元を動かす。その豚骨スープで濡れた口元は怖ろしいくらいセクシィだった。「あれぇ、カナデちゃんじゃん、どうしたのぉ?」
スズメはどうやらカナデのことを覚えていたみたい。
スズメはドラゴンベイビーズでちょっと話したことがあるだけのカナデのことをちゃんと覚えていたみたい。
それが嬉しかったのか。
カナデは楽屋の前でピンと突っ立ってなかなか動かなかった。
フミカはそんな反応を見て、カナデってすっごく可愛い人だと思ったんだ。




