第一章②
松平チカリコは錦景女子高校の二年生で、校内で占い師みたいなことをしている、ちょっと不思議な女子だった。チカリコって名前もなかなか変わっていると思う。体育館に隣接する部室棟の二階の一室が彼女の占いのスペースで、一年E組の一青ヒトミは放課後、その一室の扉の前まで来ていた。目線の高さにあるプレートには間違いなく文芸部、と書かれている。チカリコは文芸部に所属している。そして文芸部らしい活動は一切せず部室で占い師をしているのだ。それは少し変てこなことだと思う。
そんな彼女に占ってもらおうっていう自分もやっぱり変なんだろうなって、酷く冷静に思いながらも、結局は文芸部の部室の扉をヒトミはノックした。
コンコンコンと。
三回ノックした。
二秒後。
扉は手前に開いた。
近くに立っていたせいでヒトミは扉に額をぶつけた。
「あいたっ、」ヒトミは額を押さえてその場に蹲った。「うう、痛い」
「……そこで何してんの?」
見上げるとチカリコではない人がヒトミのことを見下していた。凄く綺麗な人だが、どこか神経質そうで、冷たい感じの人。彼女は二年で文芸部部長の枕木フミカ、という人で、普通の考えで言えば、チカリコの親友のポジションにいる人だった。錦景女子高校で綺麗な二人を上げれば間違いなくチカリコとフミカだ。可愛いらしさ、というところに比重を置くとちょっと変わってくるけれど、綺麗さで言えばこの二人でまず間違いないだろう。
「あ、あの、初めまして、私、一年E組の一青ヒトミって言います、あの、松平さんに占って欲しくて来ました、」ヒトミは額の痛みを擦って飛ばしてから、立ち上がり、姿勢を正して言った。「松平さんはここにいらっしゃると聞いたので」
フミカはその神経質そうな目でヒトミの全身を一通り観察してから高圧的に言った。「ああ、そうなの、それでどんなことを占って欲しいわけ?」
「その、」ちょっとこの人苦手かも、と思いながらヒトミは笑顔を作る。隣の席の小早川ユイコに愛嬌があると絶賛された笑顔を作った。というか、やっぱりどうしたって照れるもので自然と笑顔になったのだ。「こ、恋の占いを」
「恋の占いね、うん、まあ、ちーちゃんは恋の占いしか出来ないんだけれどね、」フミカは軽く微笑み、表情を優しくして、ヒトミの手首を掴み部室の中に入れた。「さあ、入って、恋する女の子、ああ、上履きは脱いで頂戴ね」
「は、はい、」この人、やっぱり優しい人かもと思いながらヒトミは上履きを脱いでから部室の中に足を踏み入れた。「失礼しまーす」
部室を見渡せば、そこには素晴らしいプライベート空間が広がっていた。噂に聞いた通りだ。一面にふかふかの絨毯が敷かれていて、部室の中央にはテーブル一つとソファ二つの応接セットが並び、壁には大きなテレビが掛けられている。本棚脇には小さな冷蔵庫があり、その上には珈琲メーカがあった。フミカはそれを操作し始めていた。どうやらヒトミのために珈琲を淹れてくれるみたい。
そして奥のデスクに足を乗せ、窓を背にギターマガジンを読んでいる人がいる。
その人がチカリコだ。
髪型はかぐや姫みたいなロングヘア。
それがとても似合う人。
切れ長の瞳がどこか妖艶で。
江戸時代のお姫様みたいだ、なんてヒトミは思う。
とにかく圧倒的な存在感を持っている人だ。
「いらっしゃい、恋する女の子、我が聖域へ、」チカリコは視線をヒトミに向けて、ギターマガジンを閉じてニッと目を細めて狐みたいに笑った。「さてさて、チミは何を占って欲しいのかにゃあ」
「えっと、」ヒトミはチカリコの目を真っ直ぐに見て言う。「その前に、その、聞きたいことがあって」
「どうぞ、座って、」チカリコはソファに移動しながらヒトミに言う。「聞きたいこと?」
「はい、……そのぉ」ヒトミはソファに腰掛けた。
チカリコが対面のソファに座り、フミカが二人の前に珈琲カップを置いた。フミカはチカリコの珈琲に砂糖とミルクを淹れて掻き混ぜてからヒトミに聞く。「砂糖とミルクは?」
「はい、えっと適当に」
「そう」フミカは適当にヒトミの珈琲に砂糖とミルクを淹れて掻き混ぜている。
「聞きたいことって?」チカリコはどことなく優雅に珈琲を飲む。「なんじゃらほい」
「なんじゃらほい?」ヒトミは首を傾げた。その物言いが意味不明だったからヒトミはチカリコを見つめてしまった。「ってなんですか?」
「気にしないで、」フミカがチカリコの隣に座りながら言う。「ちーちゃんの日本語はたまに狂うの、狂いっぱなしの日もあるわよ」
「狂っちゃいないぜ、」チカリコは口を斜めにして言う。「それで何なの?」
「……あの、もし不愉快にさせてしまったらすいません、その、その、その、あの、」ヒトミは唾を飲み込み、自分の膝の上に置いた手を見ながら聞いた。「お、お二人は付き合ってるんですか?」
来る沈黙は二秒。
ヒトミにはとても長く感じられた二秒間だった。
凄く疲れた。
でもこの質問はしなくちゃいけなかった。
大事なことだから。
ヒトミにとって。
とても大事なことだから。
「付き合ってるっていうかぁ、」チカリコの返答はなんだかハッキリしない曖昧なものだった。「私は特定の恋人を作らない主義なので、いわゆるチカリズムを貫いておりますので、フーミンとは付き合ってはいませんっ!」
顔を上げてチカリコを見ると溌剌とした笑顔で、胸の前で人差し指を交差させてバツを作っていた。
そしてなぜかヒトミに向かってウインク。
謎のウインク。
どうしてチカリコはウインクをしたのか?
フミカのことをフーミンと呼んでいることもちょっと気になった。
フミカはどう見ても、フーミンという感じではないし……。
いや、そんなことよりも、……なんてハッキリしない回答だろう!
ヒトミが知りたいのは。
この錦景女子にあって、最高に綺麗な二人がレズビアンかどうか、と言うことなのだ。
もし二人がレズビアンだったら。
この恋が、叶いそうな気がするから。
「……付き合ってはいないけど、」フミカは頬杖付き、どことなく哀愁漂う表情で口を開いた。「私はちーちゃんと何度もエッチなことをしているし、私はちーちゃんのことを愛しているわ、それは間違いのない、真実」
「まあ、」チカリコは嬉しそうに、そしておどける様に口元を手で隠して言った。「嬉しい、私もフーミンのこと愛しているわよん」
「でもね、」フミカは凛々しい目をヒトミに注ぐ。「ちーちゃんは私以外にも様々な女の子たちとエッチなことをしているの、私という存在がありながら別の女の子とエッチなことをしているわけ、つまりちーちゃんは見境がなくって最低な女なんだ」
「よせいやい、照れるぜ、」チカリコは最低と言われながらも嬉しそうにフミカにボディタッチを繰り返している。「しゃらくせぇ」
「でもそんなちーちゃんのことを私は怒れないわけだ、」フミカの口調はここに来てとても熱っぽくなっている。「それはなぜか、なぜだか分かる?」
「えと、……なぜです?」
「ちーちゃんはお姫様で、私が家来だからよ」
「は?」ヒトミは傾げていた首をさらに傾けた。「お姫様? 家来?」
「絶対的な主従関係が私とちーちゃんの間にあるわけ、そう、揺るがない主従関係がね」
「……ああ、なるほどぉ」
ヒトミはこくんと頷いた。
つまりチカリコとフミカの間には時間をかけて熟成された、揺るがない絶対的な上下関係が存在しているということなのだろう。だからフミカは様々な女の子に手を出すチカリコのことを罵倒出来ても、チカリコの女性関係を制限することが出来ないのだ。そんな風にヒトミは非情にぼんやりと理解した。「……でもそれって、なんだか、大変ですねぇ」
「大変よぉ、凄く大変、」フミカは大きく頷きチカリコの前に置かれた珈琲カップを手にして飲んだ。「本当に、大変なんだからぁ」
チカリコは切れ長の目をさらに細めて、ずっとニヤニヤしていた。
「でも、安心しました」ヒトミの口から本音が出た。
「安心?」フミカはヒトミのことを睨む。「何が安心したって言うの?」
「あ、いや、別に、」ヒトミは怒らせてしまったと思って慌てて首を横に振る。「違うんです、実はその」
「チミが好きなのは女の子かえ?」チカリコはヒトミの言葉を遮り怒れるフミカの髪に指を入れて動かしながらヒトミに聞いた。
「はい、私は、」ヒトミは激しく動く心臓に唇を震わせながらも、チカリコの目を真っ直ぐに見て歯切れよく言った。「私と小早川ユイコの恋の行方を占って欲しくて、ここに来たんです」