第三章①
脳ミソの大事なセクションが吹き飛びそうになるほど暑い日だった。
天気予報師はこの金曜日に梅雨明けを宣言した。この梅雨明けの汗が溢れてしょうがない日に中島シノブと枕木ジンロウの二人は、中世史基礎講読の講義で報告をした。その報告に与えられた時間は四十五分だった。四十五分という時間はとても長いと思っていたんだけれど、あっという間に時間は経ってしまってシノブとジンロウは用意した三分の一の内容しか報告することが出来なかった。この講義を受け持つ准教授の西嶋はストップウォッチを握り締めてしっかりと四十五分を計っていて、四十五分が経つと「そこまで」とよく通る声を響かせシノブの報告を遮った。「それでは質疑応答の時間に入ります」
報告の三分の一しか終わっていないのに質疑応答の時間に入り、シノブはもっとしゃべらせろって文句を言いたかったが黙って質問が飛んでくるのを待った。四十五分の間に報告の終わらなかったグループは今まで何組かあって、もっとしゃべらせろって西嶋に訴えた者もいたんだけれど西嶋は「ルール違反です」と言ってしゃべらせなかった。「最初のガイダンスで説明したでしょう、報告の時間は四十五分以内に終わらせること、予めこちらは説明しているんです、これは講義なんです、自由時間ではありません、もしあなたが我が儘に報告を続けるというのなら私は煙草を吸いに外に出ます、すなわちそれはあなたは評価の対象外になった、ということになります」
質疑応答の時間の最初の五分は誰も挙手しなかった。シノブとジンロウが選んだテーマがそもそも中世史の中の基礎と言っても比較的マイナな分野であるし、哲学に対するアプローチのように抽象的な問題の扱い方をするので、ガイドラインがなければ理解は走ってこないかもしれない類のものだったからだ。皆、下を向いて配布したレジュメを読み込んでいる。
十分経過したところで、ちらほらと手が挙がった。特筆すべき質問はなかった。ほとんどがレジュメの後半部に記載のある、報告が出来なかった部分に関するもので、シノブが噛み砕いて説明してやれば質問者は納得した。
さて、質疑応答の時間に入り三十分が経過したところで西嶋准教授は報告の講評をしてからこのテーマに関する総括をした。シノブは西嶋の講評と総括に少なからず納得のいかないところもあった。西嶋はT大出身で、T大らしい歴史認識、それは主義というよりも性格と言った方がいいだろう、それが少し、いや、かなり癪に触ったのだ。日本的アカデミズムの弊害を目の当たりにした感じだった。
「さて、」総括を終えた西嶋は皆を見回して言う。「質問がなければ少し早いですけれどこれで終わりにします、皆さん、何か発言したいことはありますか、どうでしょう?」
「はぁい」
ふんわりとした声を出し、挙手したのは最前列の真ん中に座っていた髪の色が明るい女子だった。彼女の名前をシノブは覚えていなかった。彼女の細い腕はピンと伸びていて、切れ長の目はシノブを真っ直ぐに見ていた。報告中も彼女はシノブのことをチラチラと観察していたように思う。そんな視線を感じていたから、何か発言したいのだろうと思っていたのだけれどやっぱり何かシノブに対して言いたかったことがあるらしい。
「どうぞ」
「はい、えっと、」彼女は手を降ろし、レジュメを触りながら、なぜか凄く笑顔で、発言した。「どうして中島さんは、シリーズ化、という方法で、このテーマを分析したの?」
シノブはその質問に嬉しくなった。その質問がまさに、生涯をかけて迫っていきたいシノブの中世史研究のテーマに関わってくることだからだ。シノブは彼女を説得するように、夢中で話した。
「時間ですよ」
西嶋がストップウォッチを止めてそう言うまで夢中で話した。「中島さん、時間ですって」




