第二章⑧
ぶっ殺してしまいたい自分がいる。
殺さないと家に帰れないから。
ぶっ殺してしまいたい自分がいる。
シノブとセックスした自分だ。
シノブとのキスにはしゃいでしまった自分だ。
チカリコのことを忘れて、その場の肉情に呑み込まれてしまった自分。
そんな自分をぶっ殺してしまいたい。
殺すなら。
殴って殺せと姫様は言った。
だから拳を握り締めた。
心は火の玉みたいに燃える。
燃え盛る。
「ぶっ殺す!」
フミカはヒステリックな声を上げ、自分の顔を殴ろうとした。
殴ろうとしたけれど。
それは強い力に阻まれる。
「何してるの?」
ケンジだった。煙草をくわえたケンジが傘を差して立っていて、その右手はフミカの右の手首をしっかりと掴んでいた。「ズブ濡れじゃん、傘は? どうしたのよ?」
「ケンジこそ、」びしょ濡れのフミカは、右手の力を抜いて、なんだか熱っぽい目元を擦ってケンジを睨み見た。「・・・・・・雨なのに、どうして公園に? 私がいる可能性なんて皆無じゃん、雨だから私がいるわけなんてないのに、どうして?」
「えっと、フミちゃんは今、ここにいますよね?」
「普通の私はここにいねぇんだよ!」フミカは叫んだ。叫びたい気分だったから叫んだ。別にケンジに恨みや妬みが嫉みがある訳じゃないんだけれど、叫ぶに相応しいロリコンで変態がそこにいるから叫んだのだ。「普通の私だったらここにいる可能性なんてないんだよ、分かるだろ、くそったれ!」
フミカはケンジの胸にストレートを叩き込む。
フミカのストレートには力はなく。
簡単に跳ね返されて後ろによろめいてフミカは倒れた。濡れたセーラ服に泥の色が付着して、フミカは信じられないくらいヒステリックになった。「何すんだよ、莫迦野郎っ、汚くして、もぉ!」
「店長が幽霊がいるって騒いで、俺がその正体を暴きに来たのよ、」ケンジはフミカが振り回している拳を掴み引っ張って立たせた。ケンジの強い力に、フミカは簡単に二本足で立った。雨の落ちてこない傘の中にフミカは入って呼吸を整えた。「自称霊能力者なの、うちの店長、自称霊能力者なので、フミちゃんのことを幽霊だと勘違いしたみたい、でも店長じゃなくっても勘違いするってものだよ、傘も差さずにベンチに座って雨に濡れていればさ、それで、フミちゃん、一体どうしたの?」
「・・・・・・私に優しくしないで」フミカは短く言った。
「え?」
「私に優しくすんなよっ!」
フミカはケンジに向かって怒鳴り。
ケンジの胸に顔を押しつけて泣いた。
喉が裂けてしまうんじゃないかって言うくらい、泣き喚いた。
ケンジはフミカの肩に手を置き、宥め、名前を呼び続けている。
小さな頃、フミカは泣き虫だった。母が好きだった。母が好きだったから、泣き虫のほとんどの理由が母と離れる際の恐怖心だった。
一番泣いた記憶は、お泊まり保育。泣き止むことのなかったフミカは、結局家に帰って母と一緒に眠ったんだ。でもそのときだって、今みたいに泣いてなかったと思う。
きっとこの世界に産まれたときくらい泣いている。
あの瞬間の慟哭は汚れのない純粋なものだったと思う。
けれど今は。
もっと複雑で。
汚れてしまっているんだわ。
幸せとは遠い色を、基調としている涙が流れているんだわ。
心に絡みついたもの。
髪に絡みついたもの。
指に絡みついたもの。
体に絡みついた糸は肌を裂き。
濁った血色を私に見せる。
本心とは。
真の姿とはその色ね。
私の血は黒っぽくて、どろどろしていて、パレットの上で塗られずに渇いてしまった絵の具のように汚い赤。
私の血をこんな風にしたのは。
ええ。
分かっている。
私だわ。
分かっているわよ。
いいえ。
分かっていなかった。
縁を結ぶという業の怖さを私は分かっていなかった。
知らなかった。
こんな風になるんだって分かって、初めて理解した。
怖い。
とっても怖い。
このまま私の血色をしたこんがらがった糸はこんがらがったまま私を縛って。
きつく縛って。
締め上げて。
そして。
千切れるのね。
「嫌だ!」
私は千切れたくないの。
私は私のお姫様との、大事な糸を切りたくない。
どうやったらその糸を、汚れた赤に染まり複雑に絡みこんがらがった糸の群から掬い出すことが出来る?
そんなこと出来ない?
「出来るわ」ってお姫様は言っていた?
「フミちゃん!」ケンジはフミカは抱き締めた。強く抱き締められて苦しくって痛かった。「フミちゃん、なんんだかよく分からないけど、大丈夫、大丈夫だから、お、俺が、俺が、何があってもフミちゃんのことを、」
その時だった。
「私のフミカから離れろ、この変態ロリコン野郎っ!」
拡声器を通して巨大になって雷に撃たれたようにヒビが入った若干巻き気味の声は紛れもなく。
「・・・・・・ちーちゃん?」




