第一章⑬
ジャパニーズ・シークレット・アフェアのライブは錦景第二ビルの三十二階にあるブロックガーデンというライブハウスで行われる。
彼らのライブに二人で行くことが、恋の占い師のチカリコがくれたアドバイスだった。「あら不思議、チケットがここに二枚、余っておるのぉ、というわけで行っといで」
ヒトミはロックンロールが好きだけれど、ジャパニーズ・シークレット・アフェア、というバンドのことを全く知らなかった。無名のインディーズバンドか、もしくはシークレット・アフェアのコピーバンドだろう、くらいに思っていた。観客もそれほどいないだろう、と失礼ながら思っていた。けれど訪れてみればブロックガーデンは沢山の人で溢れていた。ほとんど女の子だった。女の子の割合の多さにビジュアル系バンドかもしれないと思ってヒトミは狼狽える。ビジュアル系は、なんとなく苦手なんだよな。物販の方を見やればそこには長蛇の列。なぜか白装束を身に纏ったお姉さんたちが売り子をしていた。ジャパニーズ、というくらいだから、純和風のビジュアル系バンドなのだろうか。
「なんか、興奮してきた、」ステージを隠す臙脂色の幕を見つめながらユイコは言った。ユイコの目はキラキラしていた。「ねぇ、ヒトミ、もっと前に行きましょうよ」
「え、前に?」
ビジュアル系バンドを近くで見てもしょうがないよなぁ、と思ったけれど、ユイコはヒトミの同意を待たずに勝手に女の子たちの間をすり抜けて前の方に行ってしまった。だから結局ヒトミも前の方に行かざるを得なくなった。前から三列目くらいに二人はすっぽりという具合に収まった。
そこでヒトミは気付く。最前列の中央、タワーレコードのチャック・ベリーのコーナでキスをしていた二人の少女がいたのだ。二人は腕を組んでステージとの境にあるバーにもたれ、寄り添っていた。いや、前列の方はギュウギュウで、前後左右の人との距離は必然的に近くなるから、二人は寄り添っているわけじゃないのかもしれないけれど、二人のキスを目撃してしまったから、ぎゅっと寄り添っているように見えたのかもしれない。ヒトミとユイコだってかなり近づいている。
ヒトミはこれはチャンスだと思った。これはユイコとの距離を縮める絶好の機会だと思ったのだ。そう思ったところでヒトミの隣に強引に白装束のお姉さんたちが割り込んで来た。物販はひとまず終了したらしい。そろそろライブが始まる時間だ。お姉さんたちにちょっとむっとしながらもヒトミは彼女たちに感謝した。彼女たちのおかげでヒトミは自然にユイコに密着することが出来たからだ。
「もうすぐ始まるわね」ユイコは言う。
「うん」
「ああ、なんか、ドキドキする、別に私がステージに立つわけじゃないのに」
「うん、」ヒトミはユイコが近くって、近過ぎて、ドキドキしていた。「ドキドキするね」
「手、繋いでいい?」ユイコが前を向いたまま言う。
「え、なんで?」ヒトミは驚いてユイコの横顔を見る。
「はぐれちゃいけないでしょ?」
「そ、そんなに激しいライブなのかなぁ」
ヒトミは動揺を隠しながら、手の平の汗をスカートで拭いて、ユイコの手を探して握り締めた。
そのタイミングでBGMがふっと鳴り止んだ。
フロアが一度完全に暗くなり。
別の音楽が流れてくる。
歓声が上がる。
オープニングSEは中島みゆきの糸。
それに合わせて、幕が左右にゆっくりと開く。
頭上のミラーボールが回転して、夜空に星屑が散っているみたい。
幕が完全に左右に開き。
ギターの歪んだ音が響く。
ヒトミは驚いた。
ステージの中央にギターを構え立つのはチカリコだったからだ。
しかも、仁王立ちである。
チカリチカリ、という感じで激しく点滅する後光を浴びての、仁王立ち。
チカリコの衣装は、十二単。
ギターはフェンダの紅色のムスタング。
とにかく、派手。派手過ぎる。
さて左を見れば、そこにはフライングVのベースを構えたフミカがいて。
奥を見れば、そこにはマクドナルドで目撃した、キスの男がドラムスティックを握っていて。
そして右を見れば、奥のドラムの男とキスをしていた、水墨画のワンピースを纏った綺麗な人が立っている。
その人は楽器を持っていない。
マイクを握っている。
チカリコのギターの歪みに包まれた中、マイクに向かって綺麗な人が言う。
「どうも初めまして、シノブです、今日からお世話になります、緊張して死にそうです、頑張ります、よろしくお願いします、それではさっそく参りましょう、」綺麗な声だった。「恋の限界値」
ワン・トゥ・スリー・フォ、とドラムの男が叫んで恋の限界値が始まった。
ライブは瞬間的に沸騰して。
あっと言う間に終わった。
凄く激しいライブだった。
凄くはしゃいでしまって汗だくになった。
でもヒトミはユイコの手を離さなかった。
その加速したような時間はとても不思議だった。
とっても不思議な時間が流れていたように思う。
この日曜日は不思議でした。
ただ、チカリコのライブを二人で見に来ただけなんだけれど。
チカリコの恋のアドバイスを真に受けて、ただ彼女たちのステージを見に来た、という日曜日だったんだけれど。
ユイコと一緒にいたからかな。
なんだか凄く、不思議な日曜日でした。
ライブの後、二人は錦景第二ビルの屋上にある錦景天神のお賽銭箱の前の階段に座り風を浴び、汗を乾かしていた。周囲には誰もいなくて、しんとしている。ライブの後だから、本当に静かを感じられる。
「ああ、楽しかった、」ユイコは夜空を見上げて言った。「ライブってこんなに楽しいんだね」
「うん、楽しかったねぇ」ヒトミはすっかり、ジャパニーズ・シークレット・アフェアのファンになっていた。物販で彼女たちのCDも購入してしまった。
「なんか、目覚めたって感じ」ユイコはミネラルウォータを飲み干し空にした。
「目覚めた?」ヒトミは笑顔でユイコの横顔を見つめた。汗で濡れて、ユイコは本当にいい女になっている。「目覚めたって?」
「うん、視界がクリアになったっていうか、そんな感じがするんだわ、何もかもがちゃんと見えるような気になってるわ」
「えっと、」ヒトミはユイコの思考の変化の速さに追い付けない、という感じだった。「……つまり、どういうことかな?」
「ねぇ、ヒトミ」
ユイコはヒトミの手を両手でぎゅっと握り締めて、顔をぐっと近づけて来て、ヒトミの瞳をまっすぐに見つめてきた。「ねぇ、ヒトミ」
「は、はい、」ヒトミの声は上擦っていた。「な、なぁに、ユイコちゃん?」
「ヒトミ、お願い、お願いします、私と、私とぉ……」
ユイコの目は熱っぽく、熱を帯びて湿った吐息は本当に傍で感じられた。
だから私は思ってしまったのです。
ユイコちゃんは私に愛を告白してくれるんだって、そう思ってしまったのです。
もしかしたらチカリコの恋の占いは本当で。
チカリコたちが奏でたロックンロールがユイコちゃんに作用して、何かしらのヒーザン・ケミストリがあって。
私のことを好きになってくれたと思ったのです。
私は目を瞑り、唇を尖らせました。
ユイコちゃんのキスを受け入れる準備をしました。
でも、ユイコちゃんはいくら待っても私にキスをしてくれませんでした。
「ん? どうして目を瞑るの?」
「え?」ユイコちゃんのヒステリックな声に私は目を開けました。
「人が真剣な話をしようっていうのに、どうして瞳を閉じたの? 意味分かんない」
ユイコちゃんの唇は尖っていました。
でもそれは。
キスの形ではどうやらないようです。




