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愛シノ リサ  作者: ちよ
7/10

7 『石楠花』  注意 警戒 危険 

 裕仁は胸に燻る不安を消せないまま家路についた。


 静かに自宅の駐車場に車を停めて、両手でハンドルを抱くようにして一息つく。

 あれから夜明けも過ぎ、昼の眩しい太陽も影を潜め、帰宅のラッシュさえとうに無くなり、また日付さえも変わろうとしている深夜。丸々一日ラボに缶詰だったのだ。

 湿度が高いせいか、昼の熱に温められた空気が霧を漂わせ、重苦しい自身の心を映し出したように感じられた。


 検査は細部に渡って繰り返し続いた。要経過観察だった項目を騙し騙し伸ばしていた結果の是非を問われたことも余程ショックだったのだろう。「私は完璧だった」と譫言のように礼子は虚ろな瞳でおうむ返しする。礼子を宥めるのにも手間取りやっと今、帰り着くことができたのだ。


 玄関のドアの前でしばし佇む。敷居は山のように高く感じられたが、ぐっとノブに力を込めてドアを開けると、いつも通り小首を傾げタタキに立って迎えるAM1に少しホッとした。


「理沙と舞ちゃんは……もう寝てるよな」


[ハイ]


「舞ちゃんは落ち着いていたかい?」


[朝、起キラレテ、スグハ、ワタシヲみテすコシ、動揺、サレテイマシた。リサ、ガ、マイサマト話サレテ、スグ、落チつカレマシタ]


 何も言われずとも裕仁の意を察して、粛々と晩酌の用意を、いつものように何事もなかったように始めるAM1。

 動く度に食器がカチャカチャと音を立てる。


 食器の音の影に、油の切れた自転車の様な音が微かに聞こえることに気がついた裕仁は、祈るように額の前で手を組んだ。

 どうして今まで気がつかなかったのか。彼だけは、無事であって欲しい。そう思いながらAM1に告げた。


「なぁ、AM1。明日一緒に研究室に行って欲しいんだ」


[……ドうシテデ、スカ?]


「え。ええっと。メンテナンスだよ」


[六カ月と九日前ニ受けマシタ。経過、は、良好デす]


「半年も前だよ。その間に異状が無いとは限らないだろ!」


 苛立ちを拳で叩き、思わずきつい口調でAM1の言い分を遮った。


 どうして。


 そう聞かれるであろうことは裕仁も理解していた。しかし全てを話すことはなぜか出来なかった。

 彼はとてもよく発達している。

 突然のメンテナンスと聞いて疑問を抱くのもいまや自然な事だ。

 不安がらせてはいけないとも思った。


 でも。それでも。


[ダンなサマ、承知しマシタ]


「分かってくれたのかい。ありがとう」


[タダ。ダンナ、サマ。明後日ニ、シテイタダ、ケマ、スカ? リサ、ト約束ガ、ゴザ、イマスノデ]


「約束? ああ、まあ一日ずれるくらいなら大丈夫だよ。しっかり約束を守ってやってくれ」


[ハイ。……アリガ、トウごザイマス]


 AM1は、突然のメンテナンスを告げられたこと、主人の態度が何時になく厳しい事、顔色が酷く悪い事にも気がついていた。

 舞が自分を目にして開口一番に「役立たずがまだいるなんて!」とヒステリックに喚き散らしたことも関係があるのだろうと思考する。

 突然のメンテナンスなど拒否したい。それでも、僅かでも異常があったら理沙といられなくなってしまう。

 そう考えて主人の言葉に同意したのだった。


 体をキシキシと軋ませながら。



 約束の朝 


 昨日は学校が休みだったこともあり、裕仁が舞を自宅へ送ったあと、AM1は朝からずっと理沙につきっきりだった。

 家事もいつも以上に熟し、熱心に片づけ物をし、食事の作り置きをしておくことにも余念がなかった。


 AM1は理沙を普段通りに学校へと送りだした。

 もう姿が見えなくなっているのにずっと理沙を見送っているようだった。

 そして裕仁が玄関に姿を現すと自分から車に乗り込み研究室へと向かった。


 終始、無言のままで。


 裕仁らは研究所に着くと、いつもの室長指定のスペースに車を停めて所内へ入った。AM1を研究室の斜向かいにある喫茶室に入らせて、そこで呼ぶまで待つように告げた。


「ちょっと此処で待っててくれ。用意をしてくる」


[ハイ]


 喫茶室のドアを開けてAM1が中に入ると、足早にラボへ向かって扉を開け、所員達にAM1を連れてきたことを告げた。そして、気がかりだった事を聞くことにした。


「連れてきたよ。そうだ、その前にAM2は?」


「もう修復は不可能ですね。頭部のマザーボードもショートで焼け焦げています。

その頭部以外でも、暴走時のものでしょうか、ボディのダメージがかなり深刻です。特に足周り関節の可動部分、定期メンテナンスカルテでは要観察となっていましたがかなりの錆が見られます。僕たち専門スタッフが気付けば対処も早かったでしょうが、何も告げられてませんでしたし、……寿命だったんでしょうか」

                      

「そうか。稼働部にダメージが大きいんだな、やっぱり」


「やっぱり?」


 予期したような言葉に、AM2の横にいた礼子が口を挟んだ。


「僅かなんだけど、軋む音がするんだ。AM1も」


 礼子が小さく息を飲み、口元に手をあてて青ざめた。


「あいつも一度だけ。随分昔にだけど全身を水に浸したって報告して来たことがあったんだ。どうして水に入ったかはどれだけ聞いても答えなかったけどすぐにラボで破損してないかチェックしたんだ。その時はチェックに異常はなかったけれど……」


 礼子は、あれほど優秀だったAM1までも浸食されている可能性にショックを隠しきれず目を伏せた。

 所員たちも暫く俯いていたが、裕仁の気持ちを代弁するようにそれぞれ口を開いた。


「AM1も暴走してしまう前で良かったですよ」

「もう充分ですよ。第一号機で五年も保ったんですから」

「来年には二号機も組み上がるでしょう。移行の良いきっかけですよ」


「……とにかく、AM1も看てみよう」


 裕仁は彼等の言葉に応えるより、突き放すように自分の弁を通すことで精いっぱいだった。



** ** **



 いつの間にか喫茶室を出て、ラボの入り口横にあるソファにちょこんと座って待っていたAM1を裕仁は中に通した。

 彼は検査台で変わり果てた姿のAM2を、ただ、じっと見つめていた。

 裕仁は何も言えず、そっと彼を促してAM2の横の検査台に横たわらせた。


「いいかい、AM1。暫くパワーソース(主電源)を切るよ」


 首を横に向け、ただの動かないロボットになったAM2を見つめ、静かな口調でAM1は問いかけた。


[ダ、ンナサマ]


「ん? どうした?」


[マタ、リサニ……会エマスカ?]


「会え……、あぁ、すぐ、会えるよ」


 AM1は全てを悟っていた。

 裕仁が体の軋みを気にしていたことも、なんのために此処へ連れてきたのかも。


「安心して暫くお休み」


 裕仁が絞るように答えて彼に微笑むと、AM1は静かに頷いた。

 小さく、小さく「リサ」とつぶやいて。


 上手く、笑えていただろうか……。それだけが裕仁の意識を占めていた。


 そして彼の耳の後ろにある電源を『OFF/0』にした。


**


 裕仁があとの検査を所員たちに任せようと指示していると、AM1とのやりとりの一部始終を見ていた礼子と目が合った。ラボの隣のモニタールームで彼女は腕を組んで佇んでいた。

 指示を終えた裕仁も、バツが悪そうに礼子のいるモニタールームへ移った。ガラス越しにAM1を見守りながら結果を待つことにした。規則正しくピ、ピと鳴るモニターの音がやけに大きく鼓膜を打った。

 礼子も、同じ開発者として複雑な思いを抱えているのだろうか。様子を伺うように視線を向けると、礼子は想像以上に育ったAM1に驚きを隠せずただ感嘆の声を漏らした。


「こんな状態なのに。また感情が発達してたわね」


「ん……。実験としては成功だな。だけど、このまま二体をただ処分する心境にはなれないんだよ。彼に、僕は約束さえ守っていないんだ……」


 本当のことを告げたほうが良かったのだろうか、あれで良かったのだろうか、と裕仁の思考は袋小路に迷い込んだようになっていた。

 数時間して、所員の一人が部屋に入ってきた。


「森口博士。残念ですが、AM1も限界が近いかと思われます。AM2程ではありませんが、安全性を考えると」


 やはり。

 予想はしていたがこのままで終わらせたくも無かった。

 裕仁は手渡されたデータ表を所員から引っ手繰るように取って眺めつつ皆に尋ねた。


「分解移行するとして何処まで残せるだろうか。すべての回路を洗浄して二号機にこれまでのプログラムは移行できるか」


「今の段階では人工知能チップを残したとしても、ただバックアップされている『作業』を移行できるだけで、感情まで残すのは難しいわよ。すべてリセットされてしまうわ」


「しかし森口博士。今回の実験は大成功でしょう。試作一号のアンドロイドにあれだけの感情を持たせることが出来たんですから!」


「理沙に、なんて説明すればいいんだ? 僕はかえってとんでも無いことをしてしまった」


 ほんの、償いのつもりだった。


 幼い理沙のために、ずっと傍についてやれない自分と、妻が居なくなった寂しさを紛らわすことができる、シッター兼、『遊び相手』になるだろうと。

 そして実験結果もだせるなんて好都合だと思っていた。


 たった一体のアンドロイド。

 あのときの裕仁は、そのアンドロイドがこんなにも大切な家族になるとは想像もできなかった。



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