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愛シノ リサ  作者: ちよ
6/10

6 『雪中花(水仙)』  自己愛 エゴイズム act.礼子 舞 

今回は、三島礼子と娘の舞に視点を置いたお話です。


『わたしの おかあさん』



 某名門大学の幼稚舎。

 その一画の壁に母の日に送る絵が掲載されていた。

 どれもクレヨンや色鉛筆で描かれており、色彩鮮やかで賑やかだった。


 その中央に、重厚な額縁に収められているとても目立つ一枚の絵がある。

 これはもうここにはいない、ある女生徒のもの。

 彼女は入園一年で飛び級審査に合格して卒園した特例児である。

 学院が模範学生の象徴として記念に残してあるのだった。


 これは三島礼子の娘、舞の絵だ。


 他の絵は暖色系の色が目立つのに対してそれはあまりに寒々しい印象を受ける。

 花などの装飾も一切なく、整然と几帳面な線で描かれている。

 色彩には乏しいがそのデッサン力はとても幼稚舎のレベルではなかった。

 灰色の背景に、本棚と実験用具のような小物。

 肩口で切り揃えた長めなおかっぱ風の黒髪の女の子。白いワンピースをきている。

 口は一文字に結ばれた形で表情はない。

 その隣に立つ女性もショートヘアーに黒髪に白衣。

 しかし、唇だけが赤く彩られ浮き上がっているようにみえた。


 母としてだけではなく、一人の女性として舞が礼子をみていることを、ある種の崇拝がその心に芽生えていることを如実に表していた。





 舞は物心ついた頃から何かにつけ母を模範としてきた。

 母は優しかったが、教育熱心というには少々厳しすぎるほど英才教育にのめり込んでいた。


 始まりは妊娠七か月を過ぎたときから。

 自らが受け持つ大学の講義の内容を胎児に向けて朗読するようになる。

 生後八か月で言葉を理解して、一歳のときには会話が成立していた。

 二歳からピアノを習い、毎日の読み聞かせの本の冊数は十五冊を超えていた。

 幼稚舎での学習では足りないといい、特別卒園試験を受けさせ、合格した後は留学なども視野に入れてホームスクーリングを行っている。

 将来は修士号までしか持たない自分より上の博士号を取らせるために。


 そんな母の目論見通りに成長する娘の姿を誇らしく思っている。


 父の話は毎年の墓参りの時くらいしかしない。

 その時も、面影を語るというより反面教師にしろというような内容だった。


 あのように学問に不関心になってはいけない、と……。





 舞の父、三島明人は臨床心理学修士であり、森口裕仁の学院時代の先輩にあたる。


 礼子は妊娠が発覚してからというもの、妊娠初期のつわりが元でノイローゼ気味になった。そして研究現場の一線から離れることに異常に恐れを抱いていた。

そしてその思いは次第に胎児に向けて発散されていったのだ。


 礼子が専攻する分野の研究を進めるだけでは収まらず、胎児が外界の音を理解する頃からすでに妄信的に教育しようとする。

 明人は礼子に危機感を持っていた。礼子が推し進めるままに子供を教育しては、情緒が育たなくなってしまう。いくら勉学が出来たとしても心を理解できなければ社会に適合しなくなる。


 警鐘を鳴らし、毎日礼子を説き伏せようと喧々諤々の毎日だった。

 産まれくる可愛い我が子を正しく導きたいと互いの主張を譲らなかった。


 そして舞が産まれた。


 彼は娘が娘らしく生きることを望んだ。

 別に自分たちと同じ研究者になることはない。普通に同じ歳の子らと学習して、普通に育ち、普通に嫁げる日がくればいい。

 しかし礼子は聞き入れない。

 赤子には幾通りもの可能性が秘められている、と。

 望めば望むだけのモノが手に入れられるのだ。それを何故理解しようとしないのか。


 礼子の産休の間に研究所に来た新人の話は、口伝にすぐ彼女の耳に届いた。

 才能豊かで十代で博士号を取得して、とても研究熱心だという。

 婚約者もフランス人で博士号も取得しており、彼に寄り添うように来日しているという。

 きっと二人の子供は素晴らしいに違いない。


 出逢いがあと数年早ければ、と何度思ったことだろう。

 そうすれば彼の横にいたのは自分だったかもしれない。


 そういった女としてのエゴイズムも併せて、礼子は夫を段々軽視し始めた。

 歩み寄りと思い遣りが掛け違った二人の夫婦仲は冷めてきていた。

 そんな矢先に三島明人は自動車事故に遭い帰らぬ人となった。

 遺影で微笑む彼ではもう、家族の修復もできない。

 服喪の時期が明けると礼子の独壇場になっていった。


 この日から礼子は薄化粧を止め、真っ赤な口紅を差すようになった。





 舞が自宅でいつもの学習をインターネットを使い、講義を聴きつつテキストを広げてホームスクーリングしていたある日。

 礼子がいつになく上機嫌で帰宅してきた。


 復職した研究所にいたフランス人の副室長が急に退職して帰国したので、自分がその跡をついで副室長の役務に就けるようになった、室長の森口さんの研究に携われる、と潤んだ瞳で熱く語った。


 舞は、いつも現在開発しているアンドロイド計画のことを聞いていたので、あれだけ熱心に研究していたのだから当然の結果だと思った。


 夕食時には、二人では食べきられないほどの料理が並んだ。

 こんなことは初めてだった。それほど昇進が嬉しいのか?

 それにしても普段よりよく笑い、よく食べて、シャンパンまであけて。

 舞にはその行動原理が理解できなかった。


 その日、礼子が舞の勉強をみることはなかった。

 その次の日からも。ずっと。



 日常はただ味気なく過ぎていく。余計な雑味など必要はない。

 朝起きると、シリアルに牛乳を入れたモノと簡単に焼いたベーコンが用意されている。

 それを食べていると「午前中に課題、午後も勉強しっかりね」と慌ただしく母は仕事へ出かける。

 体の曲線にぴたりと合わせた白衣を鞄に入れ、副所長として出勤する日のためにと購入した、八センチはあろうかという華奢な赤いヒールを小気味よいリズムで鳴らしながら。

 食べ終える頃にシッターの人がくる。

 名前などは知らない。舞にとって必要な情報ではなかったから。

 後片付けや掃除、洗濯をして昼食を部屋に持ってきてくれるので、それを食べながら勉強する。食事が済んだ食器は部屋の外に出しておけば片づけてもらえる。

 昼三時になるとシッターが帰る。

 一人になるとやっとリビングで本が読める。

 紅茶を温めて飲みながら、母が帰る夕方六時を待つ時間。

 何にも煩わせられないこの時間が舞には一番心地よかった。


 ただ独り、で。



 舞が六歳になった日、急に変化は訪れた。


 夕刻に母が弾んだ声で帰りの挨拶を軽くすると、みせたいモノがあるとリビングに呼ばれた。

 なんだろうと階下に降りると、銀色のロボットが……いた。


「これから我が家を実験場としてこのアンドロイドのAM2と暮らすのよ」

「シッターも明日からこないわ。AM2が全て賄うから。優秀なの」


 なにそれ? 聞いていない。

 そんな話、一度も聞いてない!


 わたしとおかあさんの二人の空間に、こんなモノが居座るっていうの?!


「AM2は『感情』を学習して読み取るから。どんどん話してね!」


 話す? このロボットと? 一体何を話せばいいっていうの?

 わたしは、おかあさんと、話せたら……それでいいのに。


 しかし、母の言葉は絶対なのだ。

 それもわたしも含めてこのロボットを研究するという。

 おかあさんの研究の。


 話すことなんて、ない。わからない。

 でもこのロボットは掃除や洗濯もいろいろできるといっていた。

 仕方がない。用がある時に用件をいえばいいだろう。


 そう、舞は思って結論づけた。


 AM2は確かに優秀だった。

 一度説明された物事をきっちりインプットして完璧に対応した。


 礼子と舞の起床時間、食事の好み、お茶出しの時間、二人のベッドメイキングの好み。本当に、このロボットが家に居ればシッターなんていらないだろう。


 しかし舞の苛立ちは少しずつ、部屋の隅に塵が溜まるように蓄積されていった。


 これまで自分だけの時間を有意義に過ごしてきたのだ。

 友達と呼べるような人間は居なかったが別に困ることはなかった。

 そもそも、同年代の子は話が合わない。つまらないことこの上ない。


 一人で過ごす時間が全く無くなってしまった。


 部屋に居ても、掃除の時間だと追い立てられる。

 本を読んでいたら、何を読んでいるのか、感想はどうか、少しでも食事を残せば、どうしたのか、具合が悪いのか、味が好みではないのか、答えるまでずっと聞きつづける。


 ――うっとうしい。


 舞が、初めて他者に「つまらない」以外の感情を持った瞬間だった。

 そして自分の後を何か用はないか、これは何かとついて回るAM2に素っ気なく応え、小さく舌打ちする。勿論、母に気づかれないように。



 初めは上機嫌で所内のことを夕食時に舞に話していた母だったが、AM2が来て一年を過ぎた辺りから、愚痴を零すようになった。

 二人向かい合ってAM2が用意した夕食を食べているときだった。


「森口くんのAM1は、報告会の度に新しい進展があるのにどうしてうちは上手くいかないのかしら」


 舞は内心ドキリとし、表情が見えないよう俯き加減でもう一体のことを聞いた。


「所長さんのロボットは『コレ』と全部いっしょなの?」


「勿論よ。同時期に出来上がって、所内での訓練も一緒。家族が二人だっていう条件も同じなのよ」


「え? 所長さんって結婚してるの?」


 家族が二人と言うことは奥さんがいるんだよね?

 ちらりと礼子の顔を伺うと、柳の枝のような眉根を寄せて素っ気なく応えてきた。


「うーん、答えに困るわね。でも、娘さんと二人家族には違いないわ」


「その子は、わたしと同じ歳?」


「舞より三歳下よ。でも舞の三歳の時とは少し違うわね。もうすぐ幼稚舎へ通うけれど、普通、よ。あなたの方が……ずっと『出来』はいいわねぇ」


 母がそう漏らした時、舞は飲もうとしていた水を喉に詰まらせた。


 わたしの方が『できる』子だと言った。

 所長さんの子供は『普通』の子だと言った。


 だけどその顔つきは眉を顰めてとても褒め言葉とは受け取れなかった。


 舞はもう少しで小学校の過程を終えて飛び級審査に行けるほどだ。数年後アメリカへ留学して学ぶために英語の勉強も少しずつ始めていた。


 それなのに、できない『普通の子』のほうがロボットを使えてるの?

 わたしができないから、おかあさんはそんな顔でわたしをみるの?


 ふつふつと、舞の中に何かが芽生え始めていた。


 わたしを、わたしを、みてよ!



 それから舞は打って変わったように、AM2に様々なことを要求するようになった。手を伸ばせば自分で取れるような物もAM2に命じて細々と『使役』した。

 毎日の散歩にも必ず連れて行った。

 浜辺を一時間から二時間は歩き続けた。その間、AM2が疑問を持ち、質問されたことに舞は淡々とこたえた。

 仕事が早く終わったときは母も散歩についてきた。その時には、舞はへの字口を微笑みに変えて母に変わった貝殻を見つけては渡した。



 七歳の誕生日には、母に無理を言って研究所の見学をさせてもらった。

 そこで行われている生体科学実験の様子などを所員の人に案内してもらい、一つ一つ質問をしながら興味深く話を聞いた。


 昼食は研究所の食堂で母と数人の所員の人と食べた。

 そこで初めて、所長の森口さんをみた。


 自分の黒髪とは違う少し明るい色。瞳も灰色っぽかった。

 一緒に居た他の男の人とはまるで違う。

 小さい頃に読んだ絵本の王子様がいたとしたら、きっとこんな人だろう。

 母も女性にしては背が高いが、ハイヒールを履いた母よりもずっと身長が高い。

 声も低いのだけどとても耳に心地よく響く。


「ああ、舞ちゃんは理沙を知らなかったよね。写真、みるかい?」


 そう言って手渡された写真には、小さなお姫様のように可愛い女の子が写っていた。


「良かったら今度、うちで夕食会をしようよ。友達になってくれると嬉しいな」


 母はちらりとわたしを横目で見て「ええ。必ず」と赤い唇を光らせて満面の笑みで応えていた。


 わたしは また こたえなければいけない

 おかあさん の もくひょう をさとった




 それから数年が経った



 舞はいつもの日課を熟し、夕食を済ませて帰りが少し遅い母を待った。


 十一時を過ぎて戻った母は、簡単な夕食をAM2に頼み、出来上がるまでにシャワーに入っていた。

 今夜もまた愚痴が始まるのだろうか。


 すると、キッチンからAM2が何かを持って舞の傍へきた。


「マ、イ、サマ。サ、キホドきっち…んノ隅カラ、写真ガ。コのかタ、ハ、ドナタ、デス、カ?」


「なぁに? アンタ、最近話し方おかしいわよ。どうしたの? 写真ってなんの。あれ? これどっかで……」


 舞は、その写真に映っているのが父だということを忘れかかっていた。

 それよりもその男の横で笑っているもう一人の男のほうが気にかかった。


「所長さん、だわ、こっち。もう1人は」


「ドくター、ハ、ワタシモ、存ジテ、イマ、ス」


「ああ! 思い出したわ。これは私のおとうさんだわ」


「オ、トウサ、マ! 初メ、て、ミマ、シタ。」


「そうでしょうね。あんたが来る前から居ないもの。わたしだってこれは初めてみたわ」


「ソウ、イエ、バ、マイ、サマカラ、オト、ウサマノ話ヲ、聞イタ、事ガアリ、マセンネ」


「だって会ったこともないもん。産まれてすぐ死んだんだって」


「死? 心肺停止。亡クナッタ。ソレハ、お寂シイ」


「寂しい? だから知らない人をどう寂しがれっていうの? アンタっていっつもそう! よけいなことばっかりいってアンタにどう関係あるのよ! もう、放っておいて!」


「マいサ、マ」


 AM2は肩を落とし少し俯いて、舞が窓際のロッキングチェアーにそっぽ向いて座るのをみていた。


「なあに? 二人で珍しく何話してたの? 大声も聞こえたけど」


 乾ききっていない肩までの髪をバスタオルで拭きながら、礼子がバスルームから出てきた。

「ゴしュ、ジンサマ。わいん、イカガ、デスカ?」


「え? ああ。そうね。グラスに一杯ちょうだい。食事もお願いね」


「ハ、い」




 それから暫くして、AM2は辞書のどの言葉にも言いえて、尚且つどの言葉にも言い換えることはできない奇妙な『感覚』で自己を制御できず、カタカタと震えていた。


 そして、遂にその時が来る。


 AM2は思考する事を放棄した。

 視界が白く濁っていく。




 AM2の培った幾許かの『感情』は 自殺を選んだのだった。




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