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愛シノ リサ  作者: ちよ
5/10

5 『シラー』  多感な心 哀愁

 AM1が理沙を助けた日の深夜。 嵐は突然やってくるのだった。


** ** **


 宵闇は深く、遮光カーテンがきっちりと閉まった室内ではデジタル時計だけが青白い光を放っていた。突然スマートフォンの着信音が静寂を蹴破る。

 もこもこと掛布団が動き、その中からにゅっと腕だけが伸びてベッドサイドに置いたスマートフォンを掴んだ。丸々と盛り上がった布団から亀のように頭をだし、掴んだそれを耳に押し当てた。


「はぁい森口……。あーなんだ君かぁ。どうしたんだぁ? おいおい、まだ三時だぜ」


 三島礼子からの電話だった。


 寝ぼけ眼で時計をみて、心地よい眠りを妨げられた不快感を声に乗せ、乱暴に布団を引き寄せる。そのままもぐりこもうとしたが、耳を突き刺すような礼子の声に遮られる。


「ご、ごめんなさい。助けて欲しいの。お願い! あ、あたし一人じゃ手に負えない!」


「どうしたんだよ、落ち着けよ」


 寝癖のついた髪をガリガリと掻きあげ、早々に通話を切りたいと思いながらも、礼子の様子が普通ではないことに気が付いてやっと目が覚めてきた。


「AM2がね。きゃあああああ!」


「おい! なんだよっ? 大丈夫か!」


 ガシャガシャガシャとすさまじい金属の擦れ合う音と何かが激しくぶつかった鈍い音。

 そして突然切れてしまった通話に尋常ではない物を感じて、ベッド脇に脱いだままになっていたカーディガンを羽織り礼子の家へと向かった。


** ** **


 行き交う車のライトが矢のように通り過ぎるほど車を飛ばし、二十分ほどで礼子の家までたどり着いた。

 初夏とはいえ、海辺に近い礼子の家の前に降り立つと、上着の裾が一気に捲りあがるほどの風が吹き付けて体温を奪っていく。潮風が纏わりつき、濡れた手で胸元に触れられたような感覚がその肌を粟立たせた。


 礼子の家は、シャープな縦ラインが目立つブルーの金属外壁で全体的にクールな印象を与える。彼女の気質によく似合った家を建てたものだと、初めて訪れた時は感心した。しかし今の状態ではそのアルミ製の門扉に手をかけるのさえ躊躇われるほど冷たく異様な雰囲気に裕仁は息を飲んだ。


「どうしたんだよ、これは一体……」


 門扉を抜け、無彩色のアルミカラーの玄関ドアを開けて、礼子の家に入るなり、あまりの荒れように言葉を失った。

 玄関からリビングへ続く廊下の壁は、硬いものを擦り付けたように所々壁紙が剥がれ、リビングに通ずるドアも割れて枠しか無かった。ガラスが飛び散り、テーブルも椅子も粉々だった。

 何もかも滅茶苦茶だ。


 礼子はかつてリビングであったところでへたり込み、目も虚ろだった。風呂上がりだったのか、バスローブ姿のままだ。裕仁が声をかけようと歩み寄るとぽつりと呟いた。


「急にね、暴れ出したの」


「何が。まさか……AM2か? おい、舞ちゃんは?」


「え、まい、は。そ、そう! し、寝室に逃がすのが精いっぱいで」


 娘の名前を聞いてやっと我に返った礼子は、あたふたと立ち上がって二階へと続く階段に目を向けた。

 その時、打ち捨てられた犬のような顔つきで、覚束ない足取りのまま舞が飛び込んできた。

 物音が収まり、静かになったことで話声が聞こえて降りてきたのだろう。


「おかぁさぁぁぁんっ!」


「舞っ! もう、大丈夫よ」


 しゃくり上げながら抱きつく舞をなだめて、やっと安心したのか礼子も初めて涙をみせた。二人の無事を確認できたことで、裕仁もホッと胸を撫で下ろした。


「良かった、無事だったんだな。それでAM2は?」


 AM2の所在を確かめると、礼子は黙って裕仁の後ろを指さした。

 彼はリビングから続くアイランドキッチンの前で体から微かに煙をだしながら倒れていた。


「これは――。どうしてこうなった?」


「ショートしたらしいわ。そこの食器棚の上棚で強く頭部を打ち付けたの」


「暴れ回ってか?! エマージェンシーは……キルスイッチはどうしたんだよ!」


 裕仁たちは万が一ドロイドが制御不能になったときの為に、彼等の機能を初期化したり、緊急停止させるエマージェンシーというリモートスイッチを持っていた。


 大きさはリップスティックほどだ。そのスイッチの裏面には、初期化を行っても尚停止せず危険な状態の場合、ボディ内部で小規模な爆破を起こして四散破壊するキルスイッチという起爆装置も備えていた。

 もしもの時にはすぐ使えるよう、チェーンに通して身に着けている。

 こんな危険な状態になるまでそれを何故使わなかったのかと、思わず声を荒げてしまっていた。


「突然暴れだしたのよ? 逃げるのに精一杯だったわ! そんなもの押せる状態じゃなかった!」


「AM2は、君たちを狙って襲ってきたのか?」


「解らない! でも、狙ってはなかったと思うの。数時間前まではいつも通りだったし。目的のある暴れ方じゃなかったわ。ただ――」


「ただ?」


「ただ、やみくもにもがいて苦しんでるみたいだった……」


「とにかく調べないと始まらない。舞ちゃんを家で休ませてAM2を研究室へ運ぼう」


 裕仁はすぐに研究所に連絡を取り、夜勤で夜を徹して作業していた何人かの所員を呼び寄せた。所員たちが到着すると、ラボの専用バンにAM2を載せて先に戻らせた。裕仁は礼子と舞を後部座席に座らせ、一度自宅へ立ち寄った。

 先ほどのことも考慮して裕仁がまず玄関に入り、出迎えようとしたAM1には書斎に居るように告げてから二人を招き入れ、舞を理沙の部屋で休ませた。

 舞が落ち着いて眠りについたのを見届け、AM1に舞のことを頼んでから礼子と共に研究所へと向かった。


** *


 研究所に着き、裕仁たちの帰所を待っていた所員たちとストレッチャーでラボにAM2を運ぶと、さっそくボディの保護盤を外して様々な箇所を点検した。

 そして、所員の一人が首から頭部を外して、その後頭内部を開いた時驚愕の声があがった。


「あっ。森口博士見て下さい、これ!」


 頭部には、裕仁と当時共に所で開発研究を行っていたその妻の細胞を提供利用して、クローン技術で培養された小さな脳が組み込まれている。脳梁の各所に人工知能回路や論理回路などのチップセットを埋め込んだ人造脳だ。

 クローン脳をマザーボードにして組み上げて、より感情感知的知能の性能を高めて成長させる狙いだった。

 脳とチップの境目部分から注意深くピンセットで黴の胞子や、チップの金属面についていた赤茶けた錆等をシャーレに移しながら裕仁に差し出してきた。


「腐食……していた?」


「そんな馬鹿な!」


 礼子も驚いて駆け寄りシャーレに移されたそれを凝視した。


「大変なことに、ほぼ全域に腐食の跡が見られます。三島博士」


「一体どうしてこんなものが? 三島、どんな使い方してたんだ」


「何も変わった事なんてさせてないわよっ! 報告書にも書いた通りよ!」


「それにしちゃぁ……」


 裕仁は更に言葉に詰まった。

 普通に生活を共にしているだけで、こんな状態になりえるはずが無かったからだ。培養液が染み出さないことは勿論、防腐処理対策もされていた。

 更に、メンテナンスは一年に一度、必ず行うことが取り決められていたのだ。


 なのに。


 鮮やかな朱を帯びた白色だった脳内部は黴や錆で赤黒く変わり果てていた。裕仁はしばし片手で口元を覆い、その腕を組んで考え込んだ。

 先日の報告会議あとの礼子の言葉を思い出したその時、ひとつの可能性が浮かんだ。


「舞ちゃんはAM2とは相性が良くなかったんだよな?」


「え? ええ、そうね。本当にお手伝いさんと主人のような関係だったわ。舞もあまり話すほうじゃないし。それでもAM2は舞の嗜好を読み取ろうとずっと傍に就き従ってたけどね」


「それが知能が発達する為の刺激が少なかった理由だろうな」


「確かにそうとも言えるけど。何が関係あるの?」


 裕仁の言葉に苛立ちを隠せず、訝しむように礼子は裕仁をみつめ、次の言葉を待った。


「普通の人間でも、脳を刺激する出来事がある度に、ニューロン細胞が交流して微弱な電気信号がシナプス細胞に送られる。これが伝達不全の状態が続くと発達障害なんかの原因になるんだ」


「舞が喜怒哀楽をあまり見せずに事務的に接した結果が、AM2の人工知能の発達を妨げていたっていうこと?」


自分たち母娘揃って扱いがぞんざいだと非難されているような思いに駆られ、礼子の声音が更に棘を増していく。


「残念だがそう言えるだろう。そして単調で変わり映えのない動きばかりではシナプス細胞が信号を送らない状態が続く。順ってニューロン細胞が痩せ細り、人間で言う所の精神障害になってしまう。まして彼はアンドロイドだ。充分な電気信号が送られず、周期的に電流過熱がなければ培養液の純度も下がってしまう。これが腐敗と黴の原因だろうな。そして、何かのきっかけが働いて急激な刺激を受けて抑鬱状態からアンガーアタック(怒り爆発)を起こしたんじゃないか? 傷んだ脳ではその刺激に耐えられなかっただろう」


 反論する隙を与えないかのように裕仁が仮説を展開する間、礼子は裕仁の見解に目を吊り上げながら何かを思案していた。そして急に閃いたとばかりに目を見開いて言葉を繋いだ。


「そう。そうよ! AM2が暴れだす前に、珍しく舞と2人きりで十分以上何かを話してたの。キ、キッチンで、わたしが、珈琲を入れていたら、舞が突然AM2に怒鳴ってね。それから一時間後くらい後だったわ、暴れだしたのは」


 慌てて早口に捲し立てながら礼子はその時の様子を語った。

 こういっては何だが、AM1とは別の意味で感情が発達していたのだろう。そうでなければ、アンドロイドが鬱状態になる要素がない。

 しかし先ほどから礼子の言葉に何か引っかかりを感じるのは何故なんだろう。

 まるで自分に非はなく、舞の行動責任だと言わんばかりの礼子の態度も聞こえの良いものではなかったが。しかし感情論に流される訳にはいかない。他に何か見落としているような原因は無いだろうか、と今度は裕仁が訝しむ。


「ああ、海。海には?」


「海? 家の前の? 海になんて入れてないわよっ」


「違うさ。落ち着けってば。そうじゃなくて、海のほうへ出かける頻度はどうだったんだ? 塩分を含んだ風が引っかかる。最近AM2の動作に不具合は無かったのか?」


 検査にあたっていた一人の所員が、おずおずと手を挙げて自らの見解を述べた。


「人造脳部は厳重に対策を施してはありましたが、長時間かけて錆て侵食したと考えられるかも知れません。何度かのメンテナンスで稼働部の疲弊があると評価カルテに残っています」


 仮説を裏付けるような言葉に裕仁は頭から稲妻が走り抜けたような衝撃を受けた。そして仮説は確信へと変わるのだった。


「そうだな。回路データのバックアップは細目にチェックしても稼働部は多少思う所があっても仕方がないと考えるだろう。ある程度の期間で交換が必要だった。思うように体が動かない事も彼には苦痛だったろうな」


 先とは違うもう一人の所員がAM2のカルテを見つめ静かに応えた。


「一番重視していた頭内部のチェックが三年前に一度です、ね」


「――――毎日、一時間は舞と浜辺で遊んでいたわ」


 所員の言葉に被せるようにAM2のボディを一瞥して、礼子も浜に出ていたことを話し出した。

 裕仁は根本から計算が甘かったことに肩を落とした。

 礼子の家の立地環境で、ボディの保護になる人工皮膚もない試作機を実働させるのは早すぎたのだ。


「もし、もしもあの時に運良くショートしていなかったら……?」


 礼子は傷だらけになったボディから目を背け、先ほどの恐怖を思い出して座り込んだ。


 裕仁も

 所員たちも

 その呟きに今更ながら身の震えを感じた。



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