4 『竜胆』 あなたのかなしみに寄り添う 寂しい愛情
数日後
綿菓子の山のような雲の空に少しずつ裂け目が広がって、その奥からうっすらと水色の空が光り覗く。
暖かな日が数日続いたあとには、掌をかえすように湿った雲が空を覆い尽くす移り気な梅雨間近の空。
一日の授業が終わり、学院の校門からウサギの子のように子供たちがはしゃいだ声で飛び出してきていた。
その群れを避けるように校門を抜け、唇を噛みしめながら俯いて家路につこうとする理沙。
そのすぐうしろを、いつか理沙の頬をつねった意地悪な裕太が友達を引き連れてあとを追い、大声で悪口を並べ立て理沙を取り囲んだ。
「おい、知ってるか。あいつん家、母ちゃん出てって戻ってこねーんだぜ」
「僕、知ってる! そのかわりにヘンテコなロボットと住んでんだって」
「うそぉ! へんなのぉ!」
「きっと今にセカイセイフクされるぞ。その前にオレ達でセイフクシャをやっつけよーぜっ」
背負った鞄の肩ひもをぎゅっと握りしめ叫ぶように抗議する。
「な、何よ。いつもいつも。ママはお出かけしてるだけなんだから」
「小さいときからずーっと戻んねーんだろ。ガイジンだから捨てられたんじゃねーのかよぉ!」
「僕、知ってるもん。父さんにもほっとかれてるんだろ」
「相手にしてくれるのはロボットだけかぁ」
「父ちゃんがヘンテコなロボット作ったんだろぉ。何かあったらどうやってセキニン取るんだよぉ」
「ママは! ただ、いまは帰れない、だけ。ママに捨てられたんじゃないもん。パパだって……。それにエームは悪い事なんてしないんだからっ」
精一杯、勇気を出して言い返した。
自分は、いい。
大切なAM1まで悪く言われるのは我慢できなかったのだ。
「そんなのわかるもんかっ!」
裕太はいつも怯えて言い返すことも出来なかった理沙が、初めて声を荒げたことに驚いて、いつもより強く理沙を突き飛ばした。
「きゃあっ!」
「あはははははっ! もっとやっつけちゃえぇっ。あはははははは」
「――ェェム、エームぅぅ」
「何か言ってるぜこいつー。」
「エェーーーームゥゥーーーーッ!」
思わずAM1の呼び名を叫び、倒れたまま、悔しくて泣き崩れてしまった。
こんな時にAM1が居てくれたら、と石畳の上でぎゅうっと手を握り祈った。
*
[リサ? ――リサッ!]
キッチンに食材を並べ、夕飯の支度を始めようとしていたAM1は、理沙が泣いている声を聞いた気がしてその手を止めた。
どうしたというのだろう。
この言いようの無い、落ち着かない感覚は?
居ても経っても居られなくなったAM1は、帰宅途中であろう理沙を探しに家を飛び出していった。
頭部に走る刺激で体が焼け付くようだった。
[ワ、タシ、ガ、リサヲ、マモ、ル!]
*
「なぁあぁ。悔しかったらロボット呼んでみろよぉっ」
「そーだそーだ呼んでみろよ!」
裕太は、ロボットの名前を呼び続ける理沙に執拗に嫌がらせを続けていた。
無邪気な声に相反して、幼い駆け引きはとても残酷だった。
理沙の容姿は否が応にも人目を引いてしまう。
クラス替えで最初に理沙が教室に姿を現したときは、みなが見惚れて口をあけたままだったほどだ。
しかし、クラスにも馴染まず、誰が誘っても輪には入らない。口を開けばロボットの話。帰ったら一緒にケーキを焼くだの、アリスと同じワンピースを作ってくれただの、庭で一緒に花を植えただの。
初めはそれでも良かった。
気が引きたかった。
初恋だったのだ。
しかし理沙の碧い瞳に裕太が映る事はなかった。
そして今も理沙の隣に居座る憎らしいロボットの名を呼び続けている。
突き飛ばされて転んだまま泣いているくせに。
面白くなかった。
それならばいっそ盛大にからかって自分の存在を刻み付けてやる。
「呼べねーくせ、に、……え?」
一番後ろで冷やかしていた一人が、急に肩をつかまれ驚いて振り返った。
そこには、鈍い銀色の体で自分の二倍はあろうかと思われる大きなロボットが立っていたのだ。
うわずった声で彼は裕太を呼び、その背にしがみついた。
「なんだ、よ。え? う、うわぁっ!」
[リ、サヲ、イ、ジメテ、ハ、イケ、マセ、ン]
「エームっ!」
「やべぇっ! 逃げろーー!」
裕太も、まさかここに件のロボットがやってくるとは思わなかっただろう。
みなであたふたと鞄を持ち直し、蜘蛛の子を散らすように逃げ帰ってしまった。
AM1は痛覚がないはずなのに、あの衝動の後から頭が焼けるような『痛み』に襲われていた。
裕太たちを追いかけて理沙への行動を正させたい思いに駆られたが、その場から動くことができなかった。
『痛み』も感覚的にあったが、その原因は今は判別がつかない。AM1はそれはきっと理沙が心配だからだと結論付けた。
[大、丈夫デ、スカ?リサ]
「う、ん」
ようやく半身を起して傍に立つAM1を見上げる理沙。
関節をぎしりと響かせて片膝をつき、理沙の顔を覗き込むAM1を見つめると、涙で濡れた碧い瞳が輝きを取り戻していく。
「ほんとに、ほんとうに助けに来てくれたのね」
心配そうに腕を伸ばし理沙を抱き起こそうとしているAM1に、来てくれたことの嬉しさを抑えきれず理沙は抱きついた。
「理沙ね、エームが居てくれるからちっとも寂しくなんてないよ……!」
――――そうだ。
ママなんて居なくてもいいんだ。
いつの日からか写真さえ見ることもなくなってしまっていた。
元より声さえも朧にしか覚えていないのだから。
パパだって月に一度か二度、ドライブに連れて行ってくれるけれど、ほとんど休みもなく一緒に過ごすことも僅かしかないのだ。
事実今、理沙の傍に誰よりも長い時間一緒に居て、楽しいことも、嬉しいことも、さみしい気持ちも、全部このAM1と分かち合ってきたのだ。
誰にも
私たちを
引き裂けはしないのだ。
理沙はAM1の腕の中で、裕仁さえも心に侵入させることを拒むことへ気持ちを傾かせていた。
昨日は更新できず、すみません。
サブタイトル考えていたら
今日の更新も遅くなってしまいました。。