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愛シノ リサ  作者: ちよ
1/10

1 『アスナロ』

 午後の太陽も西へと傾き始め、柔らかな日差しがガラス窓をオレンジ色に染める頃。


 忙しなく会議の後かたづけをする所員たちの間をぬうようにすり抜けながら、それぞれの報告書を片手に二人の研究員が会議室を後にする。


 複数ある研究室の一つの室長を務める、森口裕仁と副室長の三島礼子である。


 細く白い指の爪を噛み、膝上で白衣の裾を揺らしながら、足早に歩く礼子。

 少し高めのヒールが、神経質そうにカツカツとリノリウムの床を鳴らす。


 裕仁はスニーカーの踵を踏み、ぺたぺたと靴音を引き摺りながらゆったりと大股で歩を進める。

 白衣のボタンを外し、すれ違う所員に片手をひらひらと挙げ、挨拶を交わしながら礼子の後に続く。


 一八〇超える身長に、肩に届く細くクセのある鳶色の髪。

 光の加減によって、茶にも灰にも見える二重の瞳。

 一見ハーフのような整った顔立ちで、少し瞳を細めて薄い唇が微笑みを刻むと、女性所員から「王子様……!」と囁きが漏れる。


 そんな裕仁と所員の様子を礼子はちらりと横目に入れると、ふん、と鼻息を荒げて足早にその場を立ち去ろうとした。


「あぁ、もう。また報告会議で森口君に差を付けられた……」


 彼らは、互いの研究対象とその結果報告を照らし合わせ、違いを確認したばかりだ。

 会議室斜め向かいの喫茶室の扉を開けながら、礼子が棘のある声音で呟く。


 ガラス壁から入射する午後の陽光を受けて、光の輪を作る艶やかな黒髪のショートボブの前髪をかきあげ、眼鏡のフレームを細い中指で鼻梁に押しつける。


 備え付けのドリップコーヒーメーカーでエスプレッソを煎れる手つきは慣れたものだ。

 その様子を窺いつつ、無造作に伸びた鳶色の髪をガシガシと掻き、礼子を宥めるように裕仁も肩で息をついた。


「まぁ、ね。うちは理沙がAM1の事を気に入ってるからね」


「いいわねぇ。舞はダメ。未だによそよそしいったらないわ。AM2と暮らしだしてもう五年も経つって言うのに……理沙ちゃんより三歳もお姉ちゃんなのに」


 会議後のこの時間は一般所員たちの姿は殆どない。

 丸いバーテーブルと革製のカウンターチェアがセットで二十席ほどあるが、二、三人の背中が見えるだけだ。


見晴らしのよいテーブルに煎れたての珈琲を運びながら今日の報告会の感想を述べあった。

 ……と、言うよりもほぼ裕仁が礼子が漏らす愚痴を一方的に聞くばかりなのだが。

 報告会は半年に一度行われるが、毎回のことだ。

 礼子は自分の担当する実験機の結果がいつも今ひとつ裕仁に届かないことに苛立ちを隠せない。

 口元は屁の字に結ばれ、一重だがパッチリとした切れ長の瞳も伏し目がちに、細い銀フレームの眼鏡の奥で冷やかな光を湛えている。

 バサリと音を立ててテーブルに置かれた書類を拗ねたような瞳で見つめる礼子を、熱い珈琲を一口すすり窘めた。


「でも『感情』の発達は以前より随分進んだじゃないか」


「まだまだよ。あなたの所ほどには。五年間特に目立った機械的故障が無いし、その点はいいんだけどね」


「うーん、そうだな。でもそれに越したことはないだろ」


裕仁が長身痩躯を猫のように背を丸め、頬杖をついてアルカイックスマイルでこたえる。

 礼子は一瞬どきりと胸を弾ませる。

 頬を赤らめながらそっぽを向くとそれ以上何も言わなかった。


《 ANDROID PROJECT 感情感知システム搭載家庭用アンドロイド試作機 AM2 報告書 》


 分厚い報告書の表紙に目をやり、思うようにいかない結果ながらも、失敗はなく進んでいることに少し安堵したようだった。

 裕仁にも「問題無いさ」と肯定されて、屁の字口に微笑みがもどる。「よし」、と掌で弄んで温くなりだした珈琲を一気に飲み干してテーブルに戻し、礼子が席を立つ。


「そろそろ行きましょうか」

「あぁ、こんな時間か。また明日」


 慌てて最後の一口を流し込んで、裕仁は《AM1》の報告書を鞄に押し込め喫茶室を後にし、帰り支度を急いだ。


 彼らが開発したアンドロイド《AM1》《AM2》は、「アンドロイドに『感情』を持たせる」という目的で造られて、五年前から試作機を実働させている。

 今ではあらゆる工場や建築現場、民間では介護、医療施設などで多くの作業ロボットが従事していた。

 介護施設では力の必要な入浴時や、寝たきりの人を移動させる際にロボットアームが補助を行っている。各所の窓口、受付業務も人型ロボットが担うことで、スムーズに案内が為されている。

 それを『より人間に近く』、なにより『感情』を通わせられるモノが造れないかと、試行錯誤を重ねてきたのだ。

 将来的には信頼のおけるパートナーとして、いわゆる執事や侍女のように家庭内での様々なことを任せられるドロイドとして世に出すために。


 その試作機二体の実験場として、開発者である森口裕仁と三島礼子の家庭を提供することになった。

 彼らが成果を自分たちの目で確かめたいという思いもあったが、彼らにはもう一つ共通点があった。


 礼子は娘の舞を産み、暫くしてから夫が不慮の事故で亡くなって二人住まいであったし、裕仁も娘の理沙と二人で暮らしていた。

 シッターを雇う煩わしさを省きたい。

 忙しく所内で研究に明け暮れる二人には、そういった意味でも都合が良かったのだ。


 裕仁は足早に二体の試作機の概ねのメンテナンス等を行うラボを通り過ぎ、研究所のドアを抜けて駐車場へ向かう。

 駐車場は草野球ができそうなほどの広さである。

 裕仁は、所謂「室長権限」で、ラボまで数歩の場所に専用駐車場を与えられていた。


 研究所は鬱蒼と木々が生い茂る小高い丘の上にある。

 平屋建てでいくつものラボが併合しているためとても広く、その外観はシンプルながらモダンな印象を受ける。ホワイト系のモノトーンの外壁と、シルバーの屋根のコントラストが鮮やかに存在感を強調していた。

 太陽光発電システムを取り入れた屋根は、夕陽を浴びてきらきらと輝いていた。

 研究所の敷地を出ると二車線の道路が伸びており、緩やかなカーブで丘の稜線をなぞって、麓まで一本道だ。

 丘の麓には国立病院機構の棟がいくつか建ち並んでいて、疾病対策の研究棟、病院棟、入院棟などに分かれていた。


 「豚鼻」と愛好家の間で評される、ドイツ車の黒いハイブリッドSUVが裕仁の愛車だ。

 助手席に書類の詰まった鞄を放り入れると、滑るように運転席に乗り込む。

 研究所から自宅までおよそ三〇分。

 先ほどの礼子の愚痴を思い出しながら車のエンジンをかけ、木立の中を走り出したときに、ふと初めてAM1を連れ帰ったときのことを思い出した。



*****



 ミモザや金木犀、トネリコの木々が生い茂ったフランスの田舎町を思わせるガーデンが広がり、その横には車が二台悠々停められる駐車場。

 赤茶けたレンガを敷き詰めた通路を抜けると門扉があり、二階建てのアンティークな白い洋館が現れる。

 磨りガラスがはめられた重厚な白い木製のドアを開けると、大人二人が並んで靴を脱げるほど広々とした玄関ホール。

 正面にはまっすぐにのびた廊下と、二階へ続く緩い螺旋階段が見える。

 内壁も白く塗られており、濃い茶色のフローリング床との輝度の差も趣を感じられる。

 裕仁自慢の設計だ。


「さぁ、ここが我が家だ。いいかい、AM1。君のこれからの仕事は僕の娘の世話をしてもらいたいんだ」


 仕上がったばかりのアンドロイド、AM1を案内をしながら長い廊下を進みリビングに迎え入れた。

 AM1は裕仁より少し低い位置から顔を見上げていた。


 彼は森口家の間取り図をインプットするように、周りを見ながらゆっくりと裕仁の後をついてくる。

 リビングのソファセットの背もたれに腰を下ろし、飾り棚に置いてあった娘のホログラム(立体映写像)をAM1に見せた。


「理沙と言ってね。今三歳なんだ。とっても可愛い女の子だ」


[カワ……イイ]


「そう、可愛い。僕は仕事の都合上つきっきりで居るわけにはいかないんだ。だから君の手助けが必要なんだよ。解るかい?」


[ハイ。ダンナサマ]


 女性のようにも聞こえる高めのトーンで柔らかく話す声は、電子音ながら心地よく耳に響く。

 首を傾げ、反芻するように学習する様を微笑みながら眺めた。


「まぁ、ゆっくりでいいさ」


 部屋着に着替えようと立ち上がったその時、二階の寝室から階段を駆け下りてくる音が響いてきた。

 リビングのドアの磨りガラスに小さな影が映る。


 ――理沙だ。


「パパぁーっ! ママはぁ? まだ帰ってこないのぉ」


 白いワンピースに似た寝間着の裾を捲りあげ、理沙は怯え震えていた。

 大きな瞳が溺れるほど涙を流しながら裕仁の方へ一目散に駆け寄る。

 理沙はまだ裕仁の膝までの背丈しかない。

 亜麻色の髪は寝乱れたままで、結わえた髪の長さが互い違いになってる。

 裕仁の膝元にがっしりとしがみついてきたので、ぽんぽんと頭を撫で、絹糸のような髪を指で梳き理沙を落ち着かせる。

 また悪い夢でもみたのだろうと。


「ママはね、ちょっと旅行にでかけたんだ。ほら、理沙もお外で遊ぶの好きだろ? ママもね、ゆっくり遊んでみたくなっちゃったんだよ」


 裕仁はまだ小さな理沙に真実を話すこともできないでいた。

 それが精一杯の言い訳だった。胸が詰まってやるせない気持ちになる。

 理沙の涙を指で拭い、抱き上げると背中を撫でつつ話を続けた。


「だからもう少しの間パパとお留守番してような。でも理沙、今日からは二人ッきりじゃなくなったんだよ。新しいお友達がいるんだ」


 理沙を抱き直し、ソファの傍らで様子を伺うようなAM1に向き直った。


「AM1、理沙だよ」

[リ、サ……]


 明日の朝にでもと思っていたが丁度いい。

 指示はないかと待ち続けるAM1を紹介することにした。

 するとAM1はそろそろと近づいて、今し方覚えたばかりの名前を呼び、手を差し伸べて理沙に握手を求めてきた。

 しかし、理沙は先ほどの興奮もまだ冷め切ってない上に、初めて見る謎の物体に驚いたようで、小さく「ひっ」と息を呑み力いっぱい裕仁にしがみついた。


 無理もない。人型とはいえ、試作機の段階なので人工皮膚はまだ作られていない。

 無機質な銀色のボディのままだったし、顔も白い仮面のようで瞬きをするくらいしか表情を作れないのだ。

 一昔前のSF映画にでてきた、数か国語を操る通訳ロボットその物の姿だったのだから。


[リサ、リサ。ハジメマシテ]


 理沙の顔をちかりちかりと暖かな色のライトが灯る瞳で見つめ、裕仁のマネをして理沙を抱こうと手を伸ばした。

 しかし理沙はさらに裕仁にしがみつき、いやいやと首を振ってその手を拒んだ。


「大丈夫だよ理沙。仕方ないなぁ」


 やれやれと溜息をついて、理沙の額辺りに裕仁は頬を摺り寄せた。


「今日はこのまま寝かしつけるか、続きは明日にしよう」


 裕仁はAM1に告げ、その場で待たせて理沙を自室に連れて行った。

 寝かしつけたあと彼の元へ戻り、一日のスケジュールや理沙の子守の内容を指示して、リビングの隣にある書斎へ連れて行った。

 裕仁の机の斜向かいに据えた、彼の充電スペースとなるマッサージチェアのような椅子にAM1を座らせて、その日を終えたのだった。



 次の朝 



 理沙はベッドの上で母の写真を見つめながら起きてこようとはしなかった。

 この写真は、理沙が生まれる前から家事代行で来ていたシッターが、裕仁の書斎を掃除中に見つけたと理沙にこっそり手渡してくれたものだ。

 ホログラムが主流となってから、印刷した写真はその数を減らしていた。

 理沙の母が居なくなったあと、裕仁が一掃してしまったのでよけいに貴重な一枚であった。

 それ以降、枕元に置いているテディベアの服の下に大切にしまいこんで、寂しさが募った時に取り出しては眺めていた。

 AM1はタオルを片手に朝の支度を整えさせようと理沙の部屋へと向かい、ドアを軽く三回ノックして開き、トーンの高い陽気そうな声で話し出した。


[サァ、リサ。起キテクダサイ! 歯ヲ磨キマショウ。ぱじゃまモ着替エマショウ。ダンナサマハ、モウ、オシゴトニ向イマシタヨ。朝食ハ出来テイマス。リサガ好キトキキマシタ、はにーとーすとデス。食事ガ、オワッタラ、オ庭デ遊ビマショウ。ソレカラ……]


 AM1の視線が理沙の手に握られたモノをとらえた。


[ソレハ? しゃ、しん、写真デスカ?]


 知識としてインプットされていた『写真』。

 初めて見るそれに、実物の手触りを上書きしようとAM1は手を伸ばした。

 理沙は布団の中から頭だけ出し、紅葉のような手で銀色の手が伸びてくるのをぴしゃりと払いのけた。


「ママのマネなんてしたって駄目なんだからっ! 嫌い! 大嫌い!」


[リサ、ドウシマシタ?]


「りさの大事なものとろうとしないでっ!」


 跳ね起きてベッドの傍まで来ていたAM1を突き飛ばし、我慢していた言葉を吐き散らした。

 立ちつくすAM1の横を脱兎のごとくすり抜け、大きな瞳からポロポロと涙を流し部屋から出ていってしまった。

 AM1は想定外の事にしばし次の行動の正否を思考し、そのあとを追いかけようとした。

 理沙は振り返りもせず、パジャマのまま家の外へと駆け出していった。


「ママ! どこに行っちゃったの? りさを置いて行かないで! 戻ってきてよぉ」


 大粒の涙を散らして母の写真を握りしめ、家から少し離れた川縁まで走ったところで、理沙は小石につまづいて、頭から前のめりに転んでしまった。

 その拍子に小さな手に握られた写真は風に乗って木の葉のように揺らぎ、川面にふわりと張り付いた。

 川は流れこそ早くはないが、川縁から急に掘れており、深いところは大人の首まで浸かってしまう。


「や、ママのしゃしん! きゃあっ!」


 写真を拾おうと手をばたつかせて慌てた為にバランスを崩し、理沙も頭からざぶりと川に落ちてしまった。

 丁度そこへ理沙の着替えを持ったAM1が追いついてその光景をとらえた。

 理沙はバシャバシャと水面を叩くがどんどん深みへ流され、今にも頭まで沈みそうだった。


(たすけて。ママ、パパぁっ)


 瞬間、AM1の瞳が強く光った。


 AM1はすぐさま川に飛び込んでざぶざぶと川を進み、溺れ沈もうとする理沙を抱え上げた。

 防水加工は施されているとは言え、全身が浸るほど水に入ることは危険だとインプットされている。

 それにも関わらず身を挺して理沙を守ろうとしたのだ。


[モウ、大丈夫デスヨ。リサ。アァ、スコシ、コチラデ、待ッテ……]


 理沙は鼻や口から思い切り水を飲みこみ、ゲホゲホとむせ返って水を吐き戻した。

 思いがけない事故に驚き、そのボディにしがみ付いて震えていた。

 AM1が川からあがって理沙を柔らかな草地に下ろすと急に我に返り、慌てて彼に叫ぶ。


「た、助けてくれたって……嫌いなんだからっ!」


[リ、サ]


 理沙を下ろした後、もう一度何かを取りに戻ろうとするAM1を。頑なに理沙は受け入れようとしなかった。

 顔を真っ赤にして、また家へと駆け戻っていってしまった。


 ぽつんと残ったAM1は拾い物をすると、思考しつつ来た道を戻った。


 そして、駆けていく理沙の後姿と今拾ったモノを交互に見ながら、ちいさな声で独り言のように小さなお姫様に語ったのだった。


[ダンナサマハ、仰ッタ。ユックリデ、イイサト。ユックリ、トハ――リサニハ、ドレホドノ時間デショウカ]



静かに、静かに、思考し、家へと歩く。

濡れたボディもそのままに……。



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