九話 海商都市の午前
「えっと……お嬢ちゃん、ママかパパは一緒じゃないかな?」
「一緒じゃないんで、お嬢ちゃんでもないんで、先に登録お願いします」
「で、でも、君はまだ子供だからね? ここに来るのは、もう少し大人になってからにしよう?」
「最近は子供だって働くご時世何ですよ。どっかの屋敷で、まだ十三歳くらいの女の子が、メイドをやっている所を見た事があります」
「う、うーん……」
子供というのは、中々に不便である。
鶏のうるさい明け方。慣れない肌寒い朝を迎えた俺は、そそくさと身支度を終え、ギルド公館に足を運んでいた。
まだ誰もいない。いるとすれば、今目の前で俺をあしらおうとしている、受付嬢くらいだ。
予定としては、この後すぐに服屋へ向かい、安物の目立たぬ衣服を購入する予定だ。
この格好が特別派手という訳ではないのだが、幾分地に足がついていない気がする。端的に言えば、俺が気に入らないだけなのだが。
因みに、費用は今着ている服を売り払って得られる物を使う。
「……仕方ない。これを見せれば、納得してくれるかな」
「?」
そう言うと、彼女は奥の棚から一枚の用紙を取り出し、机の上に置いた。
「これは冒険者カードと言ってね? その人の身分証明にもなる重要な物なの。冒険者になりたいっていうのなら、まずはこれを発行して貰う事になるんだけど……」
ひらりと彼女が紙を裏返す。
するとそこには、地球でも時折見かけたような、手形のマークが描かれていた。インクをつけてペッタンするアレだな。
「これは特殊な素材でできていてね、魔力に反応するの。自分の掌に魔力を集めて、手形を押すのね」
吸魔紙のことは知っている。インクを使わずとも、記録ができる優れ物だ。
聞くところによると、賢者とも呼ばれる程になると、触れずとも念じるだけで好きな物を描くことができるのだとか。
「冒険者っていうのは、色々な人の依頼を受けて、お金を貰うの。その中に、護衛をこなしたり、モンスターの討伐依頼があったり、危険と責任が付き纏う依頼が沢山あるのよ?」
熱心に語ってくれている所悪いが、俺はあまりここに長居するつもりはない。人が増えて、この状況に絡まれでもしたら面倒だ。
「だから、魔法が使えなくても、魔力を操る程度の力量はないと、冒険者には……って、お譲ちゃん?」
「すいません、急いでいるので……」
気合いを入れて、登録用紙を叩く。暫くしてさっと手を引くと、そこには綺麗に俺の手形が映し出されていた。
「……あれ?」
「できちゃいましたね」
「そ、そうだ……ね」
感触は少しザラついていて、プリンタ用紙とは大分違う。どちらかと云えば、画用紙に近い。硬いし。
終始疑問符を浮かべる受付嬢さんの指示を受けつつ、冒険者としての登録を終えた俺は、早速元々着ていた衣類を全て売り飛ばし、動き易さを重視した安価な衣類を身に纏っていた。
店員が女物ばかり勧めて来るので、上も下も自分の好みで選ばせて頂いた。ついでに、髪を纏めるゴムも買っておいた。
母さんがあんなにしつこく切ることを拒んだ物だし、勝手に切るのは可哀そうだからな。
さて、とりあえず手持ちの確認から行おうか。
衣服は予想以上に高く売れた。古着という事もあったが、その金額は銀貨百枚だ。ほぼ需要のない子供服だというのに、中々の収入だった。
そして、現在身に付けている物が、上下合わせて銀貨三枚。これも、子供服だから安かったのだろう。
つまり、現在所持金は銀貨百十六枚と銅貨五十枚という訳だ。金貨一枚が銀貨千枚だった筈だから、まだまだ先は長いな。
だとしても、冒険者としての資本は整ったと言っても良いだろう。森や洞窟を歩きまわるのには当然にして、草原を散策するにもこの世界は備えが必要だからな。
ダンジョンなんて物になれば、それはもう今持っている物を全て準備に回さなければ、探索に入ることは不可能だろう。
ここまで七割が、家庭教師であるレアクトリーチェ殿の経験談から学んだことである。
さて、まずは買い物に行くとしよう。
* * * *
本当に帰る気があるのか、という疑問が自らに沸いてしまう程、結構な買い物をしてしまった。
まあ、安全第一だからな。備えあれば憂いなしだ。
一通り買い物を終えた俺は、重い荷物をひーこら引き摺りながら、再度同じ宿屋に戻っていた。
階段を昇る時は女将さんに手伝って貰った。後でもう一度礼を言っておかないとな。
何はともあれ、これで町の郊外を散策するのに不便はしない筈だ。俺が遭遇するモンスターに対処できれば、の話だが。
「あ、あの…………」
荷物の整理を終え、部屋で一人息を吐いていると、突然部屋の扉が弱くノックされた。
ノック二回はトイレだぞ、なんてここでは通じない勝手なマナーをぼそりと呟いてから、ベットから立ち上がる。いや、飛び降りると言った方が正しいか。
視線とほぼ同じ高さにあるノブに手を掛け、扉を開く。
「わ!」
立っていたのは、少なくとも俺より背丈の高い、栗色の髪を持った少女だった。
昨日、夕飯を頂く際にチラッとだけ見た。確か、ここの主人と女将さんの娘さんだったか。
「えっと、何?」
「その……もし良かったら、お昼もどうですかって……お母さんが」
「本当? なら、お言葉に甘えて、頂こうかな。ちょっと支度をするから、先に行っていてくれ」
「う、うん。食堂だから」
「了解」
ぱたぱたと遠ざかる彼女が角を曲がったのを見送った後、扉を閉めて身支度を始める。
昼食はそこらの出店で買って、適当に済ませようとしていた所だ。丁度いい。
育ち盛りだからな。栄養のバランスに気配りの届いた料理を取るに越したことはない。
それが終わったら、町の周辺で軽く散策をしてみよう。ギルド公館で依頼を受けるのは、明日からだ。
あまり遠出はしない予定だから、そこまで大荷物で行くことはないよな。治癒薬を一本と、護身用のナイフが二本あれば十分だ。
(うーむ……遠出するには道具は沢山必要だし、あまり沢山持ち過ぎると直ぐ疲れて、行動範囲が狭まってしまう)
だからといって、町の郊外をうろちょろしているだけでは、金貨一枚なんて夢のまた夢だ。
(当面の目標は、店頭に並んでた<魔法鞄>の購入に絞るとするか……確か、銀貨四百枚だったよな)
現在手持ちは、僅か銀貨七十八枚のみ。本日分の宿泊代込みで考えると、更に銅貨五十枚減だ。
治癒薬が高くついたな。二本も買うんじゃなかった。治癒魔法はまだ慣れてないから、余計魔力を喰ってしまうんだよな。
今回誘拐に遭ってしまったのは、学院入学前の鍛錬として、神様が差し向けた試練なのかもしれない。
だとすれば、こんなガキの頃から異国へ飛ばすなんて、とんだスパルタ神様もいたモンだ。
まあいい。今は状況に対してぶつくさ言うよりも、前見て石橋を叩く方が先決だ。
しっかり用心して、一人での冒険を存分に楽しんだ方がお得な気がする。
さて、そろそろ食堂に向かうとするか。
ここの晩飯、美味しかったからな。きっと昼飯も美味いに違いない。
ナイフのホルダーをしっかり締めて、俺は部屋を後にした。