七話 誘拐ダンスパーティ
八歳の終盤。かつてない程の睡魔と戦いながら、俺は今、決して寝てはならない場所に立っていた。
社交とも言うべきだろうか。すこぶる上から目線な貴族連中が集まったその場所は、所謂ダンスパーティという名の催し物だった。
主催は名も知らぬ上流階級貴族で、王宮でも一際存在感の大きい母の評価を少しでも上げておこうと思い、招待状を寄越したのだろう。
因みに、これは全て母の口から出た言葉である。
そうと分かっていながら俺を連れてまで来た意図は、しっかりと理解しているつもりである。
母にとって、ここは俺の友人を作るための場なのだろう。人づき合いに積極的ではないことを、彼女は既に知っていると見える。
確かに、こちらには興味の沸く事が多すぎるので、それ以外のことからは少々手を抜き気味かもしれないが、それでも興味がない訳ではない。
(学院入学まで、まだ六年もあるんだ。そんな焦る必要もないだろうに……)
そんな俺は一人、果物系統に的を絞って胃を膨らませている。珍しく整った形の食事ではないので、今日は好きなだけ好きな物を食べ尽くす所存である。
母ことサーラはというと、少し離れた場所で貴族紳士たちに囲まれ、身動きを取れずにいた。話の内容を聞きとることはできないが、恐らくは縁談でも持ちかけられているのだろう。
無理だと分かっていても、あれだけ美人だと特攻したくなる気持ちもよく分かる。
玉砕する者達に称賛の言葉を心の中で投げかけながら、俺は皿の上にどんどん好みのフルーツを並べていく。
「あ、あの」
「ん?」
ふと、背後から声を掛けられ、皿と大皿を往復していたフォークが止まる。
振り返って見てみると、そこにはいかにもお坊ちゃまな固い服を着た、蝶ネクタイボーイが立っていた。
背丈はあまり変わらない。むしろ向こうの方が高く見える。
「なんでしょう?」
「え、えっと……その……」
後ろの方で、母親らしき女性が、小声で「頑張って、アラウちゃん!」と囁いていた。失礼だが、筒抜けです、マダム。
呆れ半分疑問半分で眼を細める俺の表情に、気付く様子はない。男の子の方は視線下斜め四十五度くらいを維持したまま、いまだにまごまごしている。
「ぼく……私と一曲、踊って頂けませんか!!」
(……はい?)
思わず、耳を疑ってしまった。
それと同時に、彼がとんでもない勘違いをしてしまっている事に気付く。
窓ガラスに映る自分の姿。一応、服装は男物を着させて貰っている。ネクタイもつけているし、スカートではなくズボンだって履いている。
しかし、そこにいる自分は、残念な事に男と捉えるには少々難があった。服よりまず眼にとまるのはこの長い髪。更に、この体つきと顔つきである。
先程まで貴族紳士たちの質問攻めにあっていた筈の母が、いつの間にかこちらに拳を向け、親指を立てていた。へし折りたいと思った。
しかし、断れない空気であることは確かだ。ここで「ごめんなさい、僕、男なんです」なんて言った日には、向こうが大恥を掻いてしまう可能性大だ。
そうなれば、逆恨みなんてことにもなりかねない。
(母さんに迷惑をかける訳にもいかないし……原因は殆どあの人なんだが……)
世間体とプライド。
秤にかけた結果、自分に誇りという物があまりないことに、今日始めて気付く俺だった。
* * * *
慣れないステップ。そして生温かい向こうの手助け。八歳にしてダンスを経験したというのは大きいが、残念ながら立場というか、これからの人生に役立ちそうな経験にはなりそうになかった。
テラスで一人項垂れていると、背後から突然、ぬっと大きな陰が現れた。顔を上げて正体を確かめると、再度項垂れる。
「結構なお手前でしたよ、カノン君。何より綺麗でした」
「今笑ってるだろ、レアクトリーチェさんよ」
「まさかそんな……くっく……」
隠す気がないようだ。
怒る気迫すら沸かない。本当に色んな意味で疲れてしまった。早く帰りたい。
そう呟くと、レアクトリーチェ殿が驚いた顔を浮かべて、「おや」と口にする。
「今日のパーティは、最低でもあと三時間は続きますよ。各々に部屋が割り当てられている筈ですから、恐らくは泊まりになるでしょう」
「知らなくていい事実を知ってしまったようだ……」
確かに、そんなことを馬車の中で母が言っていたような気がする。乗り物酔いの激しい俺の耳には、まったく残っていないが。
とにかく、今は直ぐにでもここから離れたい。家でなくてもいいから、一人で静かに部屋で横になりたい。
「そんな訳で、俺は早々に抜けさせて頂くよ。母さんに宜しく言っておいてくれ、レアクトリーチェ殿」
「おやおや、もう良いのですか? ここは交流の場。未来の友人を作らなくてもよいのですか?」
「その場の友達はその場で作るよ。おやすみ、レアクトリーチェ殿」
「ふむ……まあ、私に意見する権限はありません。おやすみなさい、カノン君」
優秀な家庭教師をその場に残し、俺は一足早く会場から抜け出すことにした。
閉じられた扉からこっそりと廊下に出て、そそくさと会場から離れる。呼び止められたりなんかしたら面倒だ。
それにしても広いな。マナード家の屋敷も中々の物だと思っていたのだが、ここはその二、三倍以上はある。個人が住まうような広さじゃないぞ。まあ、住み込みの従者もいるのだろうが。
母から聞いた部屋の場所を探し、長い廊下をこつこつと進んで行く。
この三年の間、俺はひたすら体を鍛えることに励んでいた。
今までが部屋に篭り切り&本の虫状態だったから。いくら身を護る力をつけたいと言っても、本体が愚鈍では出来る事も出来なくなる。
そして得た結果は、大敗である。どうやらこの体は、圧倒的に体力がつき難い傾向にあるようだ。
この三年間、毎朝走り込みを繰り返した結果、全力疾走が可能な距離は精々五十メートルが良い所だ。百メートル程になると、息切れが激しくなって走るどころではない。
意気消沈とまではいかないものの、今は精神的にぐったりしてしまっている。貴重な伸びしろである期間を、三年も無駄にしたのだ。
これなら、素直に三年間勉学に回していた方が有意義だっただろう。
「過ぎた事を悔やんでも、仕方ないよな……」
部屋に到着し、ベットの上に仰向けになりながら嘆息する。口で自分に言い聞かせようにも、中々難しい。
今日は色々あって疲れた。もう寝よう。
スーッと体から力が抜けていくのを感じながら、俺はゆっくり意識を手放した。
* * * *
揺られてる。
まるで揺り籠みたいだ。
ああ、ここに来たばかりの時を思い出す。
毎日母さんの腕の中で、寝息を立てていたあの時間。
声が聞こえる。
誰だ? まだ、俺は眠っていたいんだ。
「――――だ――――金」
「――金貨――――――」
(あれ?)
靄のカーテンが晴れ、俺は宙ぶらりんになっていた意識を取り戻す。
空気は少しまだ冷えていて、子供である俺の軟肌を撫でた。
「おっと、目を覚ましちまったか?」
「まあ、もう騒ごうが泣こうが喚こうが、関係ねーんだけどな!」
そう言って笑う男達は、盛大に高笑いを上げながら、焚火に差した川魚を頬張っていた。
ここはどこだ? どうして俺はこんな所にいる?
「森の中だ。助けは来ないぜ」
「しかし、こんなあっさり成功しちまうとはな。貴族の娘の誘拐なんて、虎穴だと意気込んでたのによ!」
成程。何となく状況は把握した。
それにしても、あの屋敷の警備はどうなっているんだ? こんなにも簡単に賊の侵入を許してしまうとは、情けない。
油断していた俺も俺か。
後ろに回された手はロープで縛られており、足も同じだ。口には布を噛まされている。
まるでドラマのワンシーンのようだが、これはドラマでもアニメでもない。正義のヒーローが現れない以上、自分でどうにかしなければ。
一応、助けを呼ぶための策は有る。水魔法で鳥を作り出し、屋敷のあった町へ飛ばしてやればいいのだ。
しかし、それには元である水が必要だし、何より、ここから町が一体どの方角に位置しているのか分からない。
魔法を使って奴らを倒したとしても、ここがどこなのか分からない以上、森の中で遭難する結末が待っている。
結果、俺はひとまず、この二人に抵抗しない道を選んだ。
誘拐するという事は、彼らにも目的がある筈だ。
これが依頼で、これから依頼主の居る町へ向かうもよし。俺をダシにして、脅迫状を出すもよし。
その時こそ、俺は本気で抵抗して見せよう。彼らがどれだけの力量を有していようと、今まで学んだ全てを駆使して、逃れて見せる。
水筒から水を飲みながら、笑い合う男たち。
それにしても小汚い連中だ。腰に提げた剣は鞘にも入っておらず、危なっかしい。
(でも、手入れだけはしているみたいだ)
とりあえず、今日はもう寝よう。それで、明日どうなるかで、もう一度状況を確認する。
頭の中だけでそう呟き、俺は再度深い眠りについた。