四話 水が意思を持ちました
三歳の誕生日が過ぎた。
やけに騒々しい母とメイドによる誕生日会だったが、今となっては良い思い出だ。
この世界での赤ん坊がどの様な知性を持っているのか不明だが、既に俺はペラペラと喋り始めていた。
最初は不自然かな、と母の様子を伺ったが、俺が喋り出したや否や「カノンちゃんは頭が良いのね!」と言って喜んでいた為、間違いではなかったのだろう。
結果的に特別視されてしまったが、致し方あるまい。
因みに、髪はまだ切っていない。これはおかしいだろう。
そんな長髪のうざったい、俺にとっては三度目の七月。誕生日は八月六日だったので、恐らくそれで合っていると思う。この世界の一年は十三カ月なので、少々感覚が異なるが。
この髪のせいか、俺の容姿は非常に男から離れた物になっている。この間、鏡に映った自分の姿を見て「美少女がいる。挨拶の一つでもしておくべきか」と鏡に頭突きを喰らわせた程だ。
それはさて置き。
ここ一年で俺がして来た事と言えば、本当に魔法の自主練習くらいだ。如何程魔法が扱えるのか、まだ母やメイドには話していない。
話していないのだが、この間うっかり、若いメイドに魔法の訓練を見られてしまった。
一応、口止めはしてあるが、少々不安である。
(まあ、実質練習に割ける時間が増えた訳だし、結果オーライかな……)
俺の身の回りの世話をするのは彼女だけなので、今まで彼女が部屋に訪れる時と、母と一緒にいる時間以外は、殆ど魔法の練習を行っていた。
しかし、今やその専属メイドさんの目を気にせずとも良くなった。つまり、更に魔法の訓練に励む事が出来るようになったのだ。
「カノン様、昼食のご用意が……きゃあ!?」
俺を呼びに来た例のメイドが、扉を開けた途端に尻餅をついた。
「こ、今回はどのような魔法を……?」
「風属性の下級魔法だよ」
ポカーンとしたまま「は、はあ……」と頷くメイド。名はヒナというらしい。
港町出身らしく、家族を支援する為にここで働く事になったのだとか。家族思いな子だ。
食事へ向かう途中、チラリと窓へ目を向けると、俺の姿が映っていた。前世とはかけ離れ過ぎているので、自分だという実感がない。
外に他人が浮かんでいる気分だ。
ダイニングルームに入ると、いつも通り、綺麗な食器に整った料理が盛り付けられていた。
後ろには、母が雇ったコックが立っている。気持ちの良い笑顔を振りまく青年で、腕も良い。
その爽やかさ故に、メイド達からの人気も高かったり。
「相変わらず美味しいよ。流石だな」
褒めてやると、彼は嬉しそうに頬を緩ませ、小さくガッツポーズを決めた。
俺が笑って称賛すると、いつもこうやって喜んでくれる。まあ、俺もそれが嬉しくて、いつも褒め称えてやっている訳だが。
「お褒めに頂き光栄です、カノン様!」
「あ、ああ」
しかし、元気が良すぎるのも考え物だ、
こういう人間の対応のし方は、よく知らないのだ。
コックが下がり、部屋に俺とヒナだけが残された。
特に会話もなく、半分程胃に入れた所で、俺はフォークとナイフを動かす腕を止めた。余談だが、礼儀や行儀についてはまだまだ発展途上である。
「ヒナ、あのコック、君にはどう見える? メイド達の間でも、人気が高い様だけど」
「そ、そうですね。カッコよくて、頼り甲斐のある方だと思います」
くそ、イケメンめ。
表面上無関心を取り繕いながら、俺は昼食をそそくさと平らげた。
外の空気を吸って部屋に戻ろうと、足を運んだのは中庭。
ここに居るのは、母のパートナーである竜、ヴァーランだ。戦っている所を実際に見た事はないが、見上げなければ視界に入らない頭に、強靭な体躯を持つアレは、誰が見たって一言「強い」というイメージを持つだろう。
「今日もヴァーランはお眠だな……」
微笑みながら鼻の先を撫でてやる。下に向いて生えた巨大な牙は、何年か一度に生え変わるらしい。
薄く開いた双眸が、ゆっくりと俺を捉える。まあ、酷い時は一週間続けて移動、戦闘を繰り返すらしいからな。
しっかり休める時に休んでおかなければ、いざという時に全力を出し切れない。
低いエンジン音の様な声を小さく出し、再び両目を閉じた。
「お休みヴァーラン、良い夢見ろよ」
と、我が家の守護竜と言っても過言ではないヴァーランの頭を撫で、俺は中庭を後にした。
そして自室に戻り、早々魔導書を開く。次はどんな魔法を試そうか。
今はヒナも近くにいないし、好きなだけ魔法の鍛錬ができる。
そんな訳で、現在魔法を使用中。水道からバケツに注いで来た水を、指で差しホイホイと操る。
一度、この水流を生き物の形にして、自我を持たせようとした事がある。
しかし、魔法と同じで、それには強く思わなければならない。大勢の人間の願いで守護像が心を宿らせ、不幸を打ち倒したというのは、このガーバウス王国では有名な話だ。
そんな人数が願ってやっと、石像一つ動かせるのだ。俺一人が頭を悩ませ、拝んだりしたって出来る訳がない。
溜息を漏らしながら、水を鳥の形に調整したりして遊ぶ。羽ばたかせたり、それっぽく見せる。
次に、バケツの中から新しく二羽目。楽々二羽を整列させる。
(ここまでは余裕……次もいけるな……)
三羽目も……成功だ。
しかし、四羽目は成功した事がない、どうしても集中力が途切れて、全ての鳥が崩れ落ちてしまう。
その度に床がびちゃびちゃに濡れて、ヒナと一緒に雑巾で拭く。彼女は自分がやると言うのだが、流石に俺のせいで手間を掛けてしまっているので、そういう訳にはいかない。
頬を汗が伝う。知恵熱とでも言うのだろうか。頭の中で三羽を象ったまま、もう一羽をバケツの中から……。
「出来た!」
直後、床に大量の水がぶちまけられた。
*
「ごめんヒナ、また手伝わせてしまって」
「いえいえ、メイドとして当然です!」
まだ十四歳だというのに、既にメイド根性がしみ込んでいるらしい。先輩メイドのお陰何だとか。恐るべし、マナード家メイドの教育。
そんな訳で、後片づけが終わってヒナが出て行った所で、俺はクルリと本棚の陰へ目をやった。
「もう出て来て良いぞ」
俺がそう言うと、陰から青い液体の羽が現れる。先程形成した内の四羽目だ。
どういう訳かこいつだけ意識から剥がしても崩れず、形を保ったままこうして飛んでいる。その上、どうやら自我らしき物まで持ち合わせており、俺が「隠れろ」と言うと即座に本棚の裏側へ逃げてしまった。
俺の「四羽目に対する執着」が言い伝えの【願い】に匹敵したのだろうか。
だとすれば、どれだけ俺は四羽を作るのに拘っていたんだ。
ソファに腰を沈め、溜息を漏らす。鳥はそんな俺を無視して、窓へ寄って外をつんつんと指さしていた。
外へ行きたいのだろうか。
「子供の好奇心か? まあ良いや」
独言して、窓を開けてやる。パタパタと羽ばたき、何処かへと飛び去っていく。
そう言えば、今もあいつは魔力を供給されているのだろうか。それとも、残存した魔力で飛んで……あ、崩れた。
「つめたっ!」
ただの水に戻った鳥は下へ落下し、花壇の水やりをしていたヒナの頭に掛かる。
俺は窓をぴしゃりと閉めて、再度バケツを持って水を汲みに蛇口へ向かった。
飛距離十メートル弱しか持続しなかったので、少々悔しいのだ。次は魔力を込めて、もっと飛ぶよう丹精込めて作ってやる。
自室に戻り再チャレンジ。今までは小鳥サイズでしか作ってこなかったが、今回は白鳥サイズはある筈だ。
バケツから現れた水白鳥に、両手をかざしてむむむと眉を寄せる。
そう言えば、今回も意思を持ってるな。一度成功すれば、もう後は全部意思を持って生まれるのだろうか。
疑問は晴れる事なく、俺は窓を開放して白鳥を空に放った。
おお、今度は見えなくなるまで飛んで行った。それにしても、アイツはどこへ向かって飛んでいるのだろう。
水白鳥の消えた空を眺めていると、下の方で俺をジト目で見ているヒナの姿が。
苦笑しながら謝る俺にはまだ、あの水白鳥がどんな事態を引き起こすのか、見当もつかなかった。