第5話
愛は、真剣な眼差しで木村を見つめる。
「木村さんが来た理由はわかりました。でも、私は死にたいです。生きていても、辛いだけです」
「生きるも、死ぬも宮部さんの自由です。しかしですね。もう1回考え直してみませんか?生きていても辛いって言いますけど、死んだとしても大変ですよ。あの、カリキュラムやりたいですか?軍隊入隊したいですか?」
愛に近づき、必死な顔をしている。
「そもそも、宮部さんの理由って、振られたからでしょう?そのような些細な理由で死ぬのもどうかと思いますよ。宮部さん若いし、綺麗だからこれからもっと素敵な人が現れますよ」
愛は、木村の無神経な言葉に腹が立った。
いったいこの男に何がわかるの?
「何で、そんな無神経な事言えるの?だいたい木村さんが、そんなに必死なのは仕事だからでしょ?私に生きて欲しいからじゃないでしょ?」
「そ、そんな事ないです。宮部さんに生きて欲しいからです」
木村は、うろたえて、ハンカチで汗を拭きだした。
「本当ですか?」
愛が木村の目を真っ直ぐ見る。
木村は目をそらし「も、もちろんですよ」と口ごもる。
「本当ですか?」
再度、強い口調で言う。
「…」
木村は、何も答えない。
「やっぱり仕事だからなんだわ。」
「そ、そんな事言わないでください。私にとって宮部さんへの説得が、ラストチャンスになるかも知れないんです」
「ラストチャンスって、どういう事?」
木村が、しまったという表情で口を押さえた。
額からは、汗が流れ出している。
愛の鋭い視線を受けながら、沈んだ様子で話し出した。
「自殺防止センターに勤めて、もう1年近くになるのですが、私まだ1人も説得出来てないですよ。上司からは、説教されるし給料は下がるし。上司がね、笑いながら、仕事辞めるか?って言うんですよ。でもね、目が笑ってないんですよ。私が自殺したいですよ。」
木村が、今にも泣きそうな顔をしていた。
確かに、木村の説得を聞いて自殺を考え直そうと思う人はいないだろう。
人の事を全然考えていない話し方。
無神経な言葉。人を驚かせて、喜んでいる子供じみた性格。
このようなカウンセリング的な仕事に向いていないのだ。
「でね、昨日上司に呼ばれましてね。次、説得に失敗したら本気で考えてもらうよ。って言うんですよ。仕事首になったら、どうすれば良いんですか?妻に、どう言えば良いんですか?」
木村は、泣き出した。ハンカチで汗を拭きながら涙を拭いている。
愛は木村の事が、可愛そうに思えてきた。
「木村さんも大変ですね。」
「それでは、考え直してくれますか?」
木村が、顔を上げる。涙と汗でグチャグチャになっていた。
でも、目だけは、愛が考え直してくれるかもしれないという期待で輝いている。
「でもね、私…生きていても辛いんです。それに、死ねばお父さんに会えるかも知れないし…。あっ、お父さん自殺した訳じゃないから、会えないのかな?」
「そんな事はないですよ。会えると思えますよ。よほど悪い事してない限りは、天国に行きますからね。多分、宮部さんのお父さんも天国に居ますよ。天国とは交流が盛んですからね」
木村が正直に答える。会えないと言われれば、考え直したかもしれないのに。
本当に、この仕事に向いていない。
「それなら、やっぱり死にたい。お父さんに会いたい」
「そ、そんな。どうしても、ダメですか?」
愛は「はい」と頷いた。
木村はがっくりと、肩を落とした。
「…わかりました。上司に報告します」
木村が、携帯を取り出し元気なく笑った。
「お父さんに、会えると良いですね」
「はい」
木村が、上司の番号を探しアドレスを見ていく。
アドレスに入っている名前に、目が止まった。
ハッと何かに気付いたように愛の顔を見た。
「お父さんに会えれば考え直してもらえますか?」
「どういう事ですか?」
「だから、お父さんに会えれば自殺考え直してくれますか?」
木村は必死な形相で、愛に顔を近づける。
愛は木村の迫力に圧倒される。
「も、もしかしたら、考え直すかも…」
愛の返事を聞いて、木村は「失礼」と電話を掛け始めた。
「もしもし。木村だけど、無理なお願いがあるんだけど聞いてくれる?聞いてくれたら、あの限定品あげるんだけどな〜。うん、聞いてくれる。宮部愛さんのお父さん天国に居る?…うん、うん、本当に!!娘さんが会いたがっているって、大至急伝えてくれるかな」
木村が、大声で必死になって話している。
愛は、電話のやり取りを聞いて思った。
お父さんやっぱり天国に居るんだ。
「会ってくれるって!こっちに呼ぶから。えっ1分!!うん、うん。そうなの?そうだよね〜。仕方ない、それでもいいよ。ありがとう」
お父さんが会ってくれる?本当に?
木村は、携帯を切り、愛を見ると「驚かないでください」と、パチン!と指を鳴らした。
「愛」
愛の後ろから、声がした。
懐かしい声。優しい声。
愛がゆっくり後ろを振り返ると、父が立っていた。
「お父さん」
愛が泣きながら父に、抱きついた。
父は、優しく頭を撫でてくれた。
小さい頃と変わらない大きくて温かい手。
「お父さんは、いつでも愛の事を見守っているから」
「うん」
「愛は、お父さんの分も生きてくれ」
「うん」
「幸せになるんだよ」
「うん」
父の体が、ゆっくり消えていく。
「愛、幸せにな」
父は消えていく体で、愛を優しく抱きしめてくれた。
「うん」
父は、優しく微笑むと完全に消えていった。
「お父さん」
愛は泣いていた。
木村が笑顔で近づいてくる。
「良かった。宮部さん考え直してくれましたか。」
「お父さんは?」
「もう、天国に戻られました。本当は規則違反なんです。だから1分だけと約束で、無理やり頼み込んだんです。この事がばれたら私は首確実ですから」
「そう…」
愛は、父が居た場所を見つめていた。
木村が不安そうに、愛に質問する。
「あの〜。お父さんにも会えたし、自殺考え直してくれますか?」
愛は、父のぬくもりを感じていた。
お父さんが、見守っていてくれる。
愛は涙を拭き笑顔になった。
「木村さんありがとう。私、頑張って生きてみようと思います」
「よかった〜。私のほうこそありがとう。これで首にならずに済みそうです」
「良かったですね」
「では、頑張って生きてくださいね」
「はい」
木村がパチンと指を鳴らした。
愛の意識が遠ざかっていった。
愛が目を覚ました。
周りを見てみる。
誰も居ない、深夜の屋上だった。
「夢だったの」
寒さのため、コートのポケットに手を入れた。
何か紙の様な物が、手に当たった。
愛は、紙を取り出してみる。
名刺が入っていた。
『自殺予防センター 木村 憲次』
「夢じゃなかった」