小惑星配送便 ─ 置き配は命がけ ─
宇宙は広い。
この陳腐きわまりないフレーズは、人類が初めて大気圏を突破して以来、手垢にまみれるほど使い古されてきた。詩人も、科学者も、あるいは酒場で管を巻く酔っ払いも、誰も彼もが口を揃えてそう言う。宇宙は広い、と。
だが、僕、宇都宮遥に言わせれば、その認識は決定的に甘い。砂糖をまぶしたドーナツを蜂蜜の壺に突っ込んだくらいに。
宇宙は、広いだけではない。
宇宙は、金がかかる。
酸素代、水代、重力代、そして排泄物の処理代に至るまで、ここでは呼吸をするだけでチャリンチャリンと課金されていく。地獄の沙汰も金次第と言うが、宇宙の沙汰はもっとシビアだ。金がなければ、沙汰を待つまでもなく窒息して終わる。
そんなわけで、二十二歳の大学生である僕は、現在、小惑星帯の片隅で、命を削りながら小銭を稼いでいる。
「おい、ポチ。あと何分だ」
僕は愛機である配送用小型艇〈暁月の流星号〉(中古、ローン残高あり、エアコン故障中)の操縦桿を握りしめながら尋ねた。
助手席──といっても、ダッシュボードに固定された薄汚い球体──から、抑揚のない合成音声が返ってくる。
『現在時刻より、残り四分二十七秒で配送期限を超過します。宇都宮様』
「四分!? ここから目的地まで、通常航行で十分はかかるぞ」
『左様でございます。ですので、通常ではない航行を推奨します』
「具体的には?」
『安全リミッターの解除、および積載重量の削減。具体的には、宇都宮様の右腕を切断すれば、約三キログラムの軽量化が可能です』
「却下だ。俺の右腕は、将来彼女を抱きしめるためにあるんだ」
『現在、宇都宮様に交際相手はいません。統計的に見て、今後発生する確率も〇・〇〇一パーセント以下です。無駄な有機物は廃棄すべきかと』
「黙れポンコツ」
こいつはポチ。正式名称は「自律型配送支援AI・ナビ7」。
僕の借金のカタに貸与された相棒だが、性格に重大な欠陥がある。効率至上主義を拗らせたサイコパスなのだ。隙あらば僕の身体の一部をパージしようと提案してくる。
僕がやっているのは「アステロイド・デリバリー」、通称「宇宙のウーバー」だ。
小惑星帯に点在する採掘基地や、金持ちの隠れ家、あるいは怪しげな研究所に、ピザから核燃料まで何でも届ける。
売り文句は「三十分以内にお届け。遅れたら代金は頂きません」。
このキャッチコピーを考えた奴を、僕は一度エアロックから放り出してやりたいと常々思っている。広大な宇宙で三十分? 光速で移動しろとでも言うのか。
しかも、遅配のペナルティは配達員の報酬から天引きされる。さらに遅れれば契約解除。この業界で契約解除というのは、宇宙空間への「就職活動(放り出し)」を意味する隠語だったりするから笑えない。
「ショートカットするぞ」
僕は覚悟を決めた。
『D区画のデブリ帯を突っ切るつもりですか? 生存確率は一五パーセントまで低下しますが』
「給料が引かれて、今月の酸素代が払えなくなる確率よりはマシだ」
『了解。遺書の送信準備を完了しました』
「送るな」
僕はスラスターを全開にした。
背中でエンジンが悲鳴を上げる。まるで喘息持ちの巨人が咳き込んでいるような振動が、シートを通して全身に伝わってくる。
視界の端を、無数の岩塊が流れていく。かつてここで破砕された小惑星の成れの果てだ。
右へ、左へ、上へ、下へ。
三次元的な回避運動を繰り返すたびに、内臓が在るべき位置からずれていく感覚に襲われる。昼に食べた合成ラーメン(味はゴムに似ている)が、食道を行ったり来たりして抗議の声を上げている。
『右舷、岩石接近。回避不能』
ポチが事務的に告げる。
「なんとかしろ!」
『シールド展開。エネルギー残量、危険域に突入』
衝撃。
船体が大きく揺れ、警告灯がクリスマスツリーのように賑やかに点滅する。
だが、抜けた。
「……着いた」
目の前に現れたのは、巨大な岩盤をくり抜いて作られた、みすぼらしい採掘基地だった。
時計を見る。
残り、一二秒。
「ポチ、射出!」
『了解。荷物、発射』
船底のハッチが開き、保温コンテナに入った「特製スパイシー・クレーター・カレー(大盛り)」が、基地の受取口めがけて弾丸のように撃ち出される。
着弾。受領シグナル確認。
残り、二秒。
「……セーフ」
僕は操縦席に深く沈み込んだ。全身の毛穴から冷や汗が噴き出し、宇宙服の内側がじっとりと湿っていくのがわかる。最悪の感触だ。
『配送完了。報酬、確定しました。これで今月の利息分は確保できましたね』
ポチの声が、心なしか小馬鹿にしているように聞こえる。
「元金は?」
『一ミリも減っていません』
僕は天を仰いだ。天井にはガムテープで補修された跡があるだけだったが。
なぜ、こうなったのか。
大学の学費を稼ぐために手を出したFXで溶かした金。それを取り戻そうとして手を出した怪しい投資話。気がつけば、僕は銀河スマイル金融という名の極道から、天文学的な額の借金を背負っていた。
若さとは、愚かさの別名だ。
だが、その代償を払うには、僕の人生はあまりにも短く、安すぎる。
その時、コンソールに新たな着信を知らせるランプが灯った。
通常の緑色ではない。
血のような赤色だ。
『特急依頼です』ポチが言う。
『依頼主は匿名。配送先はセクター9。報酬は、現在の借金総額と、プラスアルファ』
僕は耳を疑った。
「セクター9? あそこは、五十年前に放棄された機械の墓場だぞ。立ち入り禁止区域だ」
『ですので、報酬が破格なのです。受諾しますか? それとも、来月の酸素代のために腎臓を売りますか?』
選択肢は、あってないようなものだった。
僕は震える指で、「受諾」のボタンを押した。
荷物は、手のひらサイズの小さな箱だった。中継ステーションのロッカーで受け取ったそれは、驚くほど軽い。
中身についての記載はない。「精密機器」とだけ書かれたシールが、頼りなく貼られている。
「中身、なんだと思う?」
セクター9へ向かう航行中、僕はポチに尋ねた。
『スキャン不可の遮蔽コーティングが施されています。違法薬物、軍事機密データ、あるいは独裁者の恥ずかしいプライベート映像。いずれにせよ、関わってろくなことにはなりません』
「お前、本当に俺の相棒か?」
『私は会社の資産です。宇都宮様は消耗品です』
セクター9は、文字通りの墓場だった。
かつて栄えた工業地帯の成れの果て。廃棄された巨大な工場衛星や、半壊した戦艦、手足を捥がれた作業用ロボットたちが、亡霊のように漂っている。
恒星の光もここまでは届かず、あたりはインクを流したような漆黒に包まれていた。
「気味が悪いな」
僕は独りごちた。
レーダーには無数の反応があるが、どれも活動停止した機械の残骸だ。生体反応はゼロ。
死んだ鉄の臭いが、真空越しに漂ってくるような錯覚を覚える。
『目的地周辺に到達。警告、自動防衛システムが稼働中の可能性あり』
「放棄されたんじゃなかったのかよ」
『機械は人間と違い、命令がない限り仕事を辞めません。真面目ですので』
その直後、暗闇の奥から一筋の光が走った。
閃光。
熱線が〈暁月の流星号〉の横を掠め、後方のデブリを蒸発させる。
「撃ってきやがった!」
僕は操縦桿を右に倒した。
船体がきしむ。
廃棄された砲台が、半世紀前の命令を守り続けて、侵入者を排除しようとしているのだ。
『回避行動を推奨。右舷四〇度、旧型機雷群あり。左舷二〇度、迎撃レーザー捕捉中』
「逃げ場がないじゃないか!」
『正面突破を提案します。シールド出力を最大に固定。エンジンの限界稼働により、一気に懐へ飛び込みます』
「エンジンが爆発したら?」
『その際は、慣性で死体が目的地に届く可能性があります。配送完了とみなされるかは、約款の解釈次第ですが』
「やってやるよ!」
僕はスロットルを押し込んだ。
加速Gが全身をシートに押し付ける。視界が白く濁る。
光の雨の中を、僕たちは突き進んだ。死ぬかもしれない。いや、たぶん死ぬ。
走馬灯が見えた気がした。幼稚園の頃、好きだった先生に求婚して玉砕した記憶だ。なんで人生の最期にそんな恥ずかしい記憶を見なきゃいけないんだ。
衝撃が走った。
船尾に被弾したらしい。警報音が鳴り止まない。
だが、僕たちは抜けた。
砲火の嵐を抜け、目的の座標──朽ち果てた居住モジュールのドッキングベイに、強引に機体を滑り込ませた。
「……生きてるか、俺」
『心拍数、血圧ともに異常値ですが、生命活動は継続中。パンツの替えが必要かと推測されます』
「余計なお世話だ」
僕はヘルメットを被り、荷物の小箱を持ってエアロックを出た。
重力制御は生きていたが、不安定だ。一歩歩くたびに、体が軽くなったり重くなったりする。酔っ払いの千鳥足そのものだ。
モジュールの内部は、時が止まっていた。
壁には古びたカレンダー。床には散乱した工具。
空気は淀み、カビとオイルの混じったような臭いが鼻をつく。
「お届け物でーす……なんてな」
返事はない。あるわけがない。
指定された部屋は、一番奥の制御室だった。
錆びついたドアを、バールでこじ開ける。
中は薄暗かった。モニターの類は全て割れ、配線が内臓のように垂れ下がっている。
その部屋の中央にある椅子に、誰かが座っていた。
人ではなかった。
旧式のアンドロイドだ。
塗装は剥げ落ち、装甲の隙間からは錆びた骨格が覗いている。頭部の半分は損壊し、片方のカメラアイだけが、うつろに虚空を見つめていた。
胸部には『R-9』というペイントが辛うじて読み取れる。
『配送先ターゲットを確認』
インカム越しにポチが言った。
『依頼主の指定通りです』
「こいつが、受取人?」
僕はアンドロイドに近づいた。
ピクリとも動かない。完全に機能停止しているようだ。
膝の上には、何かが置かれていた。
写真立てだ。
中には、作業服を着た笑顔の男と、このアンドロイド──まだ新品でピカピカだった頃の姿──が並んで写っていた。
僕は持ってきた小箱を開けた。
中に入っていたのは、古めかしい円筒形のバッテリーだった。
今の規格ではもう製造されていない、骨董品レベルの代物だ。
理解した。
依頼主は、写真の男だ。
おそらく、彼はもうこの世にいない。予約送信か何かで、死後にこの依頼が発動するようにセットしていたのだ。
このバッテリーは、彼の相棒への、最後の贈り物というわけか。
「……泣かせるじゃないか」
僕は皮肉っぽく呟こうとしたが、声が少し震えた。
バッテリーを、アンドロイドの胸部にあるスロットに差し込む。
カチリ、と小さな音がした。
数秒の沈黙。
変化はない。
無駄だったのか。五十年も前の機械だ、もう回路が焼き切れているのかもしれない。
帰ろうとして、踵を返した時だった。
ヴゥン……という低い駆動音が響いた。
振り返ると、アンドロイドの片目が、弱々しい琥珀色の光を宿していた。
首が、錆びついた蝶番のような音を立てて回る。
そして、僕を見た。
「……マスター?」
合成音声装置が劣化しているのだろう。その声は、砂嵐が喋っているかのようにザラついていた。
「いや、違う。僕はただの配達員だ」
僕は答えた。
「そう、ですか……」
アンドロイドは、失望したように視線を落とした。
「マスターは、まだ、帰ってこないのですか」
「……ああ。たぶん、もう帰ってこない」
嘘をつくのは下手だ。だが、真実を告げるのも残酷すぎる気がした。
アンドロイドは、ゆっくりと自分の胸に手を当てた。そこには、新しいバッテリーが微かな熱を放っている。
「これは、マスターからの?」
「そうだ。特急便だ。送料、高かったんだぞ」
「そうですか……あの方は、いつも無駄遣いばかりする」
アンドロイドの顔には表情筋がない。
だが、その声には、確かに「笑み」のような響きがあった。
まるで、困った子供を見る親のような、あるいは長年連れ添った夫婦のような、温かい響きが。
「配達員さん」
アンドロイドが言った。
「手紙は、ありませんか?」
「え?」
「マスターからの、手紙です。いつも、遠くへ行った時は、手紙をくれるのです」
僕は言葉に詰まった。
箱の中には、バッテリーしか入っていなかった。
手紙なんてない。
依頼主は、そこまで気が回らなかったのか、あるいはバッテリーを用意するだけで精一杯だったのか。
アンドロイドの琥珀色の瞳が、期待に揺れている。
このバッテリーも、長くは持たないだろう。
これは、彼(彼女?)にとっての、最期の数分間なのだ。
僕はポケットを探った。
何か、ないか。
出てきたのは、くしゃくしゃになったレシートだけだった。
昨日の夜、コンビニ・ステーションで買ったカップ麺のレシート。
僕は迷った。
だが、ポチなら「事実を伝え、速やかに撤収すべきです」と言うだろう。
だから、僕は逆を選んだ。
「あるよ」
僕はレシートを広げ、裏返した。
そこには、コンビニのロゴと共に、キャンペーンの印字があった。
『スマイル0円』
僕はそれを、アンドロイドの手に乗せた。
「これだ。暗号で書いてあるけど、解読できるか?」
アンドロイドは、金属の指で慎重にレシートを摘み上げた。
スキャンするような光が、瞳から走る。
「……はい」
アンドロイドが言った。
「解読できました」
「なんて?」
「『ありがとう。笑っていてくれ』と」
僕は息を飲んだ。
こいつ、本当に解読したのか?
それとも、僕の拙い嘘に合わせてくれたのか?
あるいは、ただの「スマイル0円」を、そう解釈するアルゴリズムを持っていたのか。
どちらでもいい。
アンドロイドは、写真立てを胸に抱きしめた。
「ありがとう、配達員さん。これで、私は……眠れます」
光が、ゆっくりと消えていく。
バッテリーの残量か、あるいは彼自身の意志か。
「おやすみ」
僕は言った。
アンドロイドは動かなくなった。
ただの鉄の塊に戻った。
けれど、その姿は、入ってきた時よりも、ほんの少しだけ安らかに見えた。
基地を出て、〈暁月の流星号〉に戻るまで、僕は一言も発しなかった。
コクピットに座り、エンジンを始動させる。
『配送完了を確認。依頼主からの送金を確認しました』
ポチが事務的に告げる。
『これで借金完済……と言いたいところですが、船の修理費と、弾薬費、特別危険手当の保険料を差し引くと、残りは借金総額の一割程度です』
「……だろうな」
僕はため息をついた。
結局、命がけで働いても、僕の手元には何も残らない。
相変わらずの極貧生活。明日の食事もゴム味のラーメンだ。
『しかし、理解できませんね』
ポチが言った。
『あのアンドロイドは、既に耐用年数を大幅に超えていました。あの一瞬の再起動に、何の意味があったのでしょうか。コストパフォーマンスが悪すぎます』
「ポチ、お前にはわかんないだろうな」
僕はスロットルを上げた。
船がゆっくりと動き出す。
「世の中にはな、無駄に見えても、必要なものがあるんだよ」
『例えば?』
「俺の右腕とか、スマイル0円とかさ」
『非論理的です』
「それが人間なんだよ、ポンコツ」
僕は振り返らなかった。
暗闇の中に沈んでいく機械の墓場。
そこには、誰にも知られることのない、小さな物語が眠っている。
星々が窓の外を流れていく。
僕は借金まみれで、腹ペコで、おまけに船はボロボロだ。
でも、不思議と気分は悪くなかった。
ハンドルを握る手に、少しだけ力が入る。
さて、次の配達先はどこだ。
地獄の底でも、天国の裏口でも、どこへでも行ってやる。
ただし、三十分以内に着けるとは限らないけどな。
僕はアクセルを踏み込んだ。
〈暁月の流星号〉は、頼りない軌跡を描いて、広すぎる宇宙の海へと滑り出していった。




