第51話:胎蔵の間への道行き_3
ギィィィ……ゴゴゴゴ……ゴゴゴゴ……
重い扉が開かれると、湿った空気とともに、まるで胎内を思わせるぬるりとした水っぽい熱気が吹きつけた。
ここまで来たのだ、もう前へ進むしかない。圭介のためにも、悠里のためにも、修平のためにも。三人はゆっくりと、だが確実に、その足を胎蔵の間の内部へと滑らせていった。
「ここが……胎蔵の間なの……?」
美咲が蒼白な顔で呟く。彼女の隣で、一条が喉を鳴らした。
「……まるで、生き物の内臓の中にいるようだな……」
内部はまさに生物そのものだった。
天井から垂れ下がる蔦は脈打つ血管のように規則的に収縮し、壁には胎児のような影が幾つも埋め込まれて蠢いている。足元の床は肉塊めいており、湿り気と弾力のある表面が、踏むたびにぐちゅ……ぐちゅ……と嫌な感触を返した。
そのとき――
「……涼……」
どこからか、弱々しい呼び声が響いた。
声の方向へ目を向けた涼は、言葉を失った。
――そこにいたのは、変わり果てた姿の圭介だった。
男性を残虐に嬲り捨てた巣喰い蜘蛛の腹に、あのときの男性と同じように張り付けられるように固定され、彼の全身には黒い管が突き刺さっていた。
半ば異形と同化しつつあったが、瞳だけは微かに人間としての意思を宿していた。
……折角儀式から、別の黒い管や液体から助け出したのに、圭介はまた囚われていた。まるで「この男に救いはない」とでも言うかのように。
「……だ……めだ……来るな……」
掠れた声が震える。
涼は思わず一歩踏み出したが、すぐに巣喰い蜘蛛が唸り声を上げ、八本の脚を広げた。その巨体は壁一面を覆い尽くし、圭介の奥に見える、腹部の半透明の膜の中では、無数の小型蜘蛛が蠢いている。
美咲が顔を引きつらせ、震える声を漏らした。
「圭介さん……そんな……」
「……圭介……!」
その声は、背後から聞こえた。
驚いて振り返ると、そこには悠里が立っていた。髪は乱れ、目は赤く充血し、これまでの冷静さが失われていた。
彼女は、圭介と一緒にあの間に残ったはずだった。だが、今別々に姿を現し、どちらも普通ではなくなっている。
「悠里ちゃん!? どうして……!」
一条が驚きの声をあげたが、悠里は振り返らない。
「圭介……助ける……こっ、今度こそ! 絶対に……助けるんだ……!」
彼女は涼の制止も聞かず、胎蔵の間の奥へと駆けだした。
「バカッ! 悠里、止まれ!」
涼が叫ぶが、悠里はまるで聞こえないように巣喰い蜘蛛へ近づく。
ヒィィィィィィ――ヒィィィィィィ――
巣喰い蜘蛛が咆哮し、粘つく糸を周囲へ吐き出した。
「悠里、避けろ!」
涼が叫ぶが、間に合わない。
悠里は腕に糸を絡め取られ、そのまま宙づりにされてしまう。
「やめろっ!」
涼は鉄パイプを構え、巣喰い蜘蛛の脚に向かって突進した。
ガッ! ガキィン!!
硬質な脚に弾かれ、涼は転がる。辺りから子蜘蛛がわらわらと寄ってたかり、両は必死に鉄パイプで子蜘蛛を蹴散らそうとしていた。一体一体確実に仕留めているものの、数の多さに先が見えない。
一条が美咲を庇いながら後退しつつ、声を上げた。
「涼君! もう君一人でどうにかできる相手じゃない! このままじゃあ、全滅してしまう!」
「でもやるしかないだろ……じゃなきゃ、圭介も悠里も……!」
「や、めろ……やめろ……やめろおおおおおお!!」
圭介が絶叫した。
その叫びに呼応するように、彼の身体に刺さる黒い管が震えた。子蜘蛛も引き、隙間ができる。一瞬だけ、圭介は自分の身体を動かす自由を取り戻した。
「涼……今だ……俺を攻撃しろ……!」
「ふざけるな! そんなことできるわけが――」
「いいからやれ! 俺はもう……どうせ死ぬんだよ……!」
「でも!」
「早くしろ! この状態で……生きていられるわけがないだろ!」
圭介の声は苦悶に満ちていたが、同時に確固たる決意があった。
「悠里……泣くなよ……お前に泣かれたら、俺、カッコ悪いだろ……」
悠里の血走った目から、大粒の涙がこぼれる。
「涼……頼む……このままじゃ、こいつが……お前たちを……!」
圭介は突き刺さる黒い管を、自分の力で引きちぎろうとした。そのたびに肉が裂け、血が飛び散る。巣喰い蜘蛛が苦痛に悶え、八本の脚を暴れさせた。
「おおおおおおおおお!!」
圭介は雄叫びを上げ、最後の力で巣喰い蜘蛛の腹部に自分の身体を叩きつけた。
ブシュウウゥゥゥゥ!!
半透明の膜が破裂し、無数の小型蜘蛛が四散する。
「圭介!! やめろ!! 死ぬ気かよ!!」
涼の叫びが響く。
「……死ぬ気だよ……涼……言っただろ……? 殺すなら、ここで殺せ、って。完全に、取り込まれる前に……」
巣喰い蜘蛛が苦悶の咆哮を上げ、圭介の体を引き裂こうとする。
だが圭介は自ら体を食い込ませ、巣喰い蜘蛛の中枢に噛みつくように押し込んだ。
「さよならだ……みんな……」
次の瞬間、巣喰い蜘蛛の腹部が激しく膨れ上がり、内部から破裂音が響いた。
ドゴォォォォン――!!
血と粘液が飛び散り、巣喰い蜘蛛が断末魔の悲鳴を上げて崩れ落ちた。
涼たちは肉片の雨の中で息を切らし、ただその場に立ち尽くした。
「圭介……さん」
美咲が呟く。




