第49話:胎蔵の間への道行き_1
古城の奥へと続く通路は、まるで生き物の内臓を思わせるほど湿り、どこか脈打つような感触があった。涼が踏みしめる床は石造りのはずなのに、足元から微かにぬめりが伝わる。壁に触れると、温かい……まるで人肌のようだ。
進めば進むほど、ここが建物の中であることを忘れてしまいそうなほど、生き物の息遣いが聞こえる気がしてしまう。
「……ここ、本当に建物だっていうのか。はぁ……驚かされる」
一条が、いつもは冷静な声を僅かに震わせた。
美咲は顔を強張らせながら、手にしたライトを照らす。光が壁をなぞるたび、そこに刻まれた無数の手形が浮かび上がった。
それは古い血で染まったものであり、今もじわりと滲むように濡れている。
「きっと、胎蔵の間が近いんだ」
涼が口を開いた。
「そうだと思う。伝承で胎蔵って呼ばれる空間は、人が造ったものじゃない。古い儀式で、生きた肉と死んだ胎児を混ぜて作ったと書かれていたんだ」
「そんな話が?」
「あぁ。呼んでいて、あまり気分のいいものではなかったよ」
その言葉に、涼も美咲も息を呑んだ。
不気味な静寂を破ったのは、微かな「カサ……カサカサ」という音だった。
「な、何の音でしょうか」
微かな音に反応し、美咲が問う。ピタリと足を止め、それ以上進むのを躊躇っている。
「なんだろう……こんなところにまで、風の音が入り込んでくるとは考えにくい。……となると」
「『何かがいる』ってことなんだろうな」
警戒した涼が、美咲を後ろに下がらせる。一条と目配せし、自分はゆっくりと前に進んだ。
「……うん?」
通路の先、黒い穴のような空間から、無数の脚のようなものが這い出してくる。
最初は一本、二本だったそれが、やがて壁一面を覆うほど増え、闇そのものが蠢く塊となった。
「な、何だあれは……!」
一条が後退る。
――黒い甲殻に覆われた巨大な蜘蛛。その腹部は異様に膨れ上がり、半透明の皮膚の奥で何かが蠢いているのが透けて見えた。
それは卵ではない――人間のよう……な指が、内側から必死に壁をひっかくように動いていた。
「人の、顔……?」
「えっ、や、やだ……」
「……まさか……巣喰い蜘蛛か」
一条が青ざめた顔で呟く。
「あの中身は……あの中身は、間違いなく人間だ。しかも、まだ生きてるとか」
蜘蛛の口器がゆっくりと開き、中からは無数の糸が吐き出された。それらは粘着質に光り、まるで生きた蛇のようにうねりながら、床を這う。
美咲が悲鳴を上げる前に、蜘蛛が大きく跳躍した。
石壁を砕くほどの重量で着地した瞬間、地面が大きく揺れ、粉塵が舞い上がる。
「下がるんだ!!」
涼が美咲の肩を引き、すんでのところで蜘蛛の脚が振り下ろされるのを避けた。
脚が叩きつけられた床は、一瞬でクレーターのように陥没する。辺りには割れた床の破片が舞い、砂埃が視界を覆う。
――そのときだった。
「……た、す、け……」
「なんてことだ。本当に、生きてる」
一条が目を見開く。
蜘蛛の背に、黒い鎖のような管で縫い止められるようにして、人がいた。声からして男性だ。
その片目はまだ人間の光を宿しているが、もう片方は黒く濁り、蜘蛛の体表と同じ異形の紋様が浮かんでいる。
「たっ、頼む、頼む……」
男性は、蜘蛛に取り込まれかけている身体を無理やり制御しながら、低く呻くように言った。
「ついて、来て、この、後に……」
「ついて、いく?」
涼が疑問を口にした。男性は今にも死にそうな見た目だったが、意外にも意識はしっかりしているらしい。濁った眼に光はないが、力強さは感じられた。
「奥……お、く、この……何か、が……待って……」
「この奥は、胎蔵の間のはずだ。これも、そこへ向かっている……ってことなんだろう」
「圭介のいる場所……」
「いくしかなさそうだな、涼君」
「はい」
不安そうに二人を見つめる美咲だったが、彼女も覚悟を決めたようにギュッと唇をかんだ。
「こ、っち、こっち、ここ……」
男性は歪んだ脚を動かし、蜘蛛を引きずるようにして、地下へと続く崩れた通路へ飛び込んだ。
蜘蛛の脚が石壁を引き裂き、男性自身も血を撒き散らしながら、暗闇の奥へと消えていく。
「……だ、だめ、だ! ままままだ、まだ……!」
低くうめきながら、男性は自分の意思で脚を動かそうとした。だが、蜘蛛の意志がそれを上書きする。脚は蜘蛛の巨大な体と同調し、彼の望まぬ方向へ動く。
ゴリッ……ゴリリ……!
壁を這うたび、蜘蛛の脚が石を砕き、削り取られた破片が雨のように降り注ぐ。
涼たち三人は、通路を注意深く除き込み、男性の後を追った。
男性に、彼らが付いてきているのかどうか、確認する余裕はない。ただ前に進む男性を、三人はひたすら追いかけた。
「ぐ、うぅ、おおお……!!」
男性は心の中で意味のある言葉を叫んだ。だが、声にはならない。喉から出たのは、異形の鳴き声に混じった嗚咽だけだった。
蜘蛛の脚が突然、横の壁に叩きつけられた。そこには崩れかけた石造りの小部屋があり、中に隠れていた再開発作業員らしき男性が震えていた。
「た、助けてくれ……!」
作業員の男性は、蜘蛛に絡めとられた男性を見て助けを求めた――人間の姿をした誰かに助けを求める、最後の希望として。
しかし、次の瞬間、蜘蛛の脚が閃いた。
男性が全力で止めようとしたが、これ以上身体が動かない。
ズシャッ……!
鈍い音とともに、作業員の胴体が壁に叩きつけられ、骨が砕ける音が響く。血飛沫が男性の顔に降りかかった。




