第42話:囚われの身_2
「おとなしくしていたら、襲い掛かってこない可能性がある……?」
「そういうことだ。……ただ、これまでに出会った異形は、大体がこちらに対して敵意を抱いていた。静かにしているくらいで、襲われないとは限らない。……だが、完全に有効な手段がない今、ここから先は隠密行動が最優先だ。大きな音を立てちゃあいけない。できるだけ、気配も殺して移動するんだ。私も頑張るから。……いいね?」
「……わかりました」
「がっ、頑張り、ます」
二人は頷いた。
それから三人は、慎重に南棟の通路を進んだ。天井からは時折、黒ずんだ液体が滴り落ち、床に腐敗した匂いが充満している。吐き出しても、逃げ出しても、叫んでもおかしくないこの状況。だが、できるだけ平常心を装い、その異常な中を彼らは歩いた。本当は、今にも叫びながら走り出したい気持ちでいっぱいだった。早く恭介を助けたい。早く胎主をどうにかしてしまいたい。早く無事に帰りたい。グチャグチャになった気持ちに押しつぶされそうになりながら、それでも三人は圭介を求めて静かに進む。
見つけた階段を下りた通路の左右には、古い鉄格子の隔離室が並んでいた。その中には、既に絶命した異形や、干からびた人間の死体が横たわっている。からからに乾いた血と体液の跡、引っ掻いてついただろう格子の傷と血、共食いでもしたのか、折り重なって倒れる身体の欠けた異形の死骸。
一条はその光景を見て、ここで行われていた研究の悲惨さを改めて痛感していた。この鉄格子の中の死骸や遺体の数は、床の面積に比べたら圧倒的に多く見える。つまりは、もし、生きた状態で異形や人間がこの中に詰め込まれていたとしたら。その凄惨さに目を覆いたくなるほどだった。
「ここに……こんなにも……そんな……そんな……」
美咲が思わず顔を覆った。
「目を逸らすな、美咲」
涼が冷たい言葉を放つ。
「これは、あの胎主を生み出した人間たちの罪だ。俺たちはその結末を目に焼き付ける必要がある。こんなこと、何度も繰り返しちゃいけないんだ。……美咲は、母親のことも、この村のことも……自分のことも気になったからここへついてきたんだろ? ……それなら、しっかりと見るべきだ。母親や自分が辿ったかもしれない末路を。巻き込まれたかもしれない風習の残酷さを」
「……わかってます。わかってます! でも……こんな……」
彼女は震える声で答えたが、気丈にも視線は外さなかった。
「普通じゃないのはわかってる。美咲に強いることも。でも、ここで終わらせなかったら、世界がどこまで飲み込まれるかもわからないんだ」
「……そんなの、わかってますよ……」
涼は前を見据えたまま、心の中で圭介の名を繰り返していた。『待ってろ、圭介……絶対に助ける』と、声に出せない分強くそう、何度も、何度も。
――すると突然、一条が手を上げて止まった。
「……どうしました?」
涼が小声で問う。
「……聞こえるか?」
一条が耳を澄ませるように指を立てた。
三人が静かになると、ズズズ……ズズ……と何かが這うような音が遠くから近づいてくるのがわかった。
「異形、でしょうか……?」
美咲が息を呑む。一条は地面に這う黒い影を指差した。
「あれを見ろ」
通路の奥、闇の中から、赤い光点が二つ、ジッ――とこちらを見つめていた。
「だめだ涼君、構えるんじゃない」
一条が囁くように言った。
「え?」
涼が驚く。
「最初に言ったはずだ、大人しくしていろ、と。武器を構えた時の擦れる音や動きで、向こうは襲いかかってくる可能性がある。それに、これまでのことを考えると、異形は敵意にも敏感なはずだ。ここは攻撃態勢をとらずに、ゆっくり、背を向けずにそのまま後退しよう。……勿論、極力物音は立てないように」
涼と美咲は一条の言葉に従い、少しずつ後退する。異形は、石と肉が混ざり合った小型の【実験体の残骸】のような姿をしていたが、なんとなく、動きは素早そうに見えた。
「一条さん、どうするつもりですか?」
涼が囁く。
一条はゆっくりと懐から小さな小さな袋を取り出した。
「これは、あの赤い石のように、村の近くの祠に置いてあったものだ。中身が何かわからなかったんだが。北条さんのノートを見て使い道がわかった。どうやら【祓い香】というらしい。完全な呪術ではないが、異形にとって嫌悪する匂いがするとある。今使ってみよう」
一条が袋の中にあった香を折り、床に落とした瞬間、淡い煙が立ち上った。異形は煙を嗅ぐと、身をよじらせるようにして通路の奥へと逃げていった。
「すごい……!」
「こういうものは、信用してみることも大事なんだ。民俗学者を舐めるなよ……って、言ってみたかったんだよね」
涼のキラキラした眼差しに、一条が笑った。
簡単に異形を退けて更に進むと、錆びついた巨大な鉄の扉が現れた。扉には、複雑そうな呪符が剥がれかけた状態で貼られている。
「あぁ――ここだ……供物の間」
「じゃあここに、圭介がいるんですね……」
息を飲み、涼が扉に手をかけようとしたが、それを一条が制した。
「待て、罠があるかもしれない」
一条は扉を調べ、古い呪符を慎重に剥がした。
「……よし、もう呪術は生きていない。ただし、中に何が待っているかは別だ。当然ながら、圭介君じゃない可能性もあるし、圭介君とともに異形が一緒にいる可能性もある」
「それでも行くしかないですよ」
涼が強く言い、扉を押し開いた。




