第37話:石棺の守り手_1
古城の奥へと進むにつれ、空気はさらに重苦しさを増した。湿り気を帯びた石壁からは、かすかな血と腐敗臭が漂い、足元には崩れたレンガと古い鎖が散乱している。まるでここがかつて人々を拘束する牢獄だったことを無言で告げているかのようだ。
真っ暗な道は、振り向けばその闇に囚われそうで、何かあっても戻れそうにない。それを覚悟しているのか、彼らは力強く脚を動かしていた。
「はぁ、はぁっ……」
疲労の色は隠せず、美咲の肩が上下する。
「こんな奥まで来て……本当に逃げられるんでしょうか……?」
「まずはこのまま進むしかない。胎主まで辿り着ければ、何か策が見つかるかもしれないんだ」
涼は鉈を握りしめ、奥の闇を見据えた。
――まさか、ただのフィールドワークが、こんなことになるとは思っていなかった。ちょっと村の異変を調べて、近くの集落の人間に話を聞いて、誰もいない不気味な廃村の写真を撮り、その結果を持って一条のような学者に声をかけて話ができればそれでいいと思っていた。ちょっとくらい幽霊や不気味な痕跡を発見出来たらラッキーくらいの気持ちだった。
この神伏村には今までにない惹かれるものがあったのは確かだったし、なぜか『自分はここへ行かなければならない』という奇妙な使命感に襲われたのも確かだ。だからこそ、今回は自分が企画を持ち出したし、行く前に調べられる内容は調べたつもりだった。
それがまさか、こんな結果になるなんて。
死んだ友人に行方不明で生死不明の友人、既に死んでいると聞いていた人間が目の前に現れて、因習と人体実験の成れの果てが異形として襲ってくる。死ぬ気で戦っているのは自分が生きるためであり、この状況に馴染んだわけじゃない。今でもまだ、心のどこかで『悪い夢なんじゃないか』と思いながら、涼は必死に自分の中の不安と戦っていた。
一条と美咲を、死なせるわけにはいかない。
自分も、死ぬわけにはいかない。
この村の謎は解かなければならない。
これ以上誰も失わずに、恭一の元へ帰りたい。
ただの日常へ戻りたい。
修平に会いたい。
みんなに、会いたい。
泣き言に蓋をして、現状を打破するために必死に頭を動かした。
「……でも……ただ逃げるだけじゃ駄目だ。北条さんが託したノートを無駄にしないためにも、胎主までの手がかりを探さないと」
「そうだな、北条さんの……あの人の最期を、易々と無駄にするわけにはいかない」
一条が険しい表情で言った。――彼もまさか、命を賭して異形と戦い、この村の謎を解くことになるとは思っていなかった。学者という手前、ある程度のことには今までも柔軟に対応してきたが、これほど奇怪で得体のしれない悪意に満ちた出来事は初めてだった。心の中で思う。『原田を恭一君とともに置いてきたのは正解だった。――が、北条の言う通り、集落の人間が村の生き残りならば、どうか二人とも無事でありますように』――と。
「ノートによると……この先が、研究室だった場所に繋がっているはずだ。まだ道のりはあるが、着実に進んではいる」
涼が口を開きかけたその時、ギギ……ギィィィ……と鉄の軋む音が廊下の奥から聞こえた。不意に、暗闇の奥から人影がゆっくりと現れる。
「……人間じゃないか……お前たち、こんな場所までよく来たな……」
現れたのは、作業服に身を包んだガッシリした体格の男だった。顔には汗と煤が張り付き、手には鉄パイプを握っている。疲れの色が見えていたが、こちらが人間であるとわかり、その表情には安堵が浮かんでいた。
「榊原……さん?」
「……あぁ、一条さんか」
「再々開発チームのリーダーでしたよね? ……こんなところで一体、何してるんですか?」
一条が問いかける。
「チームは……もうほとんどやられちまった」
榊原は疲弊した声で答えた。
「俺が連れてきた連中も、半分は森で【アレ】に喰われた。見たか? 根っこの伸びた、人を食うヤツだ。……だが、ここにはまだ生きてる奴がいるんだ。囚われてる。助けたい」
「囚われてる? 誰が……」
涼が眉をひそめる。
「役場の女だ」
榊原は苦い表情を浮かべる。
「案内として頼んだんだが……。こんなところまで連れてくるんじゃなかった。連れ去られた時あいつはまだ生きていたが……変わり始めていた。人間じゃなくなりかけてる」
一条が目を伏せた。
「……その状態だと、もう遅いかもしれないな」
「ふざけんな、まだ助けられるかもしれねぇだろ!」
榊原が怒鳴り、壁を殴った。
「お前らはここで何してる!?」
「俺たちは胎主の情報を探しているんです。この村の変異の元凶の。早くそれを探し出して、どうにかしなきゃいけない。じゃないと、みんな死ぬんです。俺も、あなたも」
涼がキッパリと言い返す。
「でも、その女性を助けたいんですよね? 生きていると思うんですよね? ……俺は、友人を何者かに連れ去られました。村にも、動けない友人を残してきているんです。二人とも、どうなってるかわからない。そうじゃない、最初に異形に襲われた一人はもう死にました。……わかります、榊原さんの気持ちが。助けられるなら俺たちも手を貸します」
「……そうか、そうか。……一人は残念だったな。だが頼む、手伝ってくれ」
「えぇ」
「悪いな。……あっちだ」
榊原が奥の通路を指さした。




