第36話:元研究員の悔恨_3
――それは――人形――と呼ぶにはあまりにも醜悪だった。肉が爛れ、皮膚が剥がれた子どもの大きさの腕や脚が複数突き出し、頭部は大人と子どもの顔が無理やり縫い合わされて一つになっている。関節がどこかは、嫌でもわかった。突き出した骨の塊が、ブラブラと腕や脚を左右上下に揺らしている。眼窩からは赤黒い液体がボタボタと滴り落ち、血ではなく『涙を流しているかのように』見えた。
……どうしてこんなモノを造り出したのか、何を求めたらこうなったのか、三人は理解できなかったし、したいとも思わなかった。
「……ッ!」
だが、その哀れで醜い姿に耐えられず、美咲は口を押さえ吐き気をこらえる。思わず涼の後ろへと隠れると、彼は彼女を守るように斧を構え、一歩前に出た。
「北条さん! あれの弱点は!?」
「頭を狙うんじゃないぞ!」
北条が叫ぶ。
「あれは頭部を潰しても死にはせん! 関節――関節を壊して動きを止めるしかない!」
だが、その助言が終わる前に血泣き人形が突進してきた。複数の足を引きずりながら、まるで歩くことを覚えたばかりの赤子のように無秩序に走り寄ってくる。そのたびに血のような赤黒い涙が飛び散り、石床にパタパタと音を立てて落ちる。
「うおおおお!」
涼が先に飛び込んだ。斧を振り下ろし、人形の膝関節を狙う。しかし、血泣き人形は奇妙な関節の動きを見せ、まるで骨が液状になっているかのように体をねじり、攻撃を回避する。
「くそっ、速すぎる! それに、何なんだよあの動き!」
涼が歯噛みする。
「涼君、右!」
一条の声。振り向いた瞬間、別の腕――いや、肩から生えた子どもの足が鞭のようにしなり、涼の顔面をかすめた。掠った薄い爪が頬を裂き、赤い線が走る。
「大丈夫ですか!?」
美咲が叫ぶ。
「これくらい平気だ、下がってろ!」
涼は息を荒げ、再び斧を構える。一方で、北条は壁に背を預けたまま、完全に硬直していた。
「……あれは……俺が……造ったものだ……」
声が震える。
「私が、あんなものを……ただ、救うために全てを造ったはずだったのに……」
「北条さん!」
美咲が叫ぶが、北条の耳には届いていないようだった。彼の視線は血泣き人形に釘付けで、その瞳は恐怖と後悔に塗り潰されている。人形がギシギシと音を立てて動くたび、彼の目からは涙が溢れていた。哀れみともとれるとの涙と呼応するように、血泣き人形の目からも赤黒い液体が流れた。
ギギギギギ。
血泣き人形が突然、北条に向かって跳躍した。
「うわっ――!」
「させるか!」
涼が咄嗟に身体を滑り込ませ、斧を横に薙いだ。鉄の刃が血泣き人形の腕を斬り落とし、床に赤黒い塊が転がる。しかし、その瞬間――切断された腕が独立して動き出した。
「そんなっ……!」
美咲が叫ぶ。
「腕だけで動いてる!?」
「関節を……もっと壊せ!」
一条が指示を飛ばす。
「バラバラにして動けなくしろ! できるだけ細かく!」
「言われなくても!」
涼は血を飛び散らせながら、人形の膝と腰を次々と斬りつける。ブチッ……ギチィッ……と嫌な音を立てて関節が裂け、動きが鈍る。その隙に、一条が背後から燭台を振り下ろした。
「これで……終わりだ!」
鈍い音とともに、血泣き人形がようやく地面に倒れ込む。もがくように腕が床を這ったが、やがて助けを求めるような動きは止まった。
「……倒した、の……?」
美咲が震える声で呟く。しかし次の瞬間、北条が突然立ち上がった。
「まだだ……あれは、一体だけじゃない! ヤツらは、ヤツらは……!」
言葉が終わるより早く、闇の奥から複数の赤い光が現れた。――北条の言う通り、血泣き人形は一体だけではなかった。
「くそっ、こんなに……!」
涼が歯を食いしばる。
「私が……私が止めるべきだったんだ……」
北条がフラフラと前へ歩き出す。
「これは、俺の罪だ……」
「北条さん、待ってください!」
美咲が手を伸ばすが、彼は振り返らなかった。
「いいか、これを持っていけ」
北条は先ほどのノートを涼に押しつけた。その手は見ていて痛いほど震えている。
「お前たちが……あの子を救ってくれ……私には、もう……」
「しっかりしてください、北条さん!」
「……いいか。この村の生き残りは、実はまだいるんだ」
「なっ!?」
「きっと、この村へ来るまでに、集落へ寄っただろう? ……その集落の人間たちは、この村の生き残りだ。記憶はないが。……私に言えるのは、ここまでだ」
「何をする気だ!?」
一条が叫ぶが、北条は小さく笑った。
「――そんなの――ただの贖罪だよ」
そう言うと、北条は自ら血泣き人形の群れに向かって走り込んだ。
「うわああああああっ!!」
「やめろ、北条さん!!」
美咲の悲鳴が響く。――だが次の瞬間、血泣き人形たちが一斉に飛びかかり、北条の身体を覆い尽くした。
「やめろおおおおっ!!」
涼が走り出そうとするが、一条が腕を掴む。
「行くな、死ぬぞ!」
「でも――!」
血泣き人形の群れが、北条の身体をまるで生肉を引き裂くように食い破る。北条の叫びはすぐに止まり、床に赤黒い液体が広がっていった。
涼は握りしめた斧を強く床に叩きつけた。
「くそっ……!」
北条の残したノートだけが、涼の手に重たく残っていた。血泣き人形の群れは、まだそこにいる。次に狙われるのは――。
「逃げるぞ、早く!」
「は、はい!」
一行は、ノートを抱えたまま古城のさらに奥へと走り出した。――だが、その奥こそが――胎主への最短の道だった。




