第32話:贖罪の夜_7
一条と涼が考えを巡らす中で、美咲は更にページをめくった。そこには、胎主と呼ばれる存在を人為的に作成し利用する儀式の手順が、まるで実験記録のように細かく書き記されていた。
「【胎主ハ神ノ器ナリ。村ハ其ノ血肉ヲ以テ穢レヲ封ジ、死者ヲ蘇サセ、豊穣ヲ得ル。然レドモ、器ヲ再ビ孕マセバ、其ノ怨嗟ハ母ヲ喰イ、村ヲ呪ウ】……」
「……なんてことだ……」
一条の顔が青ざめる。
「つまり、この村は胎主を【神】として利用していた。だが……失敗した。胎主が母を喰ったと……」
美咲の手が震え、古文書の端をギュッと握りしめた。
「……じゃあ、この村の人たちは……美咲を……」
涼が驚き、美咲を見た。「美咲……?」
「……ごめんなさい、涼さん」
美咲は小さな声でつぶやく。
「私、知ってたんです……この村の胎主信仰を。でも、こんな酷いことまでは……」
一条が頭を抱えた。
「あぁあぁ……千賀さんの言う通りなんだな、この村は胎主を神として信仰していて、それを人為的に利用できないか研究していた。元々は村の因習だったものが、今度は人間の手によってもっと大きくて害悪なものに作り替えられようとしていたんだ」
――その時、教会の外で木々がざわりと揺れた。
「来たか……!」
涼が立ち上がり、壁にかけてあった斧を構える。
――ズズズッ。
外から地を這う不気味な音が近づく。ついに異形が追いついたのだ。
「もうすぐ夜明けだ、ここを出るぞ!」
一条が言う。
「この本も持っていきなさい、後で村と研究者がしていたことの証拠になる!」
美咲は本を抱え、涼たちは再び教会を飛び出した。背後で、異形の根が教会の壁を突き破り、破片が雨のように飛び散る。異形の根が地面を裂き、ズズズッ、バキバキッと異様な音を立てながら教会を飲み込んでいく。外へ飛び出した涼たちは、息を切らせながらぬかるんだ小道を駆け抜けた。
「こっちだ、早く!」
一条が指し示したのは、かつて使われていた村の生活道だった。木々が切り開かれ、獣道のようになったその道は、谷の方へと続いている。
だが、異形は執拗に追いかけてくる。地面から何本もの黒い根が突き出し、まるで蛇のように蠢いて逃げる涼たちの足を絡め取ろうとしていた。
「くそっ……! くそっ!!」
涼は斧を振り下ろし、飛び出してきた根を叩き斬った。ブシュッと音を立てて黒い汁が飛び散り、土に落ちた瞬間、腐臭が立ち上る。
「根元を斬っても無駄だ、コイツは森そのものと繋がってる……! だから、私たちの後も追ってこられたんだ」
一条が叫んだ。
「無駄でもやるしかないでしょう!?」
涼は息を荒げながら根を次々と切り落としていく。美咲は両腕で本を抱え、涼の背にピッタリとついて走った。
「もう少しで谷の入り口だ!」
一条の声が響くが、その時――。
――ズドンッ!!
前方の地面が突然裂け、太い根が一本、壁のように立ち塞がった。
「くそっ……! これ以上は……!」
涼が斧を構えたが、根はあまりに太く、一振りでは傷一つつかない。
「涼さん!」
美咲が叫ぶ。
「……あれです! 火を使えませんか!? 家ごと燃やした時みたいに、木なら燃えるはず!」
「そんなもの、どこに――」
それを聞いてハッとした一条が、鞄から金属製の箱とライターを取り出した。そして、箱を開け、中に入っていた古い火薬袋を取り出す。
「ある、あるぞ! だが……これを使えば、間違いなく炎は広がる。逃げ道も塞がってしまうかもしれん!」
涼は迷ったが、すぐに決断した。
「構わない。やるしかありません!」
一条が火薬袋を異形の根元に叩きつけ、美咲がライターで火をつける。次の瞬間、ボンッ!! という爆発音とともに、根が火を噴き上げ、黒い煙が立ち込めた。
「今だ、行こう!」
涼が美咲の腕を引き、炎の脇をすり抜けるように走る。熱気で頬が焼けるように痛むが、振り返る余裕はなかった。
谷へと続く斜面に差し掛かると、ようやく異形の追跡が止まった。燃え盛る炎が後方を覆い、異形はそれ以上進めないのか、根を震わせるだけで動きを止めている。その間に涼たちは斜面を駆け下り、ようやく村の外れ――古城のすぐ近く――へと抜け出した。
涼たちは古城の手前にある、廃墟となった古い倉庫に身を隠し、一息ついた。
「……助かった、のか……」
涼は斧を下ろし、荒い呼吸を整える。一条は壁にもたれかかり、額の汗を拭った。
「だが、村の呪いは何も終わっちゃいない。千賀さんも……」
美咲が膝の上に古文書を広げ、震える指でページを撫でた。
「……ここに全部書いてある。胎主の封印も、村の因習も、全部……」
「これを読めば、あの【胎主】が何を求めているのかわかるのかもしれない」
涼が言う。
「……でも、それを知ったとして、俺たちは……どうすればいいんだ?」
美咲は顔を上げた。その瞳には、これまでにない決意が宿っていた。
「――私たちが、あの子を救うの。この村の人たちは【胎主】を呪いの道具にしたけど……そこからもし、救うことができたら」
涼は驚いたが、すぐに頷いた。
「……ああ。逃げるんじゃなく、村に決着をつけるんだな」
「なら、次はその古城だ。胎主がそこに眠っているはずだ」
涼たちは無言で拳を握り締めた。その背後で、森の奥深くから遠く不気味な声が響いた。
「……タエ……タエェ……」
祈祷婆の声が、まだ彼らを見ているかのように。




