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赫き蠢きの廃村①-贄子の夢、胎主の詩-  作者: 三嶋トウカ
第二章:因習の森

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第31話:贖罪の夜_6


 ――涼たちが森を逃げるころ、別の場所では――。


 千賀タエは、誰もいないはずの祠の前に立っていた。森の奥深く、黒々とした大樹に囲まれたその場所は、月明かりも届かず、古びた祠だけが白い布で覆われていた。彼女は静かに両手を合わせ、目を閉じる。


「……来たよ、ヤエ。わしじゃ、タエじゃ。……わしゃあ、もう逃げん」


 ――風が止まった。

 次の瞬間、祠の布がふわりと揺れ、人ならざる者の声が低く響いた。


「……タエ、タエェ……ヨク来タネエ……」


 祠の奥から現れたのは、曲がりくねった背中をした老婆の異形だった。 皮膚は干からび、骨と皮ばかりの顔に深い皺が刻まれている。その両目は白く濁り、だがどこか嬉しそうに細められていた。 背には、かつて神事で用いられた巫女装束が朽ち果てたまま張り付き、無数の紙垂しでが腐ったように垂れ下がっている。

 それはまるで、タエの成れの果てのような見た目だった。


 ――彼女が、タエの双子の妹、ヤエが祈祷婆となった姿――


「ヤエ……」


 千賀は声を震わせた。


「オ前ハ、ヤットヤット【罪】ヲ返シニ来タンダネエ……」


 祈祷婆が骨のように細い手を伸ばすと、その指先から土色の糸が千賀の足元に絡みついた。糸は生き物のように這い上がり、千賀の足首を締め付ける。


「そんなことをせんでもなぁ、逃げはせんて……」


 千賀は糸に絡まれながらも、目を閉じたまま優しい声で呟く。


「わしは、この村がやったことを知っとる。胎主を……あの子らを、生贄にしたのは村だ。わしも、その儀式を止められんかった……」

「ソウダネエ、タエ」

「悪かったなぁ、わしが行けばよかったなぁ」

「ソウ思ウノカイ?」

「あのころは怖ったんだぁ。わしだって、生きたかった。逃げたかった。でもそれは、なぁんにも言い訳にはならんて」

「知ッテルヨォ。アァ、知ッテルカラネェ、タエ」


 祈祷婆の声は柔らかいが、その目は憎悪に満ちていた。


「デモネ? オ前タチハ、アタシヲ、ミンナヲ喰イ物ニシテ、自分タチダケヲ守ロウトシタ……ダカラネ、許サナイヨ。許セナイヨ」


 糸が千賀の体を一気に縛り上げる。手足が背中に押し付けられ、まるで儀式の供物のように祠の前に転がされた。


「オ前ガ今マデ生キ延ビタノハ、アタシガオ迎エニ来ル日ヲ待ッテタカラサネェ……知ッテタヨ、ズット。ダカラ、ナァンニモシナカッタダロウ?」


 祈祷婆がゆっくりと千賀に覆いかぶさる。その顔は老婆のものではなく、ドロリと溶けた血肉に変わり、無数の口と歯が千賀に食らいつこうとしていた。


「……構わんよ」


 千賀は目を閉じ、声を絞り出す。


「せめて、ヤエの苦しみが終わるなら……わしの命なんぞ、くれてやる」

「アハハ、イイ覚悟ダネェ……ナラ、チャアント喰ラッテヤルヨ」

「あぁ、食え食え。逃げ残ったただのババアには、立派過ぎる最期だよ」


 祈祷婆が口の一つを大きく裂き、千賀の胸元へと噛みついた。グシャリ――という鈍い音とともに血飛沫が飛び散り、千賀の声が一瞬だけ苦痛に震えた。


「……すまん、なぁ、涼、あんた、ら……」


 千賀の声はすぐに消え、祈祷婆が糸を引くと、千賀の体はゆっくりと祠の奥に引きずられていく。その顔は苦痛ではなく、どこか諦観に満ちた穏やかなものだった。


 祠の奥からは、低い呪詛の声が響き始める。しかしそれは、千賀の声でも、祈祷婆の声でもなかった。


「――胎主ヨ、胎主ヨ、アノ時ノ儀式ハマダ終ワッチャイナイヨ……ダメダヨ、ダメダヨ……」


 祈祷婆の背が、まるで血と肉を吸った花のように膨れ、ゆらりと揺れ動いた。


 ――千賀の命が消えかけた時、森を抜け、涼たちは息を荒げながら崩れかけた古い教会に飛び込んだ。屋根を飾っていた大きな十字架は、扉の横の地面に突き刺さっていた。月明かりの届かない室内はひどく埃っぽく、壁の隙間から湿った風が吹き込む。


「……ここなら、ひとまず……」


 一条が壁際に腰を下ろし、乱れた息を整える。


「異形も、ここまでは追って来んはずだ」

「ほんとに、そうなのか……?」


 涼は震える手で木を握り締めたまま、まだ警戒を解かない。美咲も壁に寄りかかり、震える肩を押さえていた。


「……教会だ、信じよう」

「十字架が落ちてたんですよ?」


 何度頑張っても、逃げ出しても、異形はどこまでも追いかけてきた。置いてきた圭介の安否も心配だ。


「少しでも、休みましょう。……次はいつ、建物があるかわかりませんから……」


 そう言って、ふと美咲が目を凝らすと、教会の奥に積まれた木箱の中に、何か古びた紙束が見えた。


「……これ、何だろう?」


「触るな、美咲」


 涼が制止するが、美咲は既に膝をついて木箱を開けていた。

 中には、見覚えのある黄ばんだ和紙に、墨でビッシリと書き連ねられた古文書がいくつも詰まっていた。彼女は確信していた。今までも同じような箱のなかにあったものは、この村のヒントになっていた。だから、きっとこの中身も同じように……。そのまま震える手で一番上の一冊をそっと開き、そこに書かれた文字を読み上げる。


「……【胎主封印ノ儀】……?」


 一条が身を乗り出す。


「何だと?」


 美咲はページをめくりながら声を震わせた。


「【神伏ノ胎主ハ、神ノ子ニシテ禍ツ霊ナリ。此ノ地ノ安寧ヲ守ル為、月白ノ夜、胎主ヲ母ヨリ切リ離シ、血ヲ以テ鎮メヨ】……」

「……母から切り離す? つまり……生まれる前に殺せ……ということか?」

「いや、それだけじゃないと思いますよ」

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