第26話:贖罪の夜_1
いつまでも明けない夜の帳が森を覆い、ひんやりとした空気が肌を刺した。
「……よし! 無事出られただろう?」
そう言って、この上ない笑顔を見せて一条は笑った。
「一番近い小屋を見つけたら、そこで安静にさせよう。大丈夫、心配ない」
彼の言う通り、洞窟の横穴を抜けて辿り着いたのは森の中だった。空気は洞窟の中と比べると幾分かマシで、思わず涼は大きく息を吸った。
「圭介、もう少しだからな」
「あ、ぁ」
か細い声で呟く圭介が心配でならない。だが、一条が前を歩き先導してくれることで、何とか平静を保っていた。
そのまましばし歩く。たまに雲の切れ間から覗く月明かりが、彼らの心を落ち着かせた。
「あそこにしよう! まずは私が見てくるから、三人はここで待っていて。中に異形がいない保証はないからね」
一条は指を口元に当てて「シッ」と三人を足止めすると、そのまま一人廃屋へ向かっていった。その姿を、涼と美咲は固唾を飲んで見守る。ゆっくりと入口から中を覗き、そのまま周囲を一周ぐるりと回る。もう一度中を確認して、大きな丸を頭上で作り、三人にこちらへ来るよう促した。
ザリザリと砂利を擦る音が響く。何とかここまでやってきた圭介の靴は、引き摺ってつま先が傷だらけになっていた。
「綺麗とは言えないが……外にいるよりもずっと安心できるだろう」
ないよりマシ程度の扉を開けて、四人は中へと入った。過去窓ガラスがあっただろう場所は、見るも無残に破片ばかりが床に散らばっていた。荒れた床を足で払い、圭介を窓からは見えない位置へ座らせた。「寝たほうが楽か」と涼が聞いたが、弱弱しい声で「そうしたらもう二度と立ち上がれない気がする」と力を振り絞って応えた彼は、今にも消えそうな寝息を立てながら目を閉じている。
廃屋に圭介を匿い終えた涼は、入口に立ち深く息を吐く。美咲が彼の背にそっと手を置いた。
「……あのままで大丈夫でしょうか、圭介さん」
「今は、これが最善だよ」
涼は美咲の顔を見ないまま答えた。
「そうですよね……他に建物も見当たりませんし、これ以上動かすのも危険でしょうし」
それに対して、美咲が静かに答える。彼女の顔にも疲労と不安が滲んでいた。
二人が言葉を交わす間、廃屋の奥では一条が圭介の容体を見守っていた。道すがら簡単に身の上話をしていたが、その中で自身は民俗学者で、今回、原田を連れ立ってこの神伏村へきていたこと。今原田は恭一と一緒にいるが、目的が過去の事件事故の調査と、各地にまつわる因習について本を書くために回っていることを伝えていた。代わりに涼たちは、自分たちが知っていることと、あの洞窟の中に入って圭介を救い出すまでに、何が起こったかを話していた。
その内容を反芻しながらも、眼鏡の奥で光る瞳が圭介の脈を確かめる手を止めない。
「呼吸は安定している。ただ……外傷もそうだが精神的なショックが大きすぎる。この数時間、一体何を見てきたのか、後で聞く必要があるだろう」
涼は頷き、壁にもたれかかると周囲を見渡した。湿った木の香りが漂うこの廃屋は、かつて村人が祀りごとに使っていたらしい。壁際には古びた木彫りの仏像や、意味のわからない御札が乱雑に貼られている。杯や神棚、そして沢山の白と赤と黒い紙。思い返すのは、今まで見てきた資料の内容だった。
圭介はいわば大事な生きた証人だ。他三人も同じ立場ではあるが、見たこと、感じたこと、されたことどれをとっても一段違う場所にいる。現在この村で起きていることに関しては、彼が一番詳しいはずだった。
「……なあ、美咲。この村、どうしてこんな風になったんだろうな」
涼がポツリと呟くと、美咲が答えるより先に、廃屋の戸口がギィィと軋む音を立てて開いた。
――そこに立っていたのは、白髪を無造作に結い上げた一人の老婆だった。背は曲がり、杖を突いているが、瞳だけは鋭い光を放っている。
「ようやく来たかい。待っとったよ……」
掠れた声が、静かな空気を震わせる。
「……あなたは?」
涼が身構えると、老婆はニヤリと笑みを浮かべた。
「わしは【千賀タエ】。この村の昔を知っとる内の一人じゃよ」
千賀タエと名乗った老婆は、廃屋の中央に腰を下ろすと、静かに涼たちを見回した。得体の知れなさと異様な空気に、誰も何も言えないでいる。彼女の目は、一条の顔を見た途端わずかに細められる。
「……あんたは一条先生、じゃったかの。民俗の本を書いとったろう? こんなところまで首を突っ込むなんざ、物好きじゃな」
一条は軽く会釈した。
「私も、この村の因習についてはほとんど何も知らなかった。ただ、今後ある再々開発のために調査を頼まれた。それだけだ」
千賀はふん、と鼻を鳴らすと、次は美咲に視線を向けた。美咲の顔をしげしげと眺め、何かを確かめるように頷く。
「お前さんが……あの子かい。胎主に『選ばれた』娘じゃな」
美咲の身体がビクリと震えた。涼が思わず彼女を庇うように前に出る。
「どういう意味だ、それは」
千賀は涼を一瞥し、ゆっくりと口を開く。
「昔から、この村では【胎主】と呼ばれるものを信仰しとった。その辺に置き去りにされたものを、ちょっとくらいはぁ読んだじゃろて。あれは……人と異形の境目をなくす儀式から生まれた存在じゃ」




