表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赫き蠢きの廃村①-贄子の夢、胎主の詩-  作者: 三嶋トウカ
第二章:因習の森

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/56

第18話:淡い希望_2


 「み、見てください……あれ」


 彼女が指差した木の幹には、奇妙な文様が彫られていた。渦巻きと人の顔を思わせる模様が重なり、乾いた赤黒い染みがその周囲を覆っている。


「……これ、何?」


 悠里が近づき、文様に手を伸ばしかけた瞬間、涼がその腕を掴んだ。


「触るな」

「な、なんでよ、ただの模様でしょ?」

「いや……違う。これ、あの村の成り立ちの本にあった【封印の符】と似てる」


 涼の声は低かった。


「……封印の符?」


 悠里が眉をひそめる。


「あの村の古い祠にあった。人を異形に変えた【禁忌の研究】を封じるために使われたものだ」


 涼は低い声で言い、木の幹の文様を凝視した。彫り跡は新しいものではなく、少なくとも数十年は経過しているように見える。だが、乾いた赤黒い染みだけは妙に生々しく、湿り気を帯びていた。


「こんな森にまで……誰が彫ったんだろう」


 美咲が怯えた声で呟いた。


「神伏村の因習……だろうな」


 涼は木の幹を指先でなぞるふりをして、すぐに手を引っ込めた。悠里へ注意したのは念のためだったが、自分が触れようとして良くわかった。――これに、触れてはいけない――本能がそう告げていた。森全体に沈黙が満ちている。耳鳴りのように遠くで鳥の声が聞こえたかと思えば、すぐに途切れる。風もほとんど吹かず、葉がかすかに揺れる音すら異様に響く。


「やだやだ、慣れないわねこの場所……って、今までもそうだったけど。こんなところ、長居すべきじゃないわ。古城を目指しましょう」


 悠里が苛立ちを隠せずに吐き捨てた。皆同じ気持ちだ。しかし彼女のそんな声も妙に小さく感じられるほど、森は沈んでいた。

 森を進むにつれ、道は狭く、暗くなっていった。頭上を覆う木々の枝が絡み合い、ほとんど光が差し込まない。頼りの月明かりもぼんやりと、地面の苔が足音を吸収し、歩くたびに柔らかい土が沈む。


「え、ちょっと、あそこ……誰かいる?」


 悠里が小声で言い、指をさした。

 薄暗い道の先、細い獣道の脇に、作業着を着た男が座り込んでいた。彼は工事現場でよく見かけるようなヘルメットをかぶり、顔を伏せて肩を震わせている。


「あの……大丈夫ですか?」


 涼が慎重に声をかけた。男はピクリと肩を動かしたが、こちらを見ようとしない。美咲が不安そうに涼の袖を掴む。


「怪我……してるのかな?」


 涼は一歩、ゆっくりと近づいた。その時、男が唐突に顔を上げた。


「……ダメだ、近づくな」


 喉に張り付いたような声が響く。彼の顔は土と血で汚れ、瞳は恐怖で見開かれていた。


「何があったんですか? ここで何が――」


「来るぞ……アレが……」


 男はわずかに首を振り、何かを言いかけて、突然立ち上がった。

 ――そして次の瞬間、ありえない方向に彼の首が捻じれた。同時に、グジャリ、ゴギゴギと骨の砕ける音が響く。そうしていとも容易く、彼の身体が糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。


「なっ……!?」


 悠里が声を上げる。


「美咲、悠里、後ろに!」


 涼が二人を守ろうと前に出た。


 作業員の倒れた場所から、黒い影がジワリと立ち上がる。それは人の形をしているようでいて、まるで煙が集まったように輪郭が曖昧だった。


「……あれ、今までのとまた違いますよね……?」


 美咲が青ざめた声を漏らす。

 影はゆっくりと顔らしき部分をこちらに向けると、歪んだ声で呟いた。


『――カエレ、イマ、スグニ』


「う、嘘でしょ!?!」


 悠里が叫ぶと同時に、影が地面を滑るようにして迫ってきた。涼は咄嗟に美咲と悠里を押しやり、異形――影――から目を離さないよう後退する。『襲われる』――と感じた三人だったが、なぜか三人の周りをぐるっと回ると、影はあの従業員の元へと戻っていった。

 ――そしてそのまま作業員の遺体に触れると、その身体をまるで泥のように崩し、土に吸い込ませていった。


「な、何、あれ……人を……食べてる……?」


 美咲が震え声で言う。


「……『取り込んでる』って言う方が、きっと正解だろうな……」


 涼が低く言った。その目には恐怖よりも、異形を観察する冷静さがあった。


「ねぇ、涼! ヤバいわよ、次はきっとこっちよ!」


 悠里が焦りの声をあげる。


「……逃げるぞ!」


 涼が叫び、三人は一斉に走り出した。影はその後を追うように森を滑り進む。ぬかるんだ地面を蹴る音、荒い呼吸。何度も聞いた音。なのに、何度でもやってくる音。背後からは何かが擦れるような不快な音が追いかけてくる。


「走れ! 振り返るな!」


 涼が叫ぶ。だが、その時――


「ひっ……!」


 美咲の足がぬかるみに取られ、身体が倒れた。


「美咲!」


 涼が振り返ろうとした瞬間、悠里が涼の腕を掴む。


「あたしが行くわ! あなたは進んで!」


 悠里は素早く美咲の腕を掴み、引き上げた。だが、その瞬間、黒い影が二人に覆いかぶさるように迫ってきた。


「いやっ! 離れなさいよ!!」


 悠里が振り払おうとするが、影はまるで泥のように腕に絡みつく。


「悠里!」


 涼が叫び、影に近づこうとする。


「来ちゃダメ! 涼まで巻き込まれる!」


 悠里が怒鳴り、美咲を突き飛ばすようにして前に押し出した。


「ダメよ! 早くいって!」

「やめろ悠里!」


 涼が手を伸ばすが、影が悠里の身体を覆い尽くす。悠里の顔が恐怖と諦めに歪み、そのまま黒い影の中に沈んでいった。


「くそおおおおおっ!!」


 涼は絶叫し、美咲の腕を引いて走り出した。背後で悠里の声が完全に闇に飲まれる。影が完全に彼女を包み込むと、その姿は跡形もなく消えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ