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赫き蠢きの廃村①-贄子の夢、胎主の詩-  作者: 三嶋トウカ
第二章:因習の森

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第17話:淡い希望_1


 ぬかるんだ土を蹴るたびに、湿った音が耳にこびりついた。何度この音を聞いても、何度この感触を感じても、一向に慣れる気配はない。ただの雨上がりの地面とも空気とも違うこれは、まるで涼たちを早くここから立ち去らせようとしているようにも思えた。涼の胸は火がついたように熱く、呼吸は乱れている。すぐ後ろを走る美咲が荒い息を吐きながら、何度も小枝に足を取られてよろめいた。悠里は二人がついてきているか振り向くことなく、ただひたすらに圭介の後を追った。

 あの【縫合の巫女】を追いかけて、生きたまま圭介を助け出せるかはわからなかった。――だって、酷い怪我なうえに、その前にやられた修平は死んでいる。……それでも、走るしかない。自分の命を考えて、後ろを振り返る余裕はなかった。


「涼さんっ……も、う、無理、あ、足が……」


 掠れた声が背後から響く。涼はほんの一瞬だけ立ち止まり、振り返った。美咲の顔は恐怖と疲労で蒼白になっていた。額に貼りつく髪がじっとりと汗で濡れ、唇は震えている。涼は素早く戻り、美咲の手首を掴んだ。


「大丈夫だ、美咲。あと少しだけ……絶対に離れるな。悠里についていくぞ」


 美咲は何も答えられず、小さく頷くだけだった。その瞳には、今にも泣き出しそうな濁りがあったが、それでも前に進もうとする意志が見えた。


「二人とも! 早くこっちにきて! 道が続いてる!」


 先を走っていた悠里が大きく手を振った。彼女の声も疲労と不安で掠れていたが、その目は『早く圭介を助け出したい』という焦りでギラついていた。先へ進みたい一心で、三人は泥だらけの獣道に身を投げるように走り込む。倒れた木の根を飛び越え、闇夜に足を取られながらも、ただ前へ進むしかなかった。


 ――圭介。

 三人の脳裏に、あの光景が何度も蘇る。


 彼が、あの異形の黒い腕に捕らわれた瞬間。助けを求めるようにこちらを見た彼の瞳。噛みつかれた時の断末魔の叫び。絶望しか感じさせてくれない噴出した血。その全てに映ったのは、救おうと手を伸ばしたかったのに伸ばせなかった、自分たちの無力な姿だった。


「くそっ……」


 涼は小さく呻き、歯を食いしばった。――あの時、自分がもっと早く動けていれば。そもそも、違う場所へ逃げ込んでいたら。何度もそんな後悔が胸を刺す。


「涼さん……大丈夫ですか……?」


 美咲が不安そうに問いかける。彼女自身、余裕はない。ただ、彼が考えていることを察して思わず声をかけていた。涼はわずかに顔を上げ、美咲を安心させるよう笑みを作ったが、その笑みは引きつっていた。


「……大丈夫だ、大丈夫」


 そう言い聞かせるように呟き、走り続けた。


 やがて、三人はひときわ開けた場所に出た。獣道のその先。古城のような建物はまだ遠くに見えたが、ここはそこへ至るまでの入口に違いない。目の前には、古びた黒い鳥居が静かに立っている。木材はところどころ腐り、黒い苔がびっしりとこびりついていた。風が吹くたび、半ば朽ちかけた注連縄が不気味に軋む。

 神伏村の入口にあった鳥居とは、また雰囲気が異なっていた。こちらのほうが、より強い何かを封じ込めているような、ここへ入る者に警告しているような。


「ここが……噂の【因習の森】の入口か」


 涼が呟く。村から森を抜けた先に、あの古城はある。【神伏村 由来之書】に、古い地図が載っていた。それが正しいのかはわからないが、今は信じて進むしかない。森相変わらず周囲も、そして輪をかけるように森の奥も暗く、まるでそこに夜が沈んでいるかのようだった。


「……嫌な感じだよね。気持ち悪い」


 悠里が肩をすくめる。いつもならこんな空気を変えるために軽口を叩く彼女も、今は口数が少なかった。


「……もし……もし戻るなら……今、しかないですよね」


 美咲が小さく呟く。その声は震え、瞳は恐怖で揺れている。


「戻れない。ここで止まったら、圭介を見捨てることになる」


 涼は美咲の目を見つめ、ハッキリと言った。


 何度思い返しても、圭介がまだ生きているという確証はない。だが、あの黒い腕が圭介を引きずり込んだ瞬間、彼の身体が完全に壊されたようには見えなかった。あれだけ血を流していたのに、そんな期待が簡単に浮かぶ。きっと、そう思うには何か直観的で不思議な理由があるに違いない。


 ――何より、生きている、そう信じたい。


 美咲は唇を噛み、やがて小さく頷く。


「……わかりました。そう、ですよね。えぇ、行きましょう」


 悠里が深くため息をつき、頭をかいた。


「そうよ。今さら引き返したって、あの化け物どもに殺されるだけでしょうし」


 三人は無言で目を合わせ、鳥居をくぐった。足を踏み入れた途端、森の空気が変わった。ぬるい湿気と土の匂いに混じり、どこか鉄のような、魚の腐ったような、生臭いニオイが漂ってくる。空気に色を付けられるとしたら――きっと、赤と黒がピッタリ――だろう。むしろ、それしかない。


「ねぇ……ここ、やっぱり普通じゃないわよね」


 悠里が低い声で言う。


「……普通じゃない。あの村と同じニオイがする」


 涼が答え、森の奥を睨む。神伏村で味わったあの空気――何かがジッとこちらを見ている気配。あれが、森全体を満たしていた。


「ひっ……!」


 美咲が突然立ち止まり、小声をあげた。

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