第16話:恭一、神伏村近く①
――一方そのころ。
悠里に待機を命じられた恭一は、ひたすらに元いた集落を目指していた。正直なところを言えば、あの集落へ一人では進みたくなかった。滞在したくなかった。
最後に見た、あの生きているのか死んでいるのかわからない――おそらく村人――の姿が、目が、忘れられない。僅かとはいえ会話できた、あの寂れた商店の老婆でさえ怖かったのに、それ以外の人間の目にも晒されるなんて。
「……耐えられないよ……」
恭一は、ハァハァと息を切らせながら、ポツリと弱音を吐いた。悠里は【何かあった時の連絡係】として、彼を残すことに決めた。だが、彼は薄っすら感じていた、自分が足手纏いになる可能性を。
簡単な撮影機材を担げるほどの力はあるが、走り回る体力はない。修平や圭介と比べて、アウトドア派でもなければ、普段の運動といえば通学くらいだ。あんな【いかにも】な場所で何か起こるとしたら、只事ではないのはわかっている。そんな時、自分があの場にいるとしても……。
ザワザワと揺れる木々の音と、隙間から差し込む日の光に、汗ばんだ額がその頑張りを讃える。そういえば、まだ着かないのか……と不安になった時。
ガサッ――
「……⁉︎ ヒッ……⁉︎」
突然近くの背の高い草が揺れた。恭一は思わずギュッと強く手を握り締めて、いつでもすぐ走り出せるような体勢を取る。
「あ――人⁉︎」
「えっ、え、あ……」
二人組の男性が目の前に立っていた。驚く恭一をよそに、二人は安堵の表情を浮かべている。
一人は背が低く、頭にタオルを巻いている。父親と変わらない年齢に見えた。恰幅が良くて、親しみやすそうな顔をしている。もう一人は、自分の従兄弟と同じくらいだろうと、恭一はそう思った。彼には一回り離れた三十過ぎの従兄弟がおり、昔から可愛がってもらっている。こちらの男性は、大きな帽子がよく似合っていて、肌が日に焼けていた。
「いやぁ、良かった! 流石に集落出てから、人っ子一人いないとな、不安になってもうてなぁ。あぁ、良かった良かった!」
そう言ってガハハと笑うタオルを巻いた男性は、ホッとしたように汗を拭いている。
「君は……もしかして、神伏村に?」
「そ、そうです」
「そうか……。あぁ、すまない。私は一条だ。神伏村について研究している」
「ワシは原田っちゅうもんじゃ。普段はタクシーの運転手をしとる」
「僕は村上恭一です。大学三年で、今日はたまたま、サークル活動の一環でここに」
「サークル?」
原田と名乗った男性が不思議そうな顔をした。
「えっと、僕たちは都市伝説研究会をしていて。民話や伝承、名前の通りと自然説も調べているんですけど。たまにこうやって、噂のある場所に来るんです。フィールドワークって言うんですか? 野外活動ですね」
「へぇ、都市伝説研究会で。……なかなか、面白い活動をしているね」
親近感を抱いたのか、一条は興味深そうに聞いている。
「ところで、君は神伏村の帰りなのかい? 今日は一人でここへ?」
「いえ、他のメンバーが神伏村には向かって、僕も途中までは行ったんですけど、戻ってきて待機組です」
「そうなんだ。村までの道、わかる?」
「実はなぁ、ちょっと迷子になってしもて。この辺な、ワシもちゃんとは入ったことがないから、わからんのよ。土地勘もないし」
この二人は、どうやら道に迷って困っていたらしい。
「そこの道をそのまま行くと、崩落で通れないところに出るので。それを迂回して、奥へまっすぐ行けば着く……って、ウチの部長が持ってた地図はなってましたよ」
「迷わない?」
一条がそう思うのも仕方ない。周辺は同じような道なりで、風景も変わり映えしない。だから上手く進めなかった。
「……多分? あの、崩落の場所に、僕たちが乗って行った車が置いてあります。……僕、運転できないし、そのままで。あれが目印になると思いますよ」
「そうか、ありがとう」
一条は帽子を取って頭を下げた。
「原田さん、あなたは彼と一緒に、さっきの集落で待っていてくれないかい?」
「ワシが? でも、自分一人で行くんか?」
「あの集落に、若い子一人で残るのは、苦なんじゃないかと思ってね」
そう言って笑っていた一条だったが、何となく、彼がそう言った理由を、恭一は理解していた。
「で、どうだろう?」
「お願いしても良いですか? 商店のおばあさん以外、視線は感じたけど出てきてくれなかったから……。正直、ちょっと気味が悪くて」
正直に恭一が答えると、原田も「確かになぁ」と頷きながら顎を擦った。
「新参者が一人でいるには、ちとハードルが高そうな集落に見えるしなぁ。よし、じゃあ恭一君はワシと一緒に戻ろか!」
「お願いします!」
「恭一君の友達は、いつ帰ってくるんだい?」
恭一は一条からの質問に、思わず視線を落とした。
「……えっと、一日経って集落に戻ってこなかったら、警察へ連絡するように言われています」
「賢明だね。こういうところでは、戻ってこられるかわからないから」
「えらいけったいな」
原田はわざとらしく大きく首を振った。
「私も、一日経って戻ってこなかったら、原田さんは帰っていいよ」
「わかっとるけどね。恭一君とここを離れるわ」
「頼んだよ」
「あぁ。じゃあ行こう、恭一君」
「あっ、はい!」
恭一が頭を下げ、原田が大きく手を振り、一条と別れた。その姿を見送って、一条は歩き出す。
「都市伝説研究会でこんなところに……。運が良いというか悪いというか……。もってる子がいるんだろうな」
その言葉は、彼の独り言として空へ消えていった。




