第14話:そこで蠢くモノ_6
またあの音が聞こえた。逃げ出してきた廃屋で、燃やし尽くしたはずの異形。死んでいたらどんなに良いかと思っていた異形。今度も同じようにすぐ近く、廃屋の外で軋むような音が聞こえている。美咲が悲鳴をこらえ、涼が即座に立ち上がった。
「まずい……来たぞ……!」
四人は身を低くして扉に視線を向けた。外の月明かりに、黒い影がゆらりと動くのが見える。
「……燃えて死んだんじゃ、なかったのかよ……」
圭介が青ざめた顔で呟く。しばらく動いた後、異形は扉の前で立ち止まった。呼吸音が再び響く。
――ゴボゴボ……ギチギチ……
突然、窓ガラスが粉々に割れた。あの時と同じように、異形が壁を突き破り、だが今度は圭介に飛びかかる。
「うわあああっ!!」
圭介は持ってきた鉄パイプを必死に振るうが、異形はそれを易々と弾き飛ばした。涼がそれを拾い上げ、構えて飛びかかる。黒焦げになって一部は爛れた肌、焦げてまとわりつくような臭い。引きつって不気味な音を立てる、辛うじて保たれた身体。
「! ダメだ! 圭介、伏せろ!」
――だが一歩遅かった。異形の口が圭介の腹部に食い込み、血が吹き上がる。ギャァァァァ――と圭介の絶叫が廃屋に響き、すぐに途切れた。
「圭介ぇぇっ!!」
悠里が叫ぶが、涼が腕を引いて制した。
「行くぞ! ここに留まったら全員死ぬ!」
美咲が泣き叫びながらも、涼に手を引かれて立ち上がる。涼たち血を吹き出す圭介を横目に家を飛び出し、また闇の中を駆け抜けた。後方では、圭介叫び声と身体を貪る咀嚼音が響いていた。
――修平に続き、圭介も失ったが、涼は足を止めない。
(……こんなところで死ねるか。必ず、この村の真実を暴く)
圭介を失った四人――いや、今は三人になってしまった――は、夜の村をひたすら走り続けていた。何度も泥と根っこに足を取られながらも、涼たちは決して立ち止まらない。
「……はぁ、はぁ……涼……どこに行くの……?」
悠里が震える声で問う。
「村の中心部に向かう。あそこなら、何かしら避難できる建物があるはずだ」
涼の声は低く、感情を抑え込んでいる。
「それって、あの広場? 井戸のあった……?」
「いや、その奥だ」
「もうやめようよ! 何でそんなに進もうとするの!? あたし、もう嫌だよ、こんなの……!」
とっくに限界を迎えていたが、気丈に振る舞っていた悠里が言う。それでも、涼は立ち止まらずに答えた。
「ここで止まったら、修平や圭介みたいになるだけだ。お前も。死にたいのか?」
その言葉に悠里が絶句し、嗚咽をこらえるように口を押さえた。美咲がそんな悠里の肩をそっと支える。
「……頑張りましょう、悠里さん。……一緒に、生きて帰りましょう……」
悠里は涙に濡れた顔を伏せ、震えながら小さく頷いた。
広場を抜け、村の中央に差し掛かると、石段の上に小さな祠が見えてきた。苔むした鳥居が傾き、その奥に朽ちた社が佇んでいる。
「……あれ、見ろ」
涼が囁く。三人は祠へと慎重に近づいた。中は暗く、しかし中央に古い木箱が置かれていた。涼が蓋を開けると、中には黄ばんだ紙と古い札が収められていた。その札には、かすれた文字でこう記されている。
【胎主御使禁忌ノ血供物】
美咲が小さく声をあげた。
「……胎主って、書いてある……?」
涼は紙束を取り出し、手早くページをめくる。そこには奇妙な儀式の図が描かれていた。
「『生贄を胎に返し、御使を鎮める』……これは……」
悠里が震える声で遮った。
「や、やめて……そんなの読まないで……こんな気味悪いの、もう嫌……!」
涼はそれでも読み進めようとしたが、突然、外から異様な音が響いた。
ズルズル……ズル……
涼たちは一斉に顔を上げた祠の外、月光に照らされて、長い髪のようなものを引きずる異形がゆっくりと近づいていた。
美咲が青ざめた顔で呟く。
「……何か、前のヤツと……違う…………お、女の人、みたいな……」
その異形は四足ではなく、まるで人間のように立ち歩いている。だが髪の毛は異様に多くて長く、腕が何本もあるように見える。顔には目鼻がなく、口だけが異様に裂けていた。
「【供物喰らい】……? ……胎主に【供物】を運ぶ役目をした失敗作……?」
悠里は自然とその口を動かしていた。これはあの研究資料に載っていた異形だ。――異形は涼たちの存在に気付き、ゆっくりと頭を傾けた。そして次の瞬間、ギィヤアアアアッ!! と耳をつんざくような悲鳴を上げ、一直線に突進してきた。
「二人とも下がれ!」
涼の言葉に、美咲と悠里は祠の奥に後退した。
異形が長い髪を鞭のように振り下ろす。涼は紙一重でそれをかわし、腕に鉄パイプを叩きつけた。
――ゴキッ。
異形の細い腕が不自然に折れるが、それでも動きを止めない。
「涼さん!」
美咲が手に持った石を全力で投げつけた。石は異形の裂けた口に直撃し、異形が一瞬ひるむ。その隙に涼が異形の喉元を狙い、鉄パイプを突き刺した。
ズズッ――!!
黒い体液が飛び散り、異形が激しく痙攣する。やがて異形は痙攣を止め、ぐったりと崩れ落ちた。涼が荒い息をつきながら異形の死体を確認していると、外から何かの気配がした。今の異形とは別のものだ。――だが、それは襲いかかってくる気配ではない。
「涼さん……あ、あれ……誰か、いる……?」




