第1話:都市伝説研究会の夜_1
大学旧校舎の文化系部室棟は、太陽の日が差し込む昼間でさえ人の気配が少ない。……更に夜ともなれば、そこはまるで取り残された廃墟のような雰囲気に包まれる。長い廊下には数本しか点灯していない蛍光灯が、頼りなく明滅を繰り返していた。蛍光灯が光るたび床に伸びる影が微かに震え、また消えていく。まさに、このサークルのために残されたような足元の古びた板張りがわずかに沈むたび、ギシリと湿った木が軋んで音を立てる。それはまるで、空虚な建物が息をしているかのようにも思えた。
その廊下の最奥にある一室――【都市伝説研究会】と貼り紙がされた狭い部屋の中では、他のサークルとは異なる空気が満ちていた。壁一面を覆うのは、色褪せた新聞記事、雑誌の切り抜き、古い村落の地図。記事の端は黄ばんでカサカサになり、時折ふわりと剥がれかけては赤いピンで留め直されている。いくつも空いた穴と擦れて丸まった角は、この資料の年季を教えてくれる。
その中でも一際目立つのは、中央に貼られた一枚のコピー用紙だ。これはまだ新しい。太いマジックで大きく書かれた【神伏村】の三文字は、赤インクの滲みが血のようにも見えた。
「……これが、次の調査対象だ」
重々しい声でその言葉を口にしたのは、机の上に肘をついて資料を見つめる黒髪の青年だった。名は【斉藤涼】。――大学二年、この部室を陣取るサークル、都市伝説研究会の実質的なリーダーだ。
黒く切れ長の瞳はいつも鋭く、どこか他人を寄せつけない雰囲気を纏っている。無造作に伸ばした黒髪は寝癖で少し跳ね、夜更かし続きのせいか目の下にクマができ、頬がわずかにこけていた。だがその視線には、確固たる意志が宿っている。
「おいおい……冗談だろ、涼」
涼の斜め向かいに座る茶髪の青年が、椅子の背もたれにだらしなくもたれかかりながら声を上げた。【久保田修平】――二十歳、同じく二年生でこの会のムードメーカーでもある。気だるげな髪色と同じ茶色い瞳には、薄っすらと既に不安を抱えていた。
その不安を誤魔化すためにか、彼は大げさに肩をすくめ、両手を広げて見せた。
「お前がずっとその村を調べてたのは知ってるけど……。神伏村って言えば、あれだぞ? 『戻れない村』だ。行ったら最後、間違いなく帰ってこられないって噂だ。調べてたなら、当然知ってるだろ? お前、そんな場所にマジで行く気なのかよ」
「あぁ、行く」
涼は短い言葉で即答した。その迷いのない澄んだ声が、室内の空気をわずかに張り詰めさせた。
「理由を聞いてもいい?」
涼の隣に座る眼鏡の女性が、冷静な声で口を開いた。
【岡野悠里】――三年生で情報収集と分析を担当する理論派だ。彼女はノートパソコンを閉じ、顎に手を当てながら涼を見つめている。眼鏡の奥の焦げ茶色の瞳は、涼の意志を推し量っているように見えた。
彼女からそんな質問を受けて、少し悩んだ後涼は無言で壁を指さした。そこには他の記事と比べ、比較的最近の新聞記事がいくつも貼られている。【神伏村一帯再開発計画進行中】【工事責任者相次ぎ事故死】といった見出しが目立っていた。これだけ新しいのは、書き込みができるようコピーされたものだからだ。これはもう三枚目で、今までの紙はファイルにしまってあった。既に何度もコピーして貼り付けていることに、彼の意欲と熱意、そして執着を感じる。
「ただの都市伝説じゃない。……昔から失踪事件が絶えない村だが、最近は再開発に関わった人間が次々と死んでる。これは偶然じゃない。村には、何か『人為的な秘密』がある」
「お前の勘ってだいたい当たるからな。だからこそ怖いんだよ」
修平は溜め息を吐き、茶化すように笑ったが、その笑いはどこか引きつっていた。
部屋の隅でノートにメモを取っていた少女が、ためらいがちに顔を上げた。
【藤宮美咲】。――大学一年の後輩で、普段はおとなしく人前に立つのも苦手なタイプだ。小柄な体をさらに小さく見せるように肩をすぼめ、緊張で指がわずかに震えていた。落ち着かないのか、ふわりと蒔いた髪の毛の毛先を指で触っている。
「あ、あの……でも……神伏村って、本当に危ないんですよね? 修平さんの言った通り、行方不明になった人たち、まだ……誰一人見つかってない、って」
美咲の声はか細く、しかし、恐怖を押し殺すように真剣だった。涼は彼女に視線を向けた。その黒い瞳は強く、だがそれに反して声は驚くほど優しかった。
「大丈夫だ。危険だと判断したらすぐ引き返す。俺たちは探検家でも専門家でもない。ただの学生の、興味本位の調査だ」
美咲は俯き、唇を噛んだ。長い前髪がその表情を隠している。
――しばしの沈黙の後、小さく、しかしはっきりと頷いた。
「……わかりました、行きます。涼さんが行くなら、私も」
「おいおい、美咲まで……」
修平は額を押さえ、呆れたように笑った。涼は短く「ありがとう」とだけ言い、美咲を見つめた。その一言が、彼女をさらに強く決意させた。