ある恋人の一幕
「お前さぁ。そろそろ前に進めよ」
彼の霊が私に言う。
よく言ってくれる。
付き合った翌日に死んだくせに。
「引きずるに決まってんじゃん。初恋だよ?」
私がそう言うと彼はため息をつく。
あの日と変わらない姿で。
彼は本当なら私より二つも年上だったのに、今じゃ、私の方がずっと年上だ。
「悪かったって」
「そうね。先輩が100%悪い」
敬語を使わなくなって何年が経つだろう。
私の告白を受けてくれた日、彼は『もう先輩後輩じゃないから敬語は辞めよう』なんて言っていたけれど。
敬語はともかく、一度も名前で呼べなかった。
そして、今は意地になって私は彼の名前を呼ばない。
まだ高校生の頃、私達は恋人となり、そしてその翌日に彼は信号無視で死んだ。
本当に呆れ果てる。
事故で死ぬにしても、完全に自分が悪い状態で死ぬなんて。
悲しさと悔しさと若干の情けなさで号泣していた私の下に彼が幽霊となって謝罪と別れをしにやってきた。
そんな彼を私は捕らえ、縛った。
『行かないで』
言葉で。
恋人となったばかりの後輩の懇願に彼は負けた。
いや、きっと彼も私の傍にいたかったのだと思う。
いずれにせよ、その日以来彼はずっと私の隣にいる。
気づけば互いにとって居るのが当然のように。
「お前、来年で三十だろ?」
「だからなに?」
「本当、そろそろ俺のこと忘れて新しい恋を見つけろよ。行き遅れになるぞ」
今の彼は子供にしか見えない。
小説や漫画、アニメのように彼だけが幼いままならば、きっと私もまた次の恋を探せただろう。
けれど、中身は私と共に生きた立派な三十代だ。
奇妙な言い方となるが、彼は死んでいるだけで実際には私と共に生きているのだ。
この矛盾に満ちた事実が私を支え続けてくれている。
「だったら、さっさと成仏してよ。馬鹿先輩」
憎まれ口を叩くと彼もまた同じように返す。
「未練がましく恋を探さないからこっちも心配しているんだろうが。お前が新しい恋を見つけたらとっとと成仏するっての」
そこまで言って二人で笑う。
本当は分かっているんだ。
私も彼も離れたくないって。
だからこそ、こうして共に過ごしているんだって。
最早漫才とさえ言えるようなやり取りの後、私達は今日の予定を確認する。
「そろそろ出発するか? 新しく出来たカフェに行くんだろ?」
「そ。電車使わないといけないから、もう出ないとね」
ただの恋人、あるいは夫婦のようにありふれたやり取りをして私達は外へ出る。
暖かな日差しに包まれながら私達は他愛のない雑談をしながら歩き続けた。
私達が本当の意味で再会し、共に過ごすことが出来るようになるのはあと数十年も先のことだった。




