一筆入魂
光の風と闇の霧が互いの領域を広げようと拮抗する。
少しでも光側に加勢しようと、アンゼリカの魔法が悪魔に向かって放たれ、その合間を縫ってミャーコの斬撃が振るわれる。
幾度となく。
そんな激しい攻防が繰り広げられる中、私は部屋の中のある一点を凝視していた。
さっきのフェデリカさんの視線の意味……きっと、この状況を打破するためには私の……魔法絵師の力が必要なんだと理解した。
つまり、ネロスを具現化させているあの悪魔の魔法壁画に干渉することが出来れば、あるいは……
そう思って、私は普段から持ち歩いている小さな肩掛け鞄に手を添える。
魔法によって見た目よりも内容量が拡張されたこの鞄の中には、ある程度の画材道具一式が入っている。
だけど、この場であの壁画を分析して、悪魔を封じるため一手を打つ……そんな事が私にできるのか?
いま戦いの方は拮抗しているように見えるけど、そんなに時間をかけられるわけでもないだろう。
『家族の肖像』を分析するだけでも二日かかったのに、あんな大作をなんて……
(でも……やるしかない!!)
私は覚悟を決め、かつてないほどに集中力を高め壁画を見る目に力を込めた。
まず私の周りから音が消えた。
それから視覚以外の他の感覚も閉じていき、残る視覚すら悪魔の壁画以外の何もかもが見えなくなっていく。
自然と魔力が高まり、目を通して壁画と魔力で繋がるような感覚が満ちてくる。
更には時間の感覚すらあやふやになり、それからどれくらい経ったのか。
ある時、カチッ……と、頭の中でスイッチが入るような音が聞こえた気がした。
するとその瞬間、黒一色だったはずの悪魔の壁画が極彩色に彩られた。
(まさかこれは……魔法術式が浮かび上がって『視える』の!?)
初めての感覚に戸惑いながらも、私はそれが悪魔の壁画を魔法絵たらしめる構成要素であることを自然に理解した。
しかし、ほとんどの術式は私にとって未知のものばかり……これを一つ一つ理解し、どうやって干渉すれば良いのかを短時間で導き出すのは依然として至難の業であることは変わらない。
(それでも光明が見えている事に違いはないわ!先ずは私でも分かるものを見つけ出して、そこを基点に考えれば……!)
そんなふうに意識を切り替えれば、それに呼応するかのように情報が絞られていく。
目を焼くほどの鮮やかな色彩が、再び黒く塗られていき……残ったものに意識を集中させる。
これ以上ないくらい、痛みを感じるほどに頭をフル回転させて描き出すべきもののイメージを膨らませながら、鞄の中に手を入れて絵筆やパレット、絵の具を取り出した。
頭の中で術式を見極めながら新たに加えるべき術式を構築しながら、ほとんど無意識に手はパレット上で調色を始めていた。
そして、白光の鎖が悪魔を封じる姿を幻視したとき、私は壁画に向かって駆け出した。
『何をする気だ!?』
ネロスの叫び声が聞こえ、それをきっかけに遮断されていた感覚が戻ってくる。
広がった視界の片隅に、悪魔の爪とミャーコのナイフが切結んでいるのが見えた。
「マスターの邪魔はさせないニャ!!」
「こっちは私たちが抑えるわ!!」
ネロスが私の方に向かおうとするのを阻止しようと、ミャーコが残像すら見えそうな連撃を見舞い、アンゼリカも進路を妨害する事を優先して魔法を放つ。
それでも悪魔の身体から放たれた凝縮された闇が、何匹もの蛇のようになって私の方に向かってきた。
『させません!!』
フェデリカさんの声に応じ、漆黒の蛇を迎え撃つように光の防御結界が幾重にも展開され私を護ってくれた。
(みんな……ありがとう!!)
ミャーコ、アンゼリカ、フェデリカさん……みんなが作ってくれたチャンスだ。
絶対に無駄にはできない。
そして皆の協力を得た私はついに悪魔の壁画の目の前に立った。
圧倒的な技量によって描かれた歴史的な傑作。
この絵に限らず、本来であれば作者以外の誰かの手によって後から手を加えるなど、あってはならないこと。
私も画家の端くれなので躊躇う気持ちもある。
だけど今はそんな事を言っている場合じゃない。
私は目を閉じて、全身に纏っていた魔力を右手に持った絵筆に集中させる。
そして……
「一筆入魂…………」
目を見開き、魔法絵師としての能力の一つを解放する。
「【神速の筆】!!!」
ありったけの魔力を乗せ、壁画の悪魔に向かって絵筆を一閃させる。
左脇から右肩、そして返す刀で左肩から右脇に筆が走ると、白銀に光り輝く鎖が黒き悪魔を拘束した。
そしてその効果は、魔法絵が具現化させているネロスに即座に現れる。
『ぐっ……これは……身体が動かぬ!?』
激しく戦いを繰り広げていた悪魔ネロスの身体は、金縛りにあったように微動だにしなくなった。
『魔法絵師……キサマ、何をした!?』
「見ての通り……この魔法壁画に私の魔法絵を描き足したのよ。あなたの具現化を阻害するための、光の鎖をね」
ちゃんと効果があったみたいで良かったわ。
あんな超高速の分析ができたなんて、自分でもびっくりなんだけど。
ぶっつけ本番だったけど、結果よければ全てよし……ってね。
「ふぅ……何とかなって良かったわ…………って、あ、あれ……?」
安堵のため息をついたとたん全身から力が抜けてしまい、私は思わずその場に座り込んでしまった。
「マスター!!」
「マリカ!?大丈夫!?」
「だ、大丈夫。ホッとして力が抜けただけよ。それと、一気に魔力を使ったせいかしら」
とにかく無我夢中で限界お構いなしに魔力放出したから、その反動でしょう。
『マリカさん、お見事でした』
「フェデリカさん……これで再封印はできそうですか?」
『ええ。私の力もまだ完全ではありませんが……私たちの魔法絵の修復が終わるまでの間でしたら、問題ないでしょう』
フェデリカさんの言葉に、私は頷く。
まだ仕事は残っているけど、修復が終わりさえすれば封印も完全になり、それで今回の事件は解決……ということね。
まさか幽霊騒動がこんな事件になるなんて、依頼を受けたときは思いもしなかったわ。
『おのれ……我が敗れたと言うのか……』
『魔法絵師が魔法絵のもとにたどり着いた時点で、勝負はついていたのです』
フェデリカさんは確信めいたように言うけど、私にあんな力があるなんて思いもしなかったし、こうやって悪魔を封じることができたのはほとんど奇跡みたいなものだったと思うけど……
『…………確かにそうかも知れぬ。しかし……』
悪魔は私に視線を向けて言葉を続ける。
『魔法絵師……マリカと言ったか。遠からず、お前は自らの手で……我の封印を再び解き放つだろう。必ずな……』
……どういう事?
せっかく苦労して封印したのに、わざわざ私がそれを解くなんてあり得ないと思うけど。
『何故なら……我には分かる。お前が描いたものを通じ……少しだけだが、お前の魂、記憶に触れたのだ……お前も我と同じ……箱庭の解放者……だ……』
「!?わ、私の記憶に!?それに、私があなたと同じって……?どういう事なの!?」
こんな恐ろしい悪魔と私が同じなんて……わけがわからない。
いったいどういう事だと、私は悪魔に疑問をぶつける。
だけど……悪魔は再び封印されるその時まで、私のどんな疑問にも答えてくれることはなかった。




