『紫陽花』
月明かりに仄かに紫陽花の花びらが浮かび上がる。
ゆめこはそっと鼻を近づけてくんくん犬みたいに嗅ぐ。
「あじさいは毒があるんだぜ」
私がそう言うと花をひとつ捥いで、いたずらに口をあけてみせる。
「痙攣、過呼吸、麻痺が起こって死ぬんだ。意外と知られてないけどね」
「ふーん」
紫陽花をバックに月明かりでヌードを撮ろうと言ったのはほんの気まぐれ。
それを真に受けて、ゆめこは下着も着けずに白いワンピースをはおり、渋る私の手をとって、二人は近くのお寺の境内に侵入したのだ。
夜の寺は海の底のような青く澄み切った空気に満ち、漆喰の本堂や苔むした地面、深緑の木々が息をしているように、その存在の輪郭を露わにしている。
寺の背後のこんもりとした黒い森からはアオバズクの声がする。
「あじさいってのは七変化って言ってな。アントシアニンや土壌のpH(酸性度)によって色が変わるんだ。土壌が酸性ならば青、アルカリ性ならば赤、と言われてる」
そんな含蓄を垂れる私をよそにゆめこはさっさと服を脱いで、月明かりの下に立つ。
「じゃあ、このお寺の土は酸性ね。お骨が埋まっているせいかしら」
青紫にその身を染める紫陽花の傍らに、ゆめこの白い肢体が寄り添う。
肌がほんのり月明かりに滲んでいるように見えるのはファインダーのせいなのか。
しんと静まり返った境内にシャッター音が響く。
二人は撮っては花影に隠れ、本堂の様子を窺う。
「ほっほ ほっほっ」
アオバズクの鳴き声をゆめこが真似る。
その口元がおかしいので笑ってしまう。
声を殺して、くすくす笑いあう。
「わたしは何色になった?」
「え?」
「あなたは酸性?アルカリ性?」
まじまじとゆめこの白い肢体を眺める。
いたずらな瞳をして、べぇ、と舌を出すゆめこ。
その薄紅色の濡れた舌先にいつのまにか青紫の花びらがのっている。
私は本堂の上に浮かぶ月に視線を移す。
きっとゆめこは地面に咲く花じゃない。
口には出さずに、私も紫陽花の花びらを捥いで、舌にのせる。
照らしているのかいないのか、そんな月明かりの柔らかい光の中で
ふたりはいつまでも紫陽花の影の中に揺れる自分たちの影をみつめている。