8.
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記録的な大寒波が終わって二日。今日も横浜市は晴天であった。
ミエーレが朝の散歩を終えていつものようにバルコニーから帰ってくると、部屋に甘い香りが広がっていた。
キッチンではみくるがエプロン姿で、楽しそうにお菓子作りをしている。
窓を開く音に気付いたのか、ミエーレの方を向いて「おかえり」と声をかけてきた。
「ただいま、みくる。バレンタインのチョコレートかい」
「うん。お兄ちゃん、絶対に期待して帰ってくるからね」
いつもならミエーレの足拭きを手伝いたがるみくるだが、今は手が離せないらしく近づいてくる様子はない。
みくるからはたびたび兄妹の仲良しエピソードが出てきており、微笑ましいと同時に少し不安を覚える。
どうにもみくるのお兄さんは、兄バカの気があるように思われるのだ。
はたしてミエーレは明日からもこの部屋に滞在することが可能なのだろうか。
(まあ、最終的にはみくるの言い分が通るのは間違いないんだろうけど)
ミエーレとしては、針のむしろにならないことを祈るばかりである。
ミエーレは結局、みくるの後見人もとい後見猫として、みくるが一人前の幻想使いとなるまで共に暮らすことになった。
みくるが幻想使いの才能があることはまだ、機関に知らせていない。
意図的に龍穴を生み出せる可能性がある少女など、諍いの種になりかねない。
時機を見て信頼できる幻想使い数人に連絡を入れて、しばらくはごまかそうと思っている。
みくるが幻想使いとして花開かなかった場合、生涯に渡って彼女を守る必要があるのだが――
(今から考えても仕方のないことだし、みくるに伝える必要もないかな)
リビングにあるお気に入りのソファーに横たわると、自然とあくびが出る。
しばらく寝ていようかと目を閉じたところで、ミエーレの大きな耳がぴくぴくと揺れる。
近づいてくるみくるの足音を聞き取ったためだ。
「できたのかい」
「あとは冷やして固めるだけだよ」
どうやら片付けを後回しにして、ミエーレを構いにきたらしい。
有無を言わさず抱き上げられ、みくるの膝の上に座らせられる。
こうなるとおしゃべりにつきあわないわけにはいかないので、早めの午睡はおあずけだ。
その間はなでてもらえるから、不満があるわけではないのだが。
「ふふ、完成楽しみにしててね」
「うん?」
「ミエーレは甘いものはあまりわからないって言っていたけど、せっかくだしミエーレの分も作ってるからね」
楽しそうに笑うみくるに、つい言葉に詰まってしまう。
バレンタインに手作りチョコとは実に光栄だが、ミエーレとしては困ったように視線を逸らすほかない。
「あー……、みくる。本当に申し訳ないんだけれど」
「うん?」
「猫はチョコレートが食べられないんだ」
「……ええーっ!?」
二人のにぎやかな日々は続くのだった。