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  7.


  7.



 雪を赤く染め倒れたミエーレを見たときは、心臓が止まるかと思った。

 駆け寄り抱き上げれば、お腹の傷が輝き、すさまじい速度で治っていくのが見えて二度驚いた。

 だが意識がない。腕に感じるぬくもりと柔らかさを信じて声を掛ければ、わずかに髭が震えるのが見て取れた。

 目を開いて名前を呼んでくれた瞬間は、いろんな感情がない交ぜになって涙があふれてしまった。


「ごめん。僕のせいで泣かせてしまったね」

「そんなこと、謝らないでいいんだよ……」


 傷に触れないよう背中をそっとなでる。

 この優しい幻想使い(ソーサラー)は自分が大怪我をしたというのに、他人の心配が先にくるのだ。


「みくるは、どうしてここに?」

「ミエーレが心配で……」


 思わず飛び出してきてしまったことに後悔はない。

 倒れていたミエーレを見つけられたのだから、選択は正解だったと思える。

 それでもミエーレに叱られるかと思うと、どうしても語尾が小さくなってしまう。


「怒っていないよ。心配させて、ごめん」

「うぅ……、ミエーレぇ」


 しゅんとしてしまったみくるに、ミエーレはあやすような声色で謝罪を口にする。

 それからぱちくりと数度まばたきをして、思わずといった風にこぼす。


「まさかこの場に龍穴があるとでもいうのか……」

「え?」

「――みくる、逃げろ!」

「きゃあっ!?」


 ミエーレの勧告を聞くまでもなく、みくるは理解してしまった。

 突如として背筋に感じる、強い怖気おぞけ。幻想域の存在、危険なあやかしがそこにいるのだと。


 あわてて立ち上がろうとするが、無意識に足がすくみバランスが崩れる。

 結果、ミエーレを抱きしめたまま転んでしまった。


 どうしたらいい。混乱の中で必死に考える。

 みくるは幻想の力を使えない。走って逃げるにしたって、積もった雪の上ではスピードが出ない。

 みくるはならばと、雪の上に倒れた体勢のままうずくまった。

 大切な相手を腕の中にかばうために。


「駄目だ、みくる! 僕のことはいい! 君だけでも逃げろ!」

「イヤだ! ミエーレを置いてなんかいかない!」

「頼む、みくる。君にケガを負わせたくないんだ」


 ミエーレの言葉に、かあっと頭に血が上る。

 ミエーレはすごく頭の良い猫なのに、なんでわからないんだ。

 それは幻想域の化け物なんかよりも、みくるを恐がらせるし、傷つけるのだと。


「ケガなんかより!」


 みくるにはわかる。ミエーレの方が間違っている。

 だから必死になって叫ぶ。こんなときだからこそ、ミエーレにはちゃんとわかってもらいたいから。


「ひとりぼっちになる方が、ずっと痛くて苦しいんだよ。ミエーレのばか」

「あ――」


 腕の中でミエーレの体が強ばったのを感じた。

 それだけで、みくるの言葉がちゃんと伝わったのだとわかる。


「みくる、僕は……」

「うん……」

「……いや、待ってくれ。戦乙女はなぜ襲ってこないんだい?」

「え……、あれ?」


 思わず出てしまったといわんばかりのミエーレの疑問の声に、みくるもつい体を起こして振り返る。

 そこには確かに、宙に浮かぶ冬の戦乙女の姿があった。

 すぐそばで見上げると、とても綺麗で、すごく厳しそうな容貌だと感じる。

 どういった理由なのか、彼女はみくるたちを向いたまま攻めあぐんでいた。


「ミエーレ。これ、どういう状況?」

「僕にも何が何やら……」


 戸惑うミエーレに、彼にもわからないことはいっぱいあるんだなと思う。

 みくるはあっさりと冬の戦乙女から視線を外し、腕の中を見下ろした。


「……ミエーレのケガ、すっかり治っちゃったね。もう痛くない?」

「――はあっ? なんで傷が治って……というか。みくる、君……」


 よくわからないこと続きの中、もしかして自分にも何か起きているのだろうか。

 悪いことじゃなければいいなと願いつつ、ミエーレの言葉を待つ。


「なるほど、うん。そうか。よくわかったよ」

「なにが?」

「みくるの言うとおり、僕がとても間の抜けたバカな猫ということがさ」

「そこまでは言ってないよ!?」


 あわてて否定をするみくるに、ミエーレはふにゃりと笑いかける。


「みくる、僕を包むこの淡い光の出所を探ってごらん」

「うん……?」


 出所もなにも、ミエーレが傷を癒すために光を放っているとしか思っていなかったので、探れと言われてもよくわからない。

 冬の戦乙女のことはいいのかなと思いつつも、抱き上げているミエーレを胸から少し離した。

 ピントをミエーレを包む光に合わせるつもりで、目をこらしてみる。

 すると思いがけない事実を知ってしまった。


「……あ、え? これ、わたし!?」

「そう、僕を助けてくれた光――霊力を供給してくれたのは君だ。みくる」


 ミエーレを包む光がみくるとつながっていた。

 みくる本人はまったく意識しないまま、霊力はこんこんと湧き出てミエーレへと流れこんでいる。

 そして、冬の戦乙女にも。


「僕が探していた龍穴は、ずっとすぐ側にあったんだ。どうだい、間抜けな話だろう?」

「わたし、こんなの全然知らなかったよ!」

「雪の結界さ。雪が降り続けている間、みくるから出る霊力のみちである経路パスが隠蔽されていたんだ」


 「彼女によってね」と、ミエーレはみくるに抱かれたまま戦乙女を仰ぎ見る。

 戦乙女は憎々しげにミエーレをにらみ、なにかしら言葉を掛けているようだった。

 だけどみくるには魔性の言葉は届かない。まだ受け取るための手段を知らないから。


(ミエーレの言葉は最初から聞こえたのにな)


 ミエーレの説明を聞きながらぼんやりと彼との出会いを思い返し、ふと気付く。

 戦乙女にとって命綱である経路パスを、雪の結界で隠そうとしたのだとして。


「ミエーレと出会ったときは、まだ雪は降ってなかったよね?」

「そこが僕たちにとって不運だったところだね」


 あのときのミエーレは、みくるが開いた者だと見抜けなかった。

 大半の霊力を使い果たし、霊視すら使えずにいたからだ。

 おそらくは冬の戦乙女はその時点で、みくるとの経路パスを通じて二人の接触に気付いていたのだろう。

 ミエーレが幻想域の話を始めた頃には、すでに雪は降り出していた。みくるから流れ出る霊力を視ることのできるタイミングを奪われてしまったのだ。


「だがそれでも、僕には気付くチャンスがあったんだ」


 どうしてミエーレの調査に合わせて寒波が強くなったのか、ではなく。

 どうしてみくるの家に滞在した間だけ寒波が和らいでいたのか、を考えるべきだったのだ。


「みくる。龍穴というものの正体は、その名のとおり“穴”なんだ」


 龍穴――幻想界との間にある壁が崩れ、そこから幻想の力がこぼれ出る現象。

 それは現実界において、何かしらの“穴”の形で顕現する。

 これは物理的なものに限らず、むしろ概念として捉えられるものの方が多い。


「君の言ったとおりなんだ。ひとりぼっちは、痛くて苦しい。僕はそれをちゃんと理解できていなかった」


 ミエーレは慈しむように語りかけてくる。

 みくるの腕に体をこすりつけ、温かくてふわふわの感触であやしてくれながら。


「君の心にぽっかり空いた穴こそが、龍穴だったんだ」


 兄が出張に行ってしまったことで、みくるは寂しさから知らず幻想の壁に穴を空けた。

 ひとりぼっちの寂しさは、冬の冷たさに似ている。温もりを求めてしまうものだから。


「わたしが……、冬の戦乙女を呼んだの?」

「そうだね。そして、この僕もね」


 みくるの中に龍穴が開いたことで、結果的にミエーレはこの街へやってきた。

 寂しさが冬の戦乙女を呼び寄せたように、温もりを求める人恋しさがミエーレを呼んだのだ。


「僕があの日、あのバルコニーで休んでいたのは偶然なんかじゃなかったんだって。もっと早く気が付くべきだったんだ」


 ミエーレと一緒にいた時間は龍穴がほとんど閉じていた。みくるの心の穴は埋まっていたのだ。

 つまりは二人が出会ってからは、ミエーレは何もする必要なんてなかったのである。


「ミエーレは……」

「うん」

「迷惑じゃなかった? 大変な目にあって、ひどいケガまで……」

「君の心の傷ほどじゃないさ。それに僕のケガはもう、君が癒してくれた」


 みくるの腕の中で、ミエーレがごろりと身じろぎしてみせた。

 みくるもまた、喜びを伝えるように胸にしっかりと抱え直す。


「わたしも、もう痛くないよ。ミエーレがいてくれたから」

「それは何よりだ」


 互いを思い合う二人の前で、冬の戦乙女の姿が少しずつ崩れていく。

 みくるからこぼれた力を、彼女は取り込めなくなってしまったのだ。


 戦乙女はミエーレに何か話しかけているようだが、ミエーレはただ優しい目で見返すだけだった。

 やがて冷たき騎士は砕け、辺りに粉雪が舞う。

 冬の戦乙女を見送って、みくるはそのまましばらく立ち尽くしていた。


「もうだいじょうぶだ。冬の戦乙女がいなくなれば、すぐにでも寒波は止むよ」

「うん」

「街の雪も直に解ける。この週末には、みくるのお兄さんも帰ってくる。そうしたら」


 どきり、と鼓動が大きく鳴った。

 ミエーレは冬の戦乙女の討伐のために、この街へとやってきた。

 その目的を済ませたのならもう――


「……無理だよ」

「うん?」

「お兄ちゃんが帰ってきても、ミエーレがいなかったらさみしいよ」


 みくるの口から子供っぽいわがままが、抑えきれない思いがこぼれ出る。

 今さら聞き分けの良い大人ぶった少女になんて戻れない。


「きっとわたし、また龍穴を開いちゃう。大変なことになっちゃうよ」

「……それは困ったな。僕はみくるを恩人だと思っているから、みくるのことを助けたいんだ」

「だったら、雪が解けてもいっしょにいてよ……」

「そうだね。もうしばらく、みくるのところにお世話になることにしよう」


 どこまでも優しいミエーレの返事に、みくるは「ありがとう」と口にするのがやっとだった。

 泣き出すのは違うと思うから、こらえてぎゅうとすがりつくように抱きしめる。


「さあ、帰ろう」

「うん」


 日が射して白く輝く帰り道を、二人はゆっくりと歩き出した。


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