6.
6.
押し固められた雪が氷柱へと変わり、次々に襲いかかってくる。
直撃すれば胴に穴が空く、どころか真っ二つに千切れかねない。小さな体を利用し、恐れず潜り抜けるようにして前に跳ぶ。
お返しとばかりに熱線を撃ち込むが、風雪の鎧に守られた戦乙女には目くらまし程度の効果しか与えられなかった。
「参るね、本当に。僕と戦うときだけ無敵になっているんじゃなかろうね」
ミエーレと冬の戦乙女との戦闘は、一週間前の焼き直しのようになっていた。
ミエーレの放った攻撃は戦乙女に確かなダメージを与えている。なのに、その傷は瞬く間に回復されてしまう。
龍穴の発見は結局できていない。その前に戦乙女が暴れ始め、ミエーレが抑えなければ人的被害が出かねなかったのだ。
幻想域の戦闘を繰り広げながらも、ミエーレは霊力の出所を探り続けていた。
(僕が夜中の調査を始めた頃から、やっこさんの霊力はまた強くなり出したように思える。なぜあの数日だけ、回復せずにいたんだ?)
まるでミエーレの行動を監視でもしているかのような、タイミングの悪さ。
運の問題とは思えない。何か見落としていることがある気がしてならない。
(龍穴にしろ、それ以外の手段にしろ、戦乙女が得ている霊力には何かしらの絡繰りがある。せめて出所がわかれば、探りようもあるのだけれど)
思考を回転させながらも、狙いをつけられないようミエーレは縦横無尽に跳ね回る。だがその動きは徐々に鈍り始めていた。
猫の体がいくら軽いといっても、柔らかな新雪の上を沈まずに歩けるものではない。
今のミエーレは霊力を用いた天狗の歩法により、水の上ですら駆け回ることができるようになっている。
だがそれも、あとどれだけ続けられるか。
足を取られれば命取りになりかねないと、ミエーレは戦乙女と遭遇してからずっと天狗の歩法を行っていた。
加えて霊力の流れを探るための霊視。
どちらも消費は少ないとはいえ、塵も積もれば山となる。
そろそろ撤退を考えなければならないほど、ミエーレは追いつめられていた。
(潮時だ。やっこさんに自由を与えるのは不安が残るが、今はできることがない)
ミエーレがそう判断したと同時、戦乙女もまた決着のための札を切った。
周囲を舞う雪が突然、冬の戦乙女の頭上に集まり出す。幾千幾万の氷の粒が激しく擦れ合い、そこに稲光が生まれた。
幻想域の力は現実ではありえない現象をもたらすものだが、決して自然科学と相反するものというわけではない。
むしろ自然現象に沿った形で扱う方が、より大きな力を行使できる。
本来なら上空高くにある雲の中で起こるような、雷発生のメカニズム。それを再現することで、億ボルトに及ぶ電圧を生み出してみせたのだ。
(これはマズい。でも、ある意味ではチャンスだ)
これほどの大技となればいくら霊力が無尽蔵とはいえ、彼女は一時的に霊力を使い果たすだろう。
これを凌げば撤退は容易いと読み、ミエーレは防御のための術式を編み上げる。
「木は水より生ず。ならば金は木に剋つ。すなわちこれ金剋木なり!」
言霊とともに、ミエーレの体毛が輝き、色が複雑に変化する。
数瞬の間に描かれては消えるそれは、無数の呪文と図形。
術式により世界の壁を越えて、幻想界より喚び出されるは魔導銀。
霊力に対し一切の抵抗を持たぬ特殊な物質だ。
飛び出た銀針が、戦乙女の頭上の雷雲と大地をつなぐ。
すると一切の熱や衝撃を生むことなく、雷は大地へと飲み込まれてしまった。
「あああっ、なんと煩わしい。小さきモノ!」
必殺として用意した技がいとも簡単に打ち破られ、冬の戦乙女が感情を露わにした。
だが、本来であればこれが当然である。
戦乙女は五行における水気である氷の粒から、木気である雷を発生させた。
これを相生である水生木と見なし、対してミエーレは相剋たる金剋木を用いた。
ミエーレはイタリア語の名こそ持てど、日本生まれの雑種だ。
彼の扱う幻想の多くは、日本で発展した真言や陰陽を起源としている。
加えてアース効果と超伝導体を利用する科学的知見。
人の世で生きるミエーレは、夢現のどちらも利用する現代幻想使いとして、十分な知恵と力を備えている。
技を鍛え、術を練り上げることができぬ冬の戦乙女では、元来太刀打ちできる相手ではないのだ。
戦乙女が怒りに囚われている隙に、ミエーレは如才無く周囲の様子をうかがう。
(なるほどね。この吹雪は結界でもあったのか)
吹雪が消えたことで、戦乙女につながる霊力の経路が見えるようになった。
流れる量はひどく不安定だが、途切れることなく戦乙女へと霊力か流れ込んでいる。
今なら苦もなく霊力の源を見つけることも叶うだろう。だが焦りは禁物だ。
雪の結界によって秘されていたのだと知った以上、探るのは今である必要はない。
(ここは一度、回復を挟んで――って、ちょっと待て!)
霊力の残量に不安を覚えたのは、戦乙女も一緒らしい。経路のつながる先へと踵を返すと、風に乗って空を滑っていく。
問題はその方角だ。彼女が見据える先は、よりにもよってみくるの住むマンションがある住宅街ではないか。
(なんでそっちなんだ! みくるを恐がらせないように、離れたところに誘導したっていうのに!)
慌てて追いすがり、地を蹴って――気付いた。
戦乙女がうっすらと笑みを浮かべていることに。
「――くっ!」
罠だ。ミエーレが発したわずかな焦りを、戦乙女は察していたのだ。
焦りは幻想に飲み込まれる一番の要因。
迂闊さを痛感しても、もう遅い。戦乙女は振り向き様、手にした氷の西洋剣を閃かせる。
飛び上がったミエーレの体と、戦乙女の斬撃。ふたつが交錯することを止める手段はもう無い。
(ならば、この一撃を以て奴を討つ!)
霊力が尽きかけているのはお互い様だ。
仮に龍穴から無尽の霊力が湧き出ようとも、一度消滅させればすぐさま復活することはあるまい。
それならば最悪、龍穴を閉じる役割は機関なりに引き継いでもよい。
冬の戦乙女を消し飛ばし、かつ生き残る。分が悪い賭けだが、もはや覚悟は決まった。
「吹き飛べええええっ!」
今放てる最大の出力で、得意の幻想である熱線を零距離から叩き込む。
まったくの同時に、透明の刃がミエーレの金色の毛皮に吸い込まれていく。
皮膚が裂かれ、肉を断たれる感触。熱い血潮とともに力が、命がこぼれ落ちていくのがわかる。
急激に霞み始める視界の中、半身を砕かれた冬の戦乙女が宙に溶け込むように姿を薄れさせていく。
戦乙女がこちらを見て嗤う。
奴を完全に滅するまでには至らなかった。
邪魔者であったミエーレをしとめた以上、復活できると確信しているのか。
やがて冬の戦乙女は消えた。だがミエーレに去来したのは、達成感ではなく虚無であった。
ミエーレは失敗したのだ。
彼の望みは叶わなかった。冬の戦乙女を討つことも、無事に帰ることも。
みくると約束したすべてが――
(――駄目だ。そんなことが許せるものか)
まだだ。足掻け。あきらめるな。
明るくて、優しくて、寂しがり屋の彼女を悲しみで泣かせるなど、ミエーレの矜持が許さない。
体の芯が、魂が熱を持つ。
四肢に力は入らず、全身の感覚はもはやない。
自分が立っているのか倒れているかさえ定かではない。
だがそれでも、ミエーレの意志は消えない。こんなことで僕という存在を消してなんかやるものか。
しかして不屈の意志が、世界に奇跡という名の幻想を描き出す。
「ミエーレ、しっかりして! ねえっ、ミエーレ!」
呼びかけに導かれるようにまぶたが開き、赤銅の瞳に少女の姿が映り込んだ。
薄ぼやけた世界の中で、彼女だけが淡い光に包まれてはっきり見える。
「……みくる、かい?」
「ミエーレぇ……よかったあ……」
少女の頬を伝って次々にこぼれ落ちる涙を見て、己が守れる矜持など大したことがないなとため息をこぼしつつも。
まだ約束を叶えるチャンスは残されていることを知り、あきらめなくてよかったとミエーレは思うのだった。